1.
電車がカーブにさしかかります。ご注意ください――
イヤホン越しでも、はっきりとそんなアナウンスが頭に入ってくる。
高校三年間、ほぼ毎日、一日二回ずつ聞いた声だ。耳が覚えてる。
そんなことで実感するのもなんだけど。
……帰ってきたんだな。
はなうた
電車を降りて、改札を抜ける。
三年ぶりの駅前は。
「変わってないなぁ」
思わず声に出してしまうくらい、高校時代となにも変わっていなかった。
改札を出てすぐ右手のコンビニとか、左手の和菓子屋とか、正面の魚屋とか。
普通は一つくらい潰れてたり全部潰れたりして『変わったな……』とか言うもんじゃないのか、こういうのって。
子どもの頃からよく来てた場所だけど、ここに来るのは三年ぶり。
高校を卒業した後、大学に行かずに上京する。
それを家族に反対されて、家出同然で家を飛び出して。
当然、実家には寄りついてなかったけど、それでも帰ってきたのには理由があった。
『奏? お父さんがね、倒れたの』
母親から、そんな連絡があったからだ。
親父は俺の上京を唯一認めてくれた人で、専門学校の学費なんかもこっそり(当然ばれてるだろうけど)出してくれている。
そんな親父が倒れたんなら、さすがに帰らないわけにはいかないだろう。
どんな状態なのか、詳しいことは話してくれないし、切羽詰まって電話してくるくらいだ、相当悪いのかもしれない。
と、ほんの5分前までは思ってたんだけど。
「あれ? かーちゃん?」
「かーちゃん言うな! お前のおかんじゃないし、せめてかーくんだろ!」
いきなり飛んで来た聞きなじみのある声に、脊髄反射で返してしまう。
……いや、今の声って。
「響?」
「え?」
目の前には、見知った顔。
幼稚園から小中高校までの同級生。
いわゆる幼なじみの女の子。
和泉響が、そこに立っていた。
「……え?」
それも超びっくりした顔で。
「声かけてきたのはお前だろ。なんだよその顔」
げんこつでも入りそうなくらい、あんぐり大口を開けて、こっちをじーっと見る響。
「なんで?」
「あー、いや、その。いやでも、そんなにビビるか?」
「え? あ、うん。ごめんね」
響は俺が出て行った事情も知ってるし、帰りたくない事情ももちろん知ってる。
だからまあ、急に地元で出会ったら驚くのも当然だろう。
……いや、さすがにこれはビビりすぎだろうとは思うけど。
こほん、と小さく咳払いをすると、響はにこっと笑って。
「帰ってきたんだ!」
きれいに揃えた、ショートボブの黒髪が揺れる。
首元には赤いマフラー。身長が小さいから、だぼっとした感じになるのをいつもからかってた、茶色のコート。チェックのスカートにストッキング。
曰く、お気に入りコーディネート。
その実、手抜きのおきまりセット。
こいつもまったく変わってないな。
「どうしたの?」
「え?、あ、いやまあ、なんというか」
じっと見てたのが恥ずかしくなって、目をそらす。
「あれだけ大口叩いて出て行ったんだもんね。やっぱ恥ずかしい?」
「じゃなくて、ほら」
着信履歴の画面にした携帯を見せる。
「かーちゃんの、お父さん?」
「かーちゃんなのかとーちゃんなのかはっきり……じゃなくて、かーちゃん言うな」
「はいはい。奏のお父さん?」
「いや、親父が倒れたって母親から連絡があって、それで帰ってきたんだけど」
「あれ? 今朝もすれ違ったけど、元気にランニングしてたよ?」
「ランニングとか始めたのか、あの親父……」
その親父から『あれは母さんがお前に帰ってきて欲しくてついた嘘だから。俺ピンピンしてる』って電話があった。それもついさっき。
途中で帰られると困るから、逆算して着いた頃に連絡してきたんだろう。
「というわけで、なんかどうしていいかわからん」
「そりゃあ奏のお母さんも心配するよ。東京で音楽やるって出て行って、それから三年、ほとんど音信不通でしょ?」
「親父には時々連絡してたんだけどなぁ」
と、連絡といえばだ。
「お前こそ一年くらいずっと音信不通だっただろ」
「え……あ、その、すいません」
「電話してもメールしても返事無し」
「反省してます。ええとね、色々やることがあって……」
下を向いて、ばつが悪そうな顔をする。
向こうに行ってからも、響とはわりと連絡を取り合っていた。
……んだけど、それも最初だけ。だんだん返事の間隔が延びていって。
言ったとおり、ここ一年ちょっとはぱったり連絡が途絶えていた。
正直なところ気になってはいたんだけど、俺の方にも余裕がなくて。
でもまあ。
「元気そうだからいいや、許す」
「元気そう……うん、そうだね。元気。かーちゃんにも会えたし」
「だーかーらー!」
けらけらと響が笑う。絶対わざと言ってるな、こいつ。
「で、響は? なにやってんの?」
「何してるって、人って人生においては果たして何を為そうとしているんだろうね」
「そんなこと聞いてないからな」
「かーちゃんは? 今から家に戻るの?」
「いやまあ、親父にも顔出せって言われたし、こうなったら一回帰るけどさぁ」
顔を出せ、というか大事な話がある、とのことで。
なんだろ、今更地元に帰ってこいとは言われないと思うんだけど。
「あー、帰りづらいんだ」
「……まあ」
さすが幼なじみ。痛いところを突いてくる。
幼なじみというか、響とはわりとその、なにかと一緒に行動してたというかなんというか。
つきあってたわけじゃないけど、俺の認識では少なくとも友達以上ではあったというか。
そんなわけなので、良く言えば遠慮がない。悪く言うなら容赦がない。
お互いそれが普通だったし、三年のブランクがあっても、やっぱりそれは変わらなかった。
「よし!」
ぶん! と響がこぶしを突き上げる。おお、このアホな仕草、やっぱり変わってないな。
「それじゃあ、私につきあってくれない? ええっとね、探し物、してるんだ」
「探し物? 何を?」
「え?」
「いや、探し物なんだろ? 何探してるんだよ、買い物か?」
「ううん、そうじゃなくて、落とし物? 忘れ物? みたいな感じなんだけどね。えーっと、ちょっと待って、考えるから」
こいつ大丈夫か。
響は腕組みしてうーんうーんとうなったあげく、謎のジェスチャーを交えて。
「こう、四角くて小さいの。それだと思う、うん」
「お前って前からなんかこう、そういう変なとこあったよな」
「もう! 何が変なの!」
「普通の人間は落としたものはきちんと把握してるぞ?」
「まあまあ、細かいことは気にしない。それじゃあ、移動しよっか。ここで騒いでると迷惑だし」
言われて周りを見ると、確かにこう、みんなこっちを見てるような。
「一応ね、どこにあるかの心当たりはいくつかあるんだ。だから、そこを見てっていい?」
「落としたのはいつなんだよ。今日の朝?」
「うーんと、一年前くらい」
「警察行った方が早いな」
「まあまあ、ほら、いこー!」
ずんずんと響は歩いて行く。
何が何だかさっぱりわからないし、からかわれてるのかもしれない。
それでも、やっぱり帰りづらいのと。
「……いやいやいや」
もう一つ浮かんだ考えを打ち消す。
俺と一緒にいたいから、理由をつけてつきあわせてる、とか。
ないな、ないない。
「ほらかーちゃん! 急ぐよ!」
「せめてかーくんにしろ!」
まあ、久々だしな。つきあってやるか。