1話【無意識の謝罪のなかで】2/5
まあ取り敢えず冷静になれよ。と、言われ、俺はその瞬間に恥ずかしさに見舞われた。俺は「はい」と小さくぼやくと、椅子を引いてそこに腰掛ける。
今パソコンの液晶に映されているのは、「SKYPER」というフリーの通話ソフトであり、通話費も掛からず気軽にネットの友達などと会話が楽しめるソフトだ。俺は今これを通して、ある人と話をしている。
俺は咳払いをすると、通話相手が話を始めた。
「...急に何事かと思ったが...で、あれからどうだ?」
「...どうって...まあ、順風満帆...とはまた違うんですけど、最近、特に今年なんて怖いくらいに問題が起きていません」
「へえー。良かったじゃないか」
「...そう...ですね」
気まずい。思わず勢いでかけてしまったが、本来なら俺はこの人に合わせる顔なんてないのだ。実際は声だけで顔は合わせていないけれど。だから、俺はまずはこの人の虫の居所を聞き出さなくてはならない。
「あの...」
俺は口ごもらせる。
「れいんさん...怒って...ないんですか?」
「...怒る?何に」
「いやだから...俺が...その」
始めは俺の質問の意図を察していなかったが、暫くしてメッセージを悟ったらしく、「ああ...なるほどね」と小さく呟くと、鼻で笑った。
「...別に。まあ人は常に事件の爆弾を抱えて生きる生き物だからな。その爆弾がいつ爆発しようが、その人にはどうする事も出来ないんだから。特にお前に関しては、そういうくだらない過ちを気にしてやるよりは、良く無事でいられたね。と心配してあげる方が先だと俺は思うけどな」
「...くだらない...ですか」
「ああ。くだらないな。本当に。勿論俺からしたらの話で、あの時も周りに居た人やその光景を目の当たりにした人たちがどう思うかは俺も知らないけどな」
「それは...まあ。当然だと思います。だけど俺、れいんさんには謝らないといけないです」
「あの時はすみませんでした」の「あ」の口を作った時に、スピーカーからは浅いため息が聞こえ、否定が返る。
「おいおいやめてくれよ。お前を悪者にする程俺も落ちぶれてはいないよ。俺の事を思うなら、そういう考えは綺麗さっぱり流して、対等に話をしようぜ。な?」
「...そうですか」
この人は、本当にお人好しだ。俺が何をしても、「いいんじゃないか」「まあ、そういう日もあるさ」と、お茶を濁して気を取り直させようとする。ポジティブシンキングとは違うまた別の何かを、この人は持っている。そんなこの人の性格に惹かれ、俺は一時この人と時間を共にしていた。それも過去の話だが。
「...それでそらにくん。何か困りごとでも?俺に相談なんて言うんだから、もしかしてとんでもない爆弾を持ち込んできたんじゃあるまいな」
「...ああ。まあ...なんか...。誰かに話を聞いてもらいたかったのですが...相談相手が...れいんさんしか思い浮かばなくて...」
言おうか言わないか迷った俺の苦渋に対して、れいんさんは遠慮なく吹き出す。
「ははは!!あれから二年が経つというのに!!お前まだ友達作れてないのかよ!!」
「う、うるさい!こちらは訳ありなんです!友達はその...」
勿論。作ろうと思えば作れる。ただ、俺はくくると出会ってからの一年間は友達を作る事を極力避ける様にしていた。下手に友達付き合いが増えれば、くくると遊んであげる時間が減ってしまうし、何よりもくくるがいる手前、何故か友達を作る事には罪悪感を覚えていた。
だから言い直せば、くくるの為にも友達は必要な時にだけいればいい。という事だ。これは自己犠牲なのだろうか。だけど、少しでもくくるとの距離を縮める為に、自分がその現状におかれるのは、間違いではないだろう。こうでもしなければ、俺は他人の気持ちに気がつけない愚か者なのだから。
そんな愚か者にでさえ、簡単に手を伸ばしてしまうのがこの人なんだけど。
「友達は...今は...」
「へえ...そういう事か」
「...そう言う事って?」
「大方の察しはついてるっていう事だよ」
「え...いやいやまさか。そんな訳は...ははは」
俺はのどをごくりと鳴らす。そんな俺を嘲笑うかの様に、この人は言い退けるのだ。
「そらにくん。...もしかして、誰かの為に友達付き合いを減らそう...なんて考えてるんじゃないかい?」
「...な!?なんで!!!」
とまあこんな風に。
「図星...だな。相変わらず分かりやすくて助かるよ。いやあ話が捗る。余計な手間は省きたい質だからな」
...ったく。俺の周りの人間はどいつもこいつも...。
「...本当に...相変わらずですね」
「俺はいつも通りだ。...お前も、まあ変わらないようで安心した」
俺がこの人を極力避けてきた理由。そのきっかけは、紛れも無く、この人も「人間関係」を構築する天才だからだ。言わばくくるの言う所のメンタリスト。精神を操作する天才。他者の精神を理解する天才。くくるが断片で状況を整理する力を持っているとするなら、この人は断片だけで人の心情を理解してしまう。そんな才能に助けられ、以前も、俺が家族の事で悩みを抱えていた際にもこの人には幾度となくお世話になった。
れいんさんが居なければ、もしかしたら俺は飛び降り自殺なり毒薬自殺なりなんなりでこの世から姿を消し去っていたのかもしれない。命の恩人とも言うべきこの人に、本来なら頭が上がらないのだ。
だが、そんなお世話さえもあの頃の俺からしてみたらただのお節介だった。そんな自分勝手が過ぎて、今の俺がここにいる。
「とにかく…れいんさんに相談があるんです」
「ったく久々に会ったというのに嬉しい事を言ってくれるな。そうかそうか。まあ、それなら是非聞かせてくれよ。俺に向けてのラブレターを」
「言い方が悪いですよ...」
俺は事の経緯を洗いざらい吐き出す。俺の家族の事。くくると言う存在。俺の無能上での抱えている悩み。どうせこの人に隠し事をしたところで、くくる同様に勝手に解釈されて説明に補足されてしまうのが落ちなので、何かと隠す事は避けた。れいんさんは黙ってそれを聞いている。
「ふうん。随分と長丁場でお疲れみたいだな」
「...まあ、他の人よりも充実した人生は送っていると思います。ある意味」
「そらにくんの皮肉は久しぶりで心地良いな。ほんと。あの頃を思い出すよ」
「...あの頃...ですか」
「かせ...違うか。詩張夕空くんが、そらにくんだった頃の...あの頃かな」
長い説明は不要だ。だけど、紛れも無く俺は確かに「そらに」だった。意味合いは、他人の空似。そういう皮肉めいた名前で、俺はこのれいんさんという人とある活動をしていた。無論、「れいん」というのは言わばネットの中のハンドルネームみたいなものであり、俺同様に本名は別にある。そう言った名前で呼び合っていたのは俺の家族が崩壊の一途を迎える寸前の話。今では全くもって関係のない話だ。今でもそのれいんさんを本名で呼ばないのは、俺が単純にれいんさんの本名を控えていないからである。
もし知っていれば...、どうだろうか。多分、名前で呼んでいたと思う。
「まあ昔の事は今はいいだろう。なるほどね。それで、平凡極まり過ぎたこの日常から脱するべく、その義理の妹さんであるくくるちゃんをどうにかして引きこもりから救い出してあげたいと」
「...簡略化すればそうなります」
「ふうん。予期せぬ過去暴きで救われたあの子への恩を返しか...。健気なもんだ。俺ならありがとさんで済ませちまう所だけどな」
「俺はれいんさんほど器用じゃないんです。本当は、あいつにまた友達を紹介すればそれで済む話なんでしょうけど...それだと。昔の二の前になる気がして」
「まあ、くくるちゃんの友達が離れていく理由にそういった蛇足があるというのなら。間違いなくそういう事態は再発していくだろうな。それに、下手に才能に執着している人なら尚更そういう事に過敏になってしまうだろう。お前は自分を完全に諦めて生きているある意味レアケースだから、彼女にお似合いなだけなあってな」
「...言いたい放題ですね」
「褒め言葉と受け取ってくれればいい」
通話からは止めどなくとんとん...と、何かを叩く音が聞こえてくる。これはれいんさんの癖である、机を爪で叩く仕草だ。何かの考え事や、集中力を高めている時にはこういった音が時折聞こえてくる事があった。この人も、何も変わっていない。
俺が謎の安心感を覚えていると、れいんさんは口を開いた。
「...ところで、今回の問題は、本当にそれだけなのか?」
「まあ。俺が抱えている悩みでしたら、今の所はこの辺かと」
「…ほんとうに、たたき台はこれが全てなのか?叩く物がなければもはや話を煽る意味も無い」
「どういう意味ですか?」
あからさまに含蓄のある言葉を並べられて俺は訝しげに尋ねる。
「もし仮に、くくるちゃんの今の状況をどうにかしたい。というだけの悩みだったらそもそも俺に相談を持ちかける事自体がお門違いなんだよ。だってそうだろう?お前は性格上、他人の介入は最低限避けている。それならその話はくくるちゃん本人と直接相談をする筈だ。勿論くくるちゃんの心に傷をつけたくないと言うのならそこまでのお話なんだが...」
れいんさんはぶつぶつ言いながら、とんとんと一定のリズムを机に刻む。暫くの沈黙の後、れいんさんは再び、「ああ…なるほどね…」と呟くと、鼻で笑った。
「いーや、なんでもない」
「へ?」
「俺の思い過ごしだ。気にするな」
あまりにすんなりと話を流されてしまい、俺は自分でもびっくりするくらいの素っ頓狂な声を上げる。まあ...この人が思い過ごしというのならそうなのだろう。...いや、そうしなければならない。これは昔からの長い付き合いから分かる、言わば暗黙の了解と言った所だ。俺は気持ちを切り返す。
「それで、俺はどうすればいいと思いますか?何かアイデアが欲しいんです」
「アイデア...ね。出来ればここは人生の先輩らしくズバッと良い事を言って、そのお悩みに幕を閉じてあげたい所なんだけど。生憎、俺にも具体的なアイデアは思いつかない。...悪いな」
「...そうですか」
「ただ、これだけは言える」
「なんですか?」
れいんさんは意味有りげに間をためると、はっきりと言葉を返す。
「案外、挑戦する事は悪くない。失敗だって、きっと良い経験になる。乗り越え合っていけば、自ずと関係は縮まっていくものだ。以上」
「…なるほど」
「俺からはこれくらいだ。後は自分でどうにかするんだな」
まさか本当に人生観のある良いアドバイスを頂けるとは思っていなかった。言っている意味は...良く分からなかったけれど。
その後はなんら実りのない話で、昔話に花を咲かせる前にその莟を摘み取ってみたり。くくるの事に何故か興味を示してみたり、れいんさんのリアルの方がなかなか忙しいだの。充実してるなど。まあ当たり障りの無い範囲で話をしたりした。この間で俺が過去に犯した罪を言及する様な事は無く、やはりれいんさんなのだなと再認識する一方で、暫くして、れいんさんの方からこれから用事があると言われ、通話を切る形になった。
結局、俺がどうするかの今後の方針は立たなかった。
「突然すみませんでした。今日はありがとうございました」
と、俺は有り触れた挨拶をする。
「いいさ。元気そうで良かった。妹さんの事、うまくいくといいな」
「ありがとうございます...では」
「ああ最後に...」
俺が通話終了ボタンにマウスカーソルを合わせた所で、れいんさんが引き止める。
「これだけいいかな」
「...なんですか?」
俺は崩しかけた姿勢を正すと、画面に向き直った。
「毎度の事そらにくんには驚かされてばかりだが、実は今回の件でも、まあ驚いた事があった。収穫と言ってもいいくらいにな」
「…何ですか?」
「...だってさ」
あくまで落ち着いた口調で、れいんさんは続ける。
「そらにくんは極限にまで問題事を避けようとするタイプだと思っていたから。それが急に積極性を増して問題事に取り組もうとしているんだから。そんな姿を見せて驚くのも無理はないだろ?」
「…どういう事ですか?」
「そらにくん自分で言ったじゃないか。今年に入って問題はない。至って順調で純情な高校二年生だって」
「...そこまで言ってません」
「まあそこは軽く流せよ。でだ...そらにくん。今お前の身に起きている事が問題じゃないとするなら...そらにくんにとっての問題事って一体何になるんだ?今回お前は誰かに言われるのではなく、この件を自分の意思で踏み込んでいった。つまり...そらにくんにとって妹さんの件は、問題ではなく自分への課題…か何かと思っているんじゃないのかな」
関心というか、俺は呆然としていた。正鵠を射ているどころの騒ぎではない。まさにその通りで反論の余地は一切無かった。とまあその結果、
「...流石です」
俺はそう言わざるを得なかった。れいんさんは続ける。
「...しかし自分に課題を出すと言うのなら、その問題文にはしっかりと目を向けていかないとな。まさか空白から選択肢を出して解答していく訳にいくまい」
「随分と捻った言い方ですね...。つまり何が言いたいんですか?」
「つまりだ。そらにくん、実はもう気がついているんじゃないか?これからどうしたいのか」
「...俺が...ですか?」
「勿論」
俺にはこの人が何を言っているのか分からなかった。俺が気がついている?一体何に。心当たりも思い当たりもなく、俺はただただ頭の中に疑問を走らせるしか無かった。俺はかぶりをふる。
「...俺、本当に何も分からないんです。だからこうしてれいんさんに相談を持ちかけたんじゃないですか」
「そうだ。俺に相談を持ちかけた事がはなから疑問だったんだ。これまでもその妹さんとは一心同体に、一緒になって互いの事を考えて問題を解決してきた。そうだろ?それなのにどうして今回に限っては誰かに相談しようと思ったんだ?」
「...それは」
「それは」の後に続く言葉。頭の中では分かっている様に見えて、続きが出てこない。言葉は途切れ、俺は口を塞ぐしか無かった。
「それは、そらにくんが自分の中では既に結論を出していて、自発的に動いた結果だ。勿論そらにくん自身はただの相談のつもりで俺に話をしにきたのかもしれないが、どうやら本心は隠しきれないらしい。お前は今回、相談相手が「俺」が相応しいと無意識に心の内で判断して、俺に相談を持ちかけたんだ。だから言ってしまえば、俺はお前がしたい事の本心が分かっている。この場で言うつもりはないけどな」
俺を試しているのだろうか。それともれいんさんなりの気遣いなのか。ただ...。
「れいんさんにも気がつく様な事なのに...それなら、どうしてその答えに、本人である俺は気がつかないんですか」
俺が抱えた質問をはねのける様に返す。
「お前が本心から目を背けているからだ」
「...!」
俺は肩を揺らす。...どうしてだ。何も疾しい事なんて無い筈なのに。俺は嫌みたらしく「全くの見当違いだ。笑っちゃうね。もーう」と、肩を竦めても良い筈なのに、それなのに。俺はその言葉に、何故か胸の奥から締め付けられる感覚を覚えた。それはつまり。俺が本当に、本心から目を背けているからなのだろう。
「...そらにくん。もうそろそろ、自分を許してあげてもいいんじゃないか」
「...許すって」
「お前は過去の自分を許していない。だから向き合いたくても目を背けてしまう。お前がどうするべきなのか。どうしたいのか。本当は分かっているんだよ。心の中では。だけど目を背けているから気がつかない。気がついているのに気がつかない振りをしている。目を背けているからいつまでたっても、それが話に上がってこない。目指したい物があると分かっているのに、お前自身がそれを拒んでしまっているから、誰からも賛成もされない。否定もされない。叩かれない。叩き台にすらあがってこない。だからお前は、何も変わっていかないんだ」
「変わらない...」
途端れいんさんの声色が変わる。冷たく、透き通る声に。
「...そらにくん。始めに言ったよな?変わりたいって」
「俺は...その...」
「俺はどっちでもいい...。そらにくんは、どうなりたいんだ?」
「俺は...」
もしかしたら、俺が追いつめられているだけで、れいんさんは言い方を何一つ変えていないのかもしれない。勝手に苦しんで、勝手に解釈して、勝手に追いつめられて。だから俺は、そこで諦めてしまう。自分は愚かなのだと。俺なんかじゃどうすることも出来ないと決めつけて。
だからそう言う時は決まって話を逸らして、無かった事にしてしまうんだ。そうすれば一番楽だから。そうする事が、一番自分を傷つけないで済むから。だから俺は目を背けて、真実を暗闇に紛れさせてしまうのだ。
だけどそれじゃ...
「ー欲しいものは全部持っている。だけど、それはあくまで自分の中で完結すれば。の話」
...嘘だ。全部持っている訳が無い。自分の中だとしても、もっともっとやりたい事あるだろ?お前がもっと輝ける時だって、もっと沢山ある筈なんだよ。
「ー俺は正直言って、今の生活が好きだ。まあ昔のあの地獄から比べてしまえば、どれをとった所で俺にとっては天国である事には変わりないんだろうけど。それでも、俺には今の生活がお似合いだと思う」
...違うだろ。こんな生活...くくるが幸せの訳が無い。あんな監獄の中で一人きりで、このままあいつが一人きりなんて。そんなの間違ってる。それを認めた時点で、お前は本当の大馬鹿野郎だ。
くくる...。お前は、どうなりたいんだよ。お前の本心は、どうなんだ...?
...にい
...本当に、私の助けになってくれるの?
考えるまでもなく、あいつの本心は明らかだった。
「...変わりたいです」
多分声は、震えていたと思う。きっとそれが、俺が変えようの無い本心だったから。だからこの一言がこんなに怖いんだ。怖いけれど...これが、俺の本心だとすれば...。
「...変わらなくたって今のままでも十分平和で、何事も無い、平凡な毎日かもしれません。平和ボケした毎日の中で、小さな悩みだけが横行して、きっと最後は霞んで消えていきます。そうかもしれません...。だけど...だけどそれだと...きっといつか」
一度は塞ごうとしてしまった口を、もう一度開ける。
「その重なった悩みが後悔する事になると思うんです。過去の自分に...。あの時、きっとこうすれば今よりももっと良くなれた。あの時の俺のほんの少しの歩み寄りで、少しの勇気で、もっともっと俺は俺らしくなれたって...!そんなの...あまりにも辛いじゃないですか!どうにか出来た事がどうする事も出来ない事に変わってしまうなんて!だから...」
母の寂しげな顔。あの時に零した家族への思い。俺に何が出来たかは分からない。だけどその言葉に言葉を返す事は出来た。だから俺は、こんなにも過去に後悔しているんだ。
「もう...こんな気持ち。十分です」
俺の話に、先程からずっと無言を通してきたれいんさんも、耐えきれず息を吐き出すと、話を続けた。
「問題が無い事が問題だという事か...。それでも、なんだろうな。さっきから変わらない様に見えて、たまにそらにくんが俺の知らない別人に見える時がある。...つまりは、そう言う事かもしれないな」
「俺はそんな聡明じゃないですよ。でも...あいつが聡明なんです」
分からない。だけどきっと
「妹が賢くいてくれるから、俺が馬鹿でも、賢くいられるんです」
「...そうか」
この言葉はきっと俺の本心であり、くくるの本心だ。
「俺からはこれ以上は何も言わない。だけどこれだけは言わせて貰おう。もう自分を許してやれ。そして挑戦する前に諦めるのはよすんだ。やりたいことをやってみなければ、いつまでたってもやりたい事のままだぜ」
...俺のやりたい事。...俺が許すべき、過去の過ち。無能だったからこそ後悔し続けてきた。俺の心の弱さ。
「やりたい事はやればいいさ。だってそうだろ?失敗は慣れているんだから。失うものなんてないなら、怖がるものなんて何もない...そうだろ?無能くん」
「一言余計ですよ」
「そうかもな。本当に無能じゃなければ、ちゃんとそう言った言い返しも出来る」
俺は、ふふっと笑い出す。
「...やっぱり、流石ですね」
自分が目を背けてきた事。どうすればいいのか分からないのではなく、どうすればいいのか分かっていたけど、分からない事にしていた。それは、遠回しにしてきた過去からの課題。頭の中ではぼんやりと分かってはいても、それでもいまいちそれが形になっていかない。
「そらにくんにならきっと出来るさ。俺でも他の誰でもない。お前の夢が叶う時。それはきっと、そらにくんが持つ本当の自分の力だ」
「...はい」
「また話そう。いい結果を待っているよ。今度こそじゃあな」
そう言い残すと、れいんさんは通話から落ちる。パソコンからのノイズだけで静かになった部屋の片隅で、俺は椅子に深く腰を書けると、息を吐き出した。
「...やりたい事をやらなければ...いつまでたってもやりたい事のまま」
言っている事は当然の事でも、意識しなければ分からない。無意識に俺は目を背け、無意識に話の本題をねじ曲げていた。だから、れいんさんは俺に意識させたんだ。
意識させる事を意識させた。それが、俺が変わる上での近道だとあの人は判断した上で。俺に言ってみせた。
「俺のしたい事...くくると、一緒に目指せる...目標...俺は...」
確かに変わりつつ意識の中で、俺は小さく、ほんの小さく。あいつとの細やかな未来を思い描いていた。