13話:子供達が小学生に
やがて2009年となり、百合は小学校3年生となり、太郎と謙二は、来年小学校にあがる。父親はもう少しで定年となる、昨年、太一が、みなとみらいに引っ越す時、将来、
こっちで住まないかと聞くと、新日鉄君津の社宅に長く住んでいて、会社の後輩、先輩も多く、気心の知れた人たちに囲まれて生活していた方が気が楽だと話していた。もう、あまり、にぎやかなところよりも静かな海辺の方が性に合っていると話していた。
太一も、社宅で長く生活していて、その気持ちもわかるので、そっとしておいた。東京アクアラインの開通で、みなとみらいからも車で1時間以内に行ける距離なので、何かあれば、直ぐいけるので、それ程心配しないで済む。それに、君津は、何と言っても生活費が安いのが魅力だ。仕事を終えて、夜釣りに行けば、数日分の小魚が釣れるし、潮干狩りで、
あさりなどの貝も手に入る。
一方、奥さんの由美子さんは、みなとみらいを満喫して、楽しんで生活していると、娘の百合も休みの日には、写生をしに、近くの海岸で、絵を描くのが大好きなようだった。最近は、母の持ってるデジタルカメラを借りて、多くの写真を撮るのが楽しいらしく、とった写真を両親に見せて、誉めてもらうのが楽しみなようだ。そして、撮りためた写真は、父のパソコンに移して保存していた。
最近は、算数の九九を覚えて、数学も好きなようで、ソロバンを買ってといい、暇があると、ソロバンの練習をしていた。そして、来年から、近くのソロバン教室に通いたいというので両親が学校を終えた後、算盤教室に入るのを許可していた。弟の2人は、元気が余っているのか、海岸沿いを2人で、毎朝ランニングして、楽しんでいた。そして走り疲れると、芝生やベンチに座って、遠くの船を眺めていた。
やがて、暑い夏になり、エアコンの効いた部屋でテレビを見たり、絵を描いたり、音楽を聴いたりして、子供達は、それぞれのスタイルで、生活していた。やがて、10月、少し涼しくなり、土日、たまに、子供達を連れて、映画を見に行ったり、橫浜駅まで片道、徒歩30分で出かけて、映画を見始めた。最初は、ア二メーション映画ばかりだったが、お年ちゃんは、母の好きな映画を一緒に見ていた。
11月になると、箱根、冨士五胡へ行き、美しい富士山、高原の紅葉、箱根仙石原のすすきを見たり、多くの写真を撮ったり、絵を描いたりして楽しんた。そして、富士吉田のあつあつの吉田うどんを食べて、体を温めた。そして箱根の温泉や熱海の温泉に入り、港の周りを散策して、多くの海の写真を撮ったり、熱海の昔懐かしい、お店屋めぐりをしてきた。12月を迎え、両親を呼んで、横浜中華街で温かい中華料理を食べながら昼間の忘年会をした。
12月24日には、ケーキとフライドチキンを買ってきて、自宅で、クリスマスパーティーを開いた。今年も、大きな問題もなく、元気に過ごせた頃に感謝をして、年を終えて、2010年を迎えた。しかし、太一の家の収支決算は、毎月、16万円前後の赤字で年間200万円前後の減っていた。そのため、約10年で2千万円が減り、現在の残金が8億円となっていた。
今年から太郎と謙二が、小学校にあがるので、新しいランドセルや洋服、運動靴を買いに行き、彼らも今年から小学生になるんだと、うれしそうに語っていた。昨年から、風邪対策として、毎晩、寝る前にうがい薬でうがいして、きちんと歯磨き、手洗いをする事を子供達に義務づけ、学校や外から帰ってきたときも、手洗い、うがいを励行させた。その効果で、風邪を引きにくくなった。