2話:太一、友の父の助言で株投資開始
そして秩父太一の友人、浜田健二の父が株の売買をしていて株の話を聞く
のが好きになり、太一にもチャートグラフを見せてこの会社の株はグラフの
下の時に買い上がった時に売れば儲かると説明され次第に興味を持った。
勉強は好きではなく厳しい中学の授業が嫌で楽して儲ける方法ばかり考えて
いた秩父太一にとって会社で怒られずに食っていけたら最高だろうと考えた。
そのためには数学は絶対必要だと考えしっかり勉強し数学だけは素晴らしい
成績だったが、それ以外はダメだった。中学を卒業すると父から働けと言われ
、俺、夜強いから、近くのコンビニにパートで勤めるというと何でもいいから
、自分の食べる以上に稼げと言い勉強したくなったら通信教育でも夜学でも
高校行けると言われた。
中学を卒業しコンビニで15時から21時まで6時間で3千円、1ケ月24日
で8.1万円の給料をもらえるようになった。そして経済を考えて、お金を
貯めることにして、月に1万円で生活する方法を実践して、お金を貯めて
、17歳で原付バイクの免許を取り、近くのバイク屋で中古の原付バイク
を4万円で購入して利用するようになった。
やがて18歳になり16時から24時まで働けるようになり8時間で
5600円1ケ月24日、15万円の給料をもらえるようになった。
そして無駄使いせずに3年間で310万円を貯めて貯金した。友人の
お父さんが太一が就職してる証明書を証券会社に持って行けば18歳でも
証券口座を開けると教えられ1990年10月1日N証券に口座を開いた。
そして、一緒に行ってもらいN証券に証券口座の手続きをした。そして
友人の父の浜田浩二さんが、俺が教えてやるから言ったとおりに買えと言い
、必要な時、家に電話すると言った。その後1992年には太一の預金が
500万円まで増えた。
1992年3月12日、朝8時40分、浜田浩二さんから電話で成り行き
でソニー株の買いを入れろと言われ800株を成り行きで買い注文を入れ
、1株3830円、1200株460万円で買え投資残金が40万円と
なった。しかし株投資している事は自分の両親には秘密にしていた。
その後、太一の友人、浜田健二は、近くの木更津高校から千葉大経済学部
に入学して経済の勉強していた。妹は太一の家計のやりくりで1992年3月
、千葉県立の商業高校を卒業し君津駅、近くの大型スーパーの店員として働き
出した。1992年4月3日友人の父の浜田浩二さんが通信高校口座で高卒資格
を取れと太一に言い資料を取り寄せてくれた。とにかく高校を出てないと、
これからの世の中、馬鹿にされるからと、説得されて了解してた。
テキストとラジオも手に入れて両親に知られないようにヘッドホンで
通信高校講座を聴いて昼間に勉強を始めた。その後、1998年3月末には
通信高校講座を全て修了して高校卒業の資格を得た。それを、その週の日曜日
、両親に報告すると母が涙ながらに良くやった。これで、お前も世間から
後ろ指さされることなく、やっていけるよと涙を流して喜んだ。
父はと言うと、ただ、頑張ったなと肩をたたくだけだった。