17話:東日本大震災1
2011年3月11日午後14時46分、東日本大震災が起きた。住友家では、デレビを見ていたときに、大きなゆれに見舞われ、住友次男の奥さんと義理の母が、悲鳴を上げて、家を出た方が良いかと次男に聞くと、いや、こういう時には、安全な、風呂場に行こうと、風呂場に向かった。直ぐに、電気のブレーカを落とした。10分弱して、揺れが収まった頃に、キッチンに行くと、お皿が落ちて散乱していた。
17時頃に電器が復旧しすると、東北で大津波に流される家や車、人の映像がテレビから流れて、せんりつが走った。そして、その晩は、眠れぬ夜を過ごした。首都圏でも、交通が麻痺して、大きな国道に、仕事帰りのサラリーマンの行列が、どこまでも続いていた。アナウンサーが、国内観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震と発表。
その後、東京電力福島第1原発では電源が止まり、原子炉は冷却機能を喪失。核燃料が溶け、1から3号機は炉心溶融「メルトダウン」が起きた。3、4号機は水素爆発により原子炉建屋が大破。放射性物質が大量に放出される最悪の事態に陥った。これが、不安を倍増させ、住友家でも意気消沈した。その後、津波はすさまじいエネルギーで家屋や港湾、工場施設などを破壊したと報道された
東日本大震災による東京電力福島第1原発事故などの影響で、各地で電力供給不足が深刻化。東電管内では震災直後、地域ごとに送電を一定時間止める「計画停電」を実施。
電力需要が高まる夏場の7月1日から9月9日には、政府が東電と東北電力の管内で37年ぶりに「使用制限」を発動。対象企業だけでなく個人も節電に大わらわとなった。一方、定期検査で運転を停止した原発の再稼働に地元自治体が同意しない事例が続出。
そんな事で2011年は、東日本大震災で、しっちゃか、めっちゃかとなった。そんな時に、唯一、積極的に日本を支援してくれたのが、台湾だった。台湾の赤十字会とテレビ各局が3月18日夜、東日本大震災の被災者支援のチャリティーイベントを開いた。4時間の生中継の間に電話で義援金を受け付け、7億8800万台湾ドル「約21億円」が集まった。
台湾の有名歌手らとともにジュディ・オングさん、元サッカー選手の中田英寿さんらが参加。馬英九「マー・インチウ」総統夫妻や政権幹部も受話器を握った。2億台湾ドル(約5億4千万円)を出したのはアップル社の「アイフォー)」の受託生産などで知られる鴻海グループ総裁、郭台銘氏。台湾有数の富豪で、日本企業との関係も深い。
義捐金を募るために台湾の赤十字とテレビ各局が行ったチャリティーイベント「相信希望 、ファイト・アンドスマイル」には馬英九台湾総統も駆けつけ、全体で20億円以上が集まったことで知られている。そこには数多く台湾の有名人も出演したのだが、「台湾のスーザン・ボイル」とも呼ばれている天才歌手『リン・ユーチュン』さんも登場した。
彼は自慢の美声で日本の歌手「宇多田ヒカル」さんの名曲「ファースト・ラブ」を歌い会場を沸かせた。リンさんは男性なのに女性ボーカルである宇多田さんの曲を見事に歌っていた。また、日本語の発音も素晴らしく、日本人が聴いてもまったく違和感のない素晴らしい歌であった。そして2011年3月9日、ソロバン4級の受験票を手に入れ、4月2日にソロバン4級を取得して合格した。
秋には、3級の試験に挑戦すると百合が話していた。2011年も、やがて11月になり、百合がソロバン3級の受験日を迎えた。その日には、両親が着いていき、父が、リラックスしてと言い、母が、大丈夫、あれだけ練習したのだから受かるはずよと勇気づけた。受験終了後2週間後にソロバン3級の合格通知が届いた。やがて2011年、悪夢の年が終わり2012年を迎えた。