14話:娘がアイフォンで音楽を
今年、母が、音楽を聴いたり電話をするのにアイフォンを購入したので長女の百合も一緒に使いたいと言い出し、今年と来年の2年分のお年玉として買ってあげた。特に、音楽プレイヤーとして使いたいと言い、使い方を母に習っていた。太一は、電話があまり好きではないので、スマートフォンは持たず、もっぱら自宅の電話機で電話していた。また、音楽などは、パソコンで十分だった。
百合は、小学校を終え、その後、ソロバン塾に1時間行き、帰りが16時過ぎる事が多った。その後、勉強をしたり、音楽を聴いたりして、1人で忙しそうにしていて、弟たちと遊ぶことは、ほとんどなかった。しかし、弟の太郎と謙二は、たまに喧嘩もするが、一緒におやつを食べて、テレビを見て、宿題をして、散歩をして仲良くやっていた。2人とも数学、理科が好きな子だった。
その後、百合は、たまに、母と一緒に横浜美術館を見学したり、映画を見たり、コンサートを聴いたりして、母と仲良く行動していた。そして、本を読むのが好きで、母も昔、文学少女だったようで、話があった。そこで、母が、この小説が面白いと教えたりして、土日にバスで図書館に行き数冊の本を借り、途中、2人でお茶して来る日があり、太一だけが、単独行動という日が増えた。
やがて春になり、今年、初めて、東京湾フェリーで房総にわたり、美味しい魚を食べてこようという話になり、みなとみらいの自宅から、買い換えたばかりのエスティマを出発して本牧、根岸、金沢、横須賀を抜け、久里浜港へ行き、フェリーに車を乗せて、出かけた。フェリーは、思った程の揺れではなく、船酔いすることもなく、40分程で金谷港に到着し、お昼近かったの近くのレストランに入った。
そこで母と娘は、刺身定食、男の子は、魚のフライ定食、太一は、煮魚定食を頼んだ。10分ほどで、煮魚以外の料理が出て来て、さっさと食べた。しかし、煮魚は30分して出て来た。他の人は、コーラや珈琲を飲んでいた。しかし、煮魚は、大きな皿に、いっぱいあり、奥さんと子供達にも、分けてやると、美味しいと好評だった、確かに、甘辛の味付けが上手でとても旨かった。
その近くの店で、魚、干物、お菓子などのお土産を買い込んだ。その後、車で1時間、内房海岸線の国道を北上して、両親の住んでいる君津に、午後3時近くに到着。お土産を渡し、お茶を飲みながら雑談した。すると、両親が、子供達の成長を喜んでくれ、学校の話や百合のソロバン塾の話。男の子が、近くの海岸を走っている話などをゆっくり、聞いていた。
そして、夕飯をいただいて、19時に君津を出て、東京湾アクアラインを走る頃には、奥さん以外は、爆睡していた。そして20時過ぎに、家について、風呂に入って、床についた。この時の様子を百合が4枚の絵に描いてくれた。1枚は、フェリーの絵、その他、煮魚定食の絵、おじいさんの似顔絵とおばあさんの似顔絵だった。この年の7月に、父が
新日鉄・君津の会社を定年退職した。
その後、その似顔絵を郵送すると、お礼の電話がかかり、百合が、うれしそうに祖父母と話をしていた。この年の秋にも、太一一家が、車で、祖父母の家を訪ねた時、家の壁に額縁入れた、祖父母の絵が飾られていた。そして、祖父母が、孫達と、うれしそうに、歓談してくれた。そして、12月には、君津から列車を乗り継いで、みなとみらいの家を訪ねて来てくれた。
翌日、横浜中華街の店で、忘年会を楽しんで、太一のマンションに泊まっていった。帰りは、太一のエスティマで、アクアラインを抜けて、君津まで送って行った。そして、定年退職になったので、また、遊びに来るよと祖父母が良い、孫達が、待ってますので、お元気でというと、祖母は、涙ぐんで、百合、太郎、謙二を1人ずつ、抱きしめてくれた。やがて2011年を迎えた。