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とりかえばや

作者: 柳

 夢の中で、鬼が囁く。

『貴女の望み、ひとつだけ叶えましょう。さあ、心のままに』



 びっしりと黒板に書かれた文字を、右から順に消していく。チョークの白い跡が残らないよう、黒板消しを傾けながら滑らせていく。こういった細かい作業は好きだ。放課後の誰もいない教室で、誰にも邪魔されずに、ただ自分の気が済むまで、何もないまっさらな状態を作り上げる。ひとりでいるのは寂しいけれど、もう慣れてしまった。隣の教室で生徒が残って何かをしているのか、時々笑い声が聞こえてくる。その声をBGMにしながら、静かに黒板を綺麗にしていく。

 綺麗なものは美しい。当たり前のようなことだが、私はいつも考えている。綺麗という言葉は、私には似ても似つかないから、綺麗なものを見るとどうしても考えてしまうのだ。


 教室の一番後ろの窓側の席、いつもそこに彼女はいる。進藤(しんどう)()(すみ)。いわゆる才色兼備の彼女は、長い黒髪をハーフアップにして、綺麗な髪留めで留めている。その整った顔立ちで、少し微笑んだ様子で、窓の外を眺めている。

 彼女はとても静かだ。誰もが羨む賢さを備えながら、授業中も決して自分から発言することはない。休み時間になってもほとんど席を立たず、黙って文庫本を読んでいることが多い。その姿をこっそりと眺めて楽しんでいるのは、きっと私だけではないだろう。

 私もよく本を読む。休み時間に一人で読むことはまずないけれど、実は、授業中にこっそり読むことがあるくらいの読書好きだ。よく読むのは、平安時代の物語。勉強は中の下だが、古文だけは人並み以上だと思っている。

 進藤さんは、まるで平安時代からそのまま出てきたような、不思議な美しさを持っている。だから私は勝手に憧れて、いつか彼女のように綺麗で美しい女性になりたいと、そう思っている。一度も話したことはないけれど、彼女は私の理想そのもの。



 放課後のわたしは、いつもここへ来る。人気のない路地裏を通って、少し左へ行くと、そこにはあまり人に知られていない小さな公園のような広場がある。子供も大人もひとりもいないことがほとんどだけれど、寂びれたバスケットコートだけは、いつも変わらずそこにいてくれた。ひとりでいるには寂しいけれど、もう慣れてしまった。遠くの大きな公園から、ここにまで子供のはしゃぐ声が聞えてくる。その音をかき消すように、わたしは何度もボールを取り、何度もシュートを入れた。

 輝くものは美しい。当たり前のようなことだが、わたしはいつも考えている。輝くという言葉は、わたしには似ても似つかないから、輝くものを見ると、どうしても考えてしまうのだ。


 教室の真ん中あたり、いつもそこに彼女はいる。神木幸奈(かみきゆきな)。彼女はとても活発で、おてんば少女という言葉がとても似あう。ボーイッシュなショートに少し無造作に切りそろえられた前髪。いつも友人に囲まれながら、太陽のような輝く笑顔で笑っている。

 彼女はとても元気だ。女子サッカー部でエースをしていた彼女の運動神経はもちろん、話をしている様子を見ているだけでも、その元気の良さは伝わってくる。その楽しそうな姿に元気をもらっているのは、きっとわたしだけではないだろう。

 わたしも小学生のころ、サッカークラブに入っていた。中学入学と同時にこの辺りに越してきたとき、サッカーを辞めさせられてしまってから、遊びでも試合をやったことはないけれど、リフティングは時々している。とても彼女には並べない、お遊び程度の実力。

 神木さんは、まるで平安貴族の男性が蹴鞠をするように、優雅にボールを蹴った。その様子は、わたしにはとても美しく輝いて見えていた。だからわたしは勝手に憧れて、いつか彼女のように輝く美しい女性になりたいと、そう思っている。一度も話したことはないけれど、彼女はわたしの理想そのもの。



 夢の中で、ワタシは言う。

『彼女になりたい。ワタシの理想のように、美しくなりたい』



 私には二人の兄がいる。二人ともサッカー少年で、そのせいで私も物心ついた時からサッカーボールで遊んでた。元々素質がよかったのか、練習はそこまで必死にしたわけではなかった私だったが、一生懸命の兄たちを横目に、どんどん腕を上げていった。

 気が付いたら、サッカーをしていたのは、私だけだった。

 私が辞めたら、兄たちはなんて思うだろう。そう考えると、辞められなかった。



 わたしの家は昔から伝統にとらわれてて、女はお淑やかで静かであれ、それが両親の教育方針だった。小学生のころ、親の目を盗んで、サッカーを趣味でしていた叔父にお願いして、サッカークラブに入れてもらった。もちろん両親にひどく叱られたが、途中でやめることへの他人の目を気にした両親は、続けることを許してくれた。

 けれど許されたのは、突然の引っ越しまでだった。

 小学校卒業と同時に両親に連れられ、誰も知らない街に連れてこられた。あの時クラブに入れてくれた叔父とは、今でも連絡を取らせてもらえない。



 夢の中で、鬼が囁く。

『貴女の望み、ひとつだけ叶えましょう。さあ、望みのままに』



 私だって、本当は進藤さんのように静かで綺麗な女の子でいたかった。こんな短い髪じゃなくて、サラサラのロングヘアーにしてみたかった。サッカーだって嫌いじゃないけど、もっと本が似合う女の子でいたかった。

 でも私はこういう見た目で、こういう家庭で、こういう個性で生まれてきたの。

 変わりたい。私じゃなくて、彼女に。



 わたしも、神木さんみたいに、ほんとは元気で輝く女の子になりたかった。ひとり寂しく窓の外なんか見ても、何にも楽しくない。友達と大きな声で笑いたい。本を読むのは嫌いじゃないけど、もっとみんなでスポーツができる女の子でいたかった。

 でもわたしはこういう見た目で、こういう家庭で、こういう個性で生まれてきたの。

 変わりたい。わたしじゃなくて、彼女に。



 夢の中で、また鬼が囁く。

『貴女の望み、確かに叶えました。貴女を確かに彼女と取り替えました。ワタクシが叶えられる望みはひとつだけ、確かに貴女は彼女になりました。ああ、理想のままに?』



 ワタシは確かに、彼女になった。ワタシは確かに、彼女に憧れていた。でもその彼女は、ワタシの理想とは、遥かにかけ離れていて。


 遠くで、鬼がくすくすと笑う声がする。



 それからワタシが、夢を見ることはなかった。


                           Fin.

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