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はなうた  作者: くろばね
6/7

6.

 商店街を抜けてすぐのところに、ちょっとした公園みたいな広場があって。


「うう、さっみい……」

「そりゃあ、冬に外でギター弾いてたらねぇ。私はこうなってからいつでも快適なんだけど」


 四曲ほど演奏した後で、俺と響はそこに来ていた。

 カップルが多かった記憶があるんだけど、さすがに冬の夜だ。誰もいない。

 冷たいベンチに腰掛けて、ホットの缶コーヒーを十本の指を押しつけるみたいにして握る。


「かーちゃん、指、ぼろぼろだね」

「これでも練習だけはしてたからな。上手くなってただろ?」

「うーん?」

「それは本当に傷つく」

「冗談だよ。すごく上手くなってた。その証拠に、ギャラリーもいたじゃない」


 そう。

 誰も立ち止まってなんかくれないって思ってたけど、二曲目あたりから、高校生くらいの集団が最後まで演奏に付き合ってくれていて。

 単に珍しいからなんだろうけど、その中の一人の女の子がえらく興奮して聴いてくれてたのは、たぶん一生忘れられないだろう。


「嬉しいな、ああいうのって」

「だね。私もなんだか嬉しかったよ」


 ふんふーんと、俺の演奏した曲を口ずさみながら、やっぱり響はくるくる回る。


「座らないのか?」

「座りたいんだけどね、ほら」


 とことこと響が歩いて来て、そろそろとベンチに腰を落としていく。


「おお、貫通してる」

「でしょー。不思議な事に地面とか家の床なら大丈夫なんだけどね。やっぱり偉大だよ、大地は」


 胸から上をベンチから出して響が笑う。

 シュールだ、シュールすぎて逆にリアクションできない。


「いやでも、幽霊か。初めて見たな」

「私もだよ。自分でもどうやったのかわかんないし」

「死んだのって一年以上前なんだよな? それからどうしてたんだ?」

「んーとね、お葬式が終わってからくらいかな? 自分が幽霊になってるって気づいたのは。最初はさすがにびっくりしたよー。誰も気づいてくれないし、鏡には映らなくなってるし」


 指を折って数えながら、響がそう説明する。


「最初は家にいたんだけど、うちってお父さんいないでしょ? 一人で泣いてばかりのお母さんを見るのが辛くてね。寝るときは部屋に帰ってるんだけど、わりとふらふらしてたかな」

「一年ずっとか? ひとりぼっちで?」

「たまーに見えてるっぽい人に出会ったり、たまーにたまーに話しかけてくれる人がいたりはしたんだけどね」

「霊感がどうこうってさっき言ってたやつか?」

「たまーに話しかけてくれる人がいるって言ったでしょ? 霊感どうのっていうのは全部その子の受け売りなんだ。うちの後輩にはいろんな人材がいるんだねぇ」


 なんでもない世間話みたいにけらけらと笑うけど、どんな気持ちなんだろう。

 気づいたら自分は死んでいて、誰にも気づいてもらえなくなって。

 自分の大切な人が悲しんでるのを、見ているしかできないなんて。


「ごめんな、全然気づいてやれなくて」

「連絡するなって言ってたのは私なんだし、気づけるはずないじゃない」

「それでも、ごめんな」

「ううん、今日こうやって会えたし、話もできたんだし。許してあげる」

「やっぱり怒ってるんじゃねえか」

「そう見える?」


 ふふん、と響が笑う。

 うーん、かなわない。

 強いなぁ、響は。


「俺もさ、帰ってきてたらよかったんだよな。意地なんか張らないでさ」

「あ、やっぱりうまくいってなかったんだ」

「わかってた?」

「なんだかかーちゃん、最初不機嫌だったしねぇ」

「そしたら、お前とももっと話ができたのに」

「……そうだね、それはちょっと残念だったかも」

「まあ、これからその分は償うから」


 って。

 これからどうなるんだ、響。


「なあ」

「なに?」

「お前、いつまでその、幽霊なんだ?」

「うーん、その子が言うには、やっぱり未練とかが残ってたらこうなりやすいらしいけどね。未練って言っても、自分でもいっぱいあるからわかんないなぁ。服ももっと欲しいしー、ケーキ食べたいしー、マンガ読みたいしー、旅行したいしー」


 真面目な顔で、さっきとは逆の手で指折り数える。


「それにまあ、一番の未練はたぶんまだまだ、下手したらずっと叶わないしね」

「なんなんだ? それ」

「秘密!」


 べーっと、響が舌を出す。なんだよもう。


「だから当分このままかな。幽霊って言っても空を飛べたりはできないからさ、かーちゃんと同じ新幹線に乗って、東京に行ってみようかなって。あ、飛行機かな? お金ないから青春十八きっぷかな?」

「やめろ。幽霊と一緒の飛行機とか生きて帰れる気がしない」

「もー、かーちゃんひどいよ!」


 けどまあ、そういうことなら。

 不思議な感じはするけど、まだ響といっしょにいられるのかな。


「でも……うん、そうだね。今度はいつになるかわからないし、かーちゃん」

「ん?」

「あのときの曲、弾いてよ。私もね、いっぱい練習したんだ」

「あのときって、学祭の?」

「うん。かーちゃんが帰ってきたら、また一緒に歌えるようにって。いいでしょ?」

「まあ、償うって言っちゃったしな」

「うんうん、素直でよろしい」


 缶コーヒーをベンチにおいて、ギターを取り出す。


「……これが一番の未練で、終わったらいきなり消えたりしないよな?」

「確約はできないけど大丈夫。あー、かーちゃん、私がいなくなったら寂しいんだ」

「うるさい。ほら、行くぞ」


 高校時代に初めて作った、今考えると幼稚な幼稚な、馬鹿みたいなメロディ。


「弾き慣れてるね」

「まあ、思い入れはあるしな」


 昔と同じように、地面を蹴ってリズムを取る。

 それを見た響が、すうっと息を吸って。


「羽ばたこうよ、すぐに 君はそう言った――」


 透き通るような声を出す。

 ぴんと張り詰めた冬の空気を割るような。

 澄み切った、響の声。

 俺にしか聞こえないのがもったいないくらいの、俺が惚れ込んだ歌声。

 その歌声が、俺のギターのメロディに乗って、空間を満たす。

 あっという間に曲が終わって。


「……どう?」

「なんで俺より上手いんだよ、お前」

「才能だよ、才能」

「はいはい」


 そのまま二曲目になだれ込む。


「ららららら 夢を描くよ――」


 悔しいけど、叶わないな、これは。

 曲を弾き終えて、ギターを弾く手を止める。

 これで終わるのはもったいないな。何か響が歌えそうな曲って……


「かーちゃん、三曲目」

「ん?」

「あのとき歌えなかった三曲目さ、歌おうよ」

「歌おうってお前、そもそもあれ」

「まあまあ、曲は弾けるでしょ?」

「そりゃまあ」

「だったら、大丈夫だよ」

「書いてたのか? 歌詞」

「死ぬつもりがなかったのは本当だけど、もしこの曲が未完になったら死んでも死にきれないと思ってね。病院で書いてたんだ」


 あとはまあ、暇だったし。

 そんな風に、響が笑う。

 馬鹿だ。

 そんな風に笑うなんて、ほんと馬鹿だな、お前は。

 けど、もっと馬鹿なのは、やっぱり俺だ。


「どんな歌詞かは聴いてからのお楽しみで――きゃっ」


 立ち上がって、響の前に立って。

 ぎゅうっと響を抱きしめる。

 抱きしめるけど。


「馬鹿。こんな風になってまで、そんな風に笑うなよ」


 俺の腕は響を抱き留めることが出来なくて、そのまま空を切ってしまう。

 だから、せめてもって、腕でわっかを作って、逃がさないように響を囲んで。


「か、かーちゃん!?」

「けど、やっぱり馬鹿なのは俺だよな。辛かったら辛いって、お前に言って、帰ってくればよかったんだよ」


 そうしたら、響だって俺に。


「だからお前、俺に辛いって言えなかったんだろ?」


 心配をかけたくないって言うのは、心配をかけられないの裏返し。

 頼れる人間じゃなくたっていい。

 ただ。

 ただ、俺がもっと、弱いところを見せられる人間だったら。

 響だってもっと俺を頼ってくれたかもしれないのに。


「響は俺の、大切な人なのに。ごめん、本当にごめんな」

「かーちゃん……」


 近くにいるのに、触れられない。

 そんな風になってしまったのは、俺のせいで。


「違うよ」


 響も俺の背中に、そっと腕を回してくれる。


「かーちゃんが謝る必要なんてないんだから」


 やっぱり感触はない。息づかいも感じない。

 こんなに近くにいて、声も聞こえるのに。

 そこに響がいる、実感が感じられない。


「私はね、かーちゃんが好きだったから。夢を追いかけて、飛び出して行っちゃった、無鉄砲な馬鹿が好きだっただけなんだから。だから、なにも気にしなくていいんだよ。私の事なんて気にしないで、好きなことをして欲しい。それが、私の望んだことなんだから」

「そんなこと出来るか、馬鹿」

「もう、かーちゃん、さっきから馬鹿っていってばっかりだよ……」


 泣くな。

 泣くな、俺。

 こんなところで泣いて、響に余計な心配なんてかけられないだろ。

 ぐっと目をつぶって、涙を押し戻す。

 そうだ。

 まだ響と一緒にいられる時間はあるんだ。だからこれから、ゆっくり償っていけば。

 決心して、目を開ける。


「……響?」

「あー、やっぱり未練、叶っちゃうとだめなんだね」

「……嘘だろ?」


 響が。

 真っ赤に目を腫らした響の輪郭が。


「一番の未練ってね、かーちゃんに好きって言うことと、かーちゃんに抱きしめてもらいたいなーってことと、どっちかだと思ってたんだ。ダブルで叶えちゃったら、そりゃまあ、こうなるよね」


 ぼやけて、薄くなっていく。


「響!」


 慌てて腕に力を込めるけど、やっぱり響を抱きしめることはできない。


「まあ、これが健全な状態なんじゃないかな。やっぱり幽霊っておかしいし」

「なんで笑ってられるんだよ! 消えてるんだぞ! お前!」

「うん、だからさ。かーちゃん、弾いてよ」

「そんな場合か!」

「そんな場合だよ!」


 響の笑顔、大きな目の端に、涙がたまっていって。


「最後なんだよ? かーちゃんと一緒に歌える、最後のチャンスなんだよ! 大好きな、私の大好きなかーちゃんの、大好きな演奏が聴ける、演奏してもらえる最後のチャンスなんだから!」


 ぽつり、とこぼれた。


「だから、ね?」


 そう言って、俺から離れる。


「……この曲、全然練習してないから、めちゃくちゃ失敗するからな?」


 嘘だ。

 いつか響と一緒に歌えるようにって、ずっとずっと練習してた。

 けど、それを言ったら本当に最後みたいで。だから。


「うん。間違えたら笑ってあげるから」


 そんな、響の軽口が聞きたくて、そう言ってしまう。

 さっきまでと同じように、足でリズムを取って、前奏を奏でて。

 響の入るタイミングを待つ。

 さっきまでと同じように、響もすう、と息を吸って。


「春が来たらね 種を植えよう」


 俺の知らない歌詞を、俺のメロディに乗せて。


「夏が来てもね 摘み取らないで」


 遠くに遠くに届けるように。


「秋が来たらね 枯れちゃうけれど」


 自分の生きた証みたいに。


「冬が過ぎたら 花は咲くから」


 歌う。


「最初の季節は一輪だけでも きれいな花にならなくてもね」


 高校時代、響はこの歌をラブソングにするって言ってたけど。


「大丈夫 心配しないで」


 ラブソングなんかじゃない。


「素敵な花が 花畑がね」 


 応援歌だ。


「僕にはちゃんと 見えているから」


 これは俺への、応援歌だ。


「……どう、かな?」

「馬鹿。一回聞いただけじゃ歌詞、覚え切れねえよ」


 だから、消えるな。

 消えるな、響。


「あ、それはね、大丈夫。私の部屋に高校のアルバムがあるんだけど、そこに焦げ茶色のくまさんつきの封筒が挟んであるんだよ。そこに全部書いてるから」


 こんなやつ、と。

 後ろが透けて見えるようになった手で、出会ったときと同じジェスチャーをする。


「全然探し物じゃないだろ、それ」

「あはは、かーちゃんと一緒にいられる口実が欲しくてさ、探し物とか、適当言っちゃった。けどほら、生きた意味とかを探してたのは本当だからね」

「最初から気づいてたからいい、許す」

「あー、ばかにして」


 喋ってる間も、響はどんどん、空気に溶け込むみたいに。


「……そろそろ、お別れ、かな」


 ぼやけて、薄くなっていく。


「平気、か?」

「んー、不思議と怖いとかはないんだよね。だから、大丈夫」


 へへへ、と笑顔を作る、響。


「行くな」


 その笑顔が、もう見れない。

 涙でにじんで、ぼやけて。


「そんなこと言わないでよ」

「行くな。行くなよ、響」

「そんな事言われても、無理だよ」

「無理でもなんでもいい! そばにいてくれよ!」

「かーちゃん……」


 崩れるみたいに、響が膝をついて。


「……やだ、消えたくない、やだ、やだよ」

「ケーキ食いたいんだろ? マンガ読みたいんだろ? 未練いっぱいあるんだろ? だから消えるなよ、俺のそばにいてくれよ!」

「やだ、やだよ! かーちゃんのそばにいたいよ!」

「いていい! いくらでもいていいから! 一緒にいてくれ!」

「かーちゃん! 大好き、大好きだから! だから、かーちゃんは絶対にやりたいこと、やってね! いっしょにいたいけど、こっちにきちゃだめだよ!」

「馬鹿! お前がこっちに来い! 一年もいたんだろ!? これからもずっとでいいだろ!」

「離れたくないよ! やだよ! かーちゃん!」

「響!」


 手を伸ばす。

 抱きしめるみたいに、響の首元に腕を回して。

 伸ばした手に、ふわっとした暖かさが乗ってくる。

 もう目の前に響はいない。

 けど、俺の手の中には。

 くるくるずっと踊ってた、真っ赤な響のマフラーが。


「響……」


 ぎゅう、とそれを抱きしめる。

 そこには確かに、温もりが。

 響がいた感触が、そこにはあった。

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