第五話 通達
きらめく太陽と暖かい日差しが大きく開かれた窓から部屋へと差し込む。
心地よい熱気と風がカーテンを揺らした。
木々と水の音が室内を鮮やかに彩る。
宮殿内はルナが逃げ出したというのに恐ろしいほど静かだった。
国内は普段と変わらず、紅い満月が昇ったというだけで人々は何も関心がない。
宮殿内にあるとある一室を除いて使用人や兵士が普段通りだ。
豪奢で広い室内に色が乗せられているというのに部屋にいる一組の男女はその場にいれば誰もが恐怖で固まってしまうような態度をしていた。
一人はこの国の王ともう一人はその妻である女王である。
女王は豪奢な白と青を基調としたシャムスとは違った形のドレスと銀細工と金細工、宝石を使った華美な装飾品を着て国王に紅茶を入れていた。
国王も白と金を基調とした裾が長いシルクをふんだんに使ったアラビア調の服を着ていた。
宮殿内にある執務室ではルナとシャムスの父である国王はルナが逃げ出したことを知り、恐怖と憎悪と混沌を表したような表情をしていた。
国王の顔には深く刻まれた皺と疲れ切った表情をしているのに対して女王の顔は未だに美しく、若く、シャムスに瓜二つの相貌をしていた。
二人の態度と対照的な景色は明るく、慈愛に満ちていた。
窓の外は絶景で下を向けば、流れ落ちる滝が城下町に向かって流れて落ちているというのに。
この宮殿は魔法の力で浮遊島のように巨大な宮殿を浮かせていた。
滝は宮殿から流れている小川から崖に向かい、そのまま重力に沿って流れ落ちている。
下には巨大な湖があり、国の生活用水として扱い、湖は滾々と湧き出る地下水から出来ていた。
宮殿はすべて白磁とガラス張りのクリスタルの塊。
常夏の国であるミストリア魔法国は太陽の光がきつい為、太陽光を吸収し、反射しない特殊な鉱石を使って建物が建てられていた。
国王は椅子に座って険しい表情をしていた。
「・・・まだ見つからないのか」
重々しく開かれた口に傍にいた女王はにやりと冷たい笑みを浮かべた。
くるくると、長い白髪を指で巻き付けながら呟く。
「いずれ見つかりますわ。どうやらこの城に裏切り者がいる。それは確かです」
あの化け物は我々の糧ですから。
弄っていた髪を指から外し、白魚のような真白くて細い手は国王の骨張った皺だらけの手を握る。
「手引きした者はすでにわかっておりますゆえ・・・あとはあの男が戻ることのみ」
「あの娘が生きているだけでこの世が地獄に見える」
「その苦しみも、もうすぐお仕舞いです。あなたは私の言葉だけを信じていれば万全です」
憎々しく呟かれた言葉に対して女王の表情は恐ろしいほど綺麗な笑みを浮かべている。
長く美しい白髪はさらりと揺れ、銀の瞳は宝石みたいに輝いていた。
洗脳じみた発言をしているというのに国王はそれに気づかず、目の前の紅茶を啜る。
その時、窓の方面から人の気配がした。
大きく開け放たれた窓には黒衣の男が窓枠に座っている。
銀の短髪が日に当たって煌く。蝶の刻印が入った仮面を外さずに国王たちを見ていた。
その男はアルメールでアルトを襲いに来た暗殺者であった。
「おお!戻ってきたか」
国王は男を見て椅子から立ち上がった。
興奮冷めやらずに男に向かって声をかける。
「見つかったか?」
「・・・ああ。お前たちのお目当ての女はいたよ」
仮面の向こうにある表情は見えないが、淡々とした口調なのは伺えた。
「どこにいる」
「アルメール帝国に匿われていた。皇帝の庇護下にある」
ルナの潜伏先を目の前の二人に伝える。
この男はアルトの暗殺のほかにルナの暗殺も請け負っていた。
「黒髪で赤い瞳の少女・・・。確かにどこにでもいるわけではない。簡単に見つかった」
黒い髪。ルビーのような赤々とした真っ赤な瞳。
乳白色の肌と血色が悪い頬の色。
国王が与えたルナの容姿の情報だけで男は彼女を特定した。
「なぜ目の前で殺さなかった!」
男の発言に国王は怒りの声を上げた。
実の娘であるルナに対する酷い仕打ちだというのに、この国王には良心がない。
「お前にはその娘の暗殺と血を持ち帰るという命令を出していたはずだ」
「・・・お前たちには関係がない」
ぞっとするような冷たく低い声を男は出した。
国王は肝が冷えたように冷や汗をかく。女王は素知らぬ態度で黙っていた。
「勘違いしているようだが、俺はお前たちに忠誠を誓ったわけじゃない。その気になればお前たちなど一瞬だ」
男は利害が一致しているだけだと言い放つ。
「・・・せいぜい短い人生を歩むことだな。井の中の蛙なのはお互い様だ」
男はそう言ってその場で消える。
消えた男の視線を追って国王はいないことを確認すれば、「ガキが調子に乗るな」と悪態をついた。
その部屋の外の壁に盗聴魔法陣を小さく貼り、自室である宮殿内の部屋でその会話をシャムスは聞いていた。
ルナがうまく逃げだして亡命先で匿われているのを知り、安心する。
それと同時にまだ命が狙われていることに絶望した。
シャムスは両親の計画を知っていた。それにはルナの死が必然だということも。
だからこそ彼女を逃がしたというのに・・・。
ルナには何も罪はない。生まれただけで罪だというのならこの世は罪人だらけだ。
シャムスはルナの無事を祈ることしかできなかった。
ルナは夢も見ない浅い眠りから目を覚ました。
見覚えのない天井に今、自分がどこにいるのか覚醒しきれない頭でぼんやりと考えるが、視界に入ってきた景色にここはアルメール帝国にある城の客室だと思い出した。
塔の自室にあったベッドと違うふかふかのそれに客室が広いので徐々に現実味を帯びてくる。
ルナはベッドから体を起こした。
身体を少し動かしてみて、思ったよりも疲れが取れていないことに気づく。
無理もない。
こんな状況下で呑気に深く睡眠がとれるならすでに自分はここにいない。
元々、塔の自室ですら十分な睡眠をとれていなかった。
光が差さない冷たい空気に晒された薄暗い部屋は、気を滅入らせるのに十分な機能を果たしていた。
ルナはベッドから降りて、バスルームに向かった。
この部屋のバスルームはトイレ別で塔なんかよりもずっと使い勝手がいい。
塔には湯船がないばかりかお湯が出ない狭く小さなシャワールームがあっただけ。
トイレもしかり。最低限の設備が整えられていたのをここでようやく初めて知る。
それ以外は囚人の扱いそのものだということも。
シャワーを浴び終えていつもの服に着替えた。
髪は濡れたままなのはいつものことだが、目の前にある洗面台に風の魔力が入った魔導器が置いてある。
アンティーク調の四角い機械には風の魔力が入っている緑の結晶石が嵌め込まれていた。
魔導器とは魔法を発動するための装置で姉のシャムスは指輪とイヤリングを魔法を発動するための装置として扱っていた。
それ以外の魔導器を見たのは初めてだったが、周りを見渡して使ってみる。
手を触れれば丁度いいくらいの突風が巻き起こった。
風が髪に纏わりつき、乾かしていく。
それを見て塔にいたころはタオルで適当に乾かしていたことを思い出す。
しばらくして魔導器の魔力が消えたと同時に髪が乾いた。
それを姉が塔でやってくれたように整える。
最後に赤薔薇のコサージュを付け直せば、部屋にノックが掛かった。
その音を聞いてバスルームから出ればもう一度ノックが掛かった。
ルナはドアに近づいて恐る恐る開ければ使用人の女性が食事を持ってきていた。
台座にはパンとスープとサラダ、果物が用意されている。
量は昨日の夜に比べて少し少ない。一人前よりも少し量が減らされている。
どうやらアルトがルナの食事量を見て調整するように仕向けたのだろう。
「お嬢様。朝食でございます」
女性はミニキッチンの前にあるテーブルの前に食事を乗せて行った。
「ありがとうございます」
ルナは女性にお礼を言って椅子に座る。
「食事が終わりましたら、そちらのベルでお呼びください」
テーブルの上には食事とは別に小さなベルが置かれていた。
女性は失礼しますと頭を下げて台車を引いて部屋を出て行った。
ルナは頂きますと手を合わせてから食事に手を付け始めた。
食事を終えて下げてもらった後、ルナは部屋の中を散策してみた。
昨日はあまりにも急展開過ぎて落ち着いている暇がなかった。
今日はほんの少しだけ余裕が持てそうだ。
まずはクローゼットを開けてみる。
中は空っぽだが、かなりの容量を誇るウォークインクローゼットはルナが余裕で歩けるほど広い。
ドレスが何着でも入りそうだ。
ルナはそこに姉が持たせてくれた灰色のマントを大切に仕舞った。
それからドレッサーを見る。引き出しには鍵が入っていただけで何もない。
開かれた三面鏡には自分の姿が映っている。
真っ赤な瞳にさらりと揺れる黒い髪。血色の悪い乳白色の肌。
お世辞にも言い難いほど細すぎる身体にほんの少しだけ豊かな胸。
ルナは自分自身から目を逸らした。
人から見れば美少女なのにルナには化け物にしか見えなかった。
美しいのは姉であるシャムスだけだ。
ルナは三面鏡を閉じて備えられたミニキッチンに向かった。
ドレッサーはベッドの隣にあったため、キッチンはその反対側の壁際にある。
洗い場は思ったよりも広く、火元は火属性の魔法陣が描かれていた。
この国はミストリアと同じように魔法が発達しているように思えた。
バスルームにあった風の魔導器にキッチンの魔法陣を見てここは知識と機械、軍事力に特化した国ではなかったのかと思う。
気になったが、自分にはそれを知る権利は今はない。
気を取り直してキッチン下の物入れを開けて中を覗いた。
中には何もない。隣には小さな冷蔵庫がついている。
開けてみれば水の魔法陣と風の魔法陣が組み込まれた術式で機能していた。
中には水が冷やしてあるだけ。
ルナは部屋にあったものをすべて確認し終えると、暇になってしまった。
塔にいたころは部屋にあった本をカバーがよれよれ、ボロボロになるまで読んでいた。
けれど、この国と部屋にはそれがない。
(どうしよう・・・)
部屋を出るのは躊躇する。ルナはベッドに座って窓の景色を見た。
城下町は朝日に照らされてレンガ造りの街並みが輝いている。
街には朝市があり、活気づいて新鮮な野菜や果物、魚介類を人々は購入していた。
その先には大きな広場があり、子供たちが元気に遊びまわっている。
蒸気機関車もフル稼働で人々を運んでいた。
さらに南下のハーメルンの街並みのほかに別の町が見えた。
ハーメルンは緑色の屋根が多いのに対し、別の町は赤色だったり、橙色だったりしている。
また、この城から直接続く城下町の屋根は青だった。
「今まで見てきた景色とはずいぶん違う」
今まで見てきた景色は浮雲と青空、それから初めて見た夜空と星。
石造りの部屋だけだった。
しばらくそうしていれば部屋にノックもせずに人が入ってきた。
「随分と退屈そうだな」
入ってきたのはアルトと従者であるハルだった。
「多分暇だろうと思って仕事を持ってきた」
いきなり入ってきてそう言ったアルトはキッチンの前にある椅子に座った。
ルナも同様にアルトの前に座る。
お茶の一つでも出したいところだが、来たばかりで何もなかったため用意ができない。
「あの・・・仕事ってなんですか?」
ルナは仕事についてアルトに問いかける。
不思議に思ったルナの態度にアルトは話し始めた。
「最近、忙しすぎて自室が散らかりまくっている」
アルトはここ最近寝てない日々を送っており、自室は散らかり放題だそうだ。
机の上には山積みされた書類の束の処理に、会議が度々起こって眠れていない。
好きな読書もする暇がない多忙の日々を送っていた。
ルナは来たばかりでアルトの状態を知らなかったためそんなに忙しいとは思わなかった。
そう言えば初めて会ったときにベッドではなくソファーの上に寝そべっていたのを思い出す。
「そこで俺の部屋の片づけをしてもらいたい。本を棚に戻せばいいだけだ。掃除はメイドたちがやってくれる」
「どうして私なんですか?」
「客人に暇をさせるのは俺の主義に反する。それに自分から俺の処にも来なさそうだしな」
ずばりと言い当てられてルナは言葉を詰まらせた。図星だ。
いくら客人扱いされているとはいえ勝手に、しかも皇帝陛下の部屋を訪ねるのは憚られた。
「でもほかの方でもよろしかったんじゃないですか?」
「俺の本の量は多すぎて片付けられないとさ。しかも俺は読み漁ってすぐさまそこらへんに置いておくから質が悪いとメイド長に言われたことがある」
どこまで本好きなのだろうか。
自分も結構な本好きだと自負しているがこの男は異常だ。
使用人だってほかの仕事があるはず。
皇帝の部屋を掃除しなければならないというのに彼自身が散らかし放題にしているせいで進まないのだろう。
前に見たときは部屋が広いわりに本が積み重なっていて狭く感じた。
埃が被っていなかったのはメイドたちが毎日掃除をしているからとルナは悟った。
「だから給金も出すし、褒美に好きなだけ本を読んでいい」
何故命が狙われているか知りたいんだろう?
そう言われて自分ができるかどうか迷ったが、目的のためにもやってみようと思った。
もう今までの自分じゃない。新しい世界に踏み出すチャンスだ。
「わかりました。お受けいたします」
「ありがとう」
アルトはポケットから折りたたまれた契約書と万年筆を出してルナに渡した。
ルナは契約書を見てサインする。
読み書きと計算と魔法陣の属性や種類は姉から教わっていた。
魔法の使い方と呪文は教えてもらえなかったが、魔法陣の種類と属性を姉が紙に書き起こして教えてもらっていた。
危険を冒してまで教えてもらったことに感謝の気持ちでいっぱいだった。
フレイにもらった名前を初めて文字に起こす。書き終えた書類をアルトに渡した。
それを確認したアルトは再びポケットに直した。
「それでいつから仕事を始めればいいんですか?」
「本当は今すぐにでもやってもらいたいところなんだが、今から出かけなければならない」
そう言ってアルトは席を立ちあがった。
「だが、ちょうどよかった。暇そうだしお前も行くか?」
「え?」
「別にいいよな」
唖然とするルナを横目にアルトは傍にいたハルに向かって声をかけた。
今まで黙っていたハルはいったん逡巡してルナを睨みつけてから諦めたように苦々しく口を開いた。
要するに嫌なんだろうとルナは頭の隅で思う。
「皇帝陛下の仰せのままに」
皮肉を込めた言い方にアルトは気にも留めない。
彼はルナの腕を引っ張り上げて立ち上がらせた。
「いったいどこへ行くというんですか?」
「街の巡回だ。それから、ルナ」
「はい」
「敬語は使わなくていい」
いきなり言われた言葉にルナは困った顔をする。
今まで目上の人に丁寧な言葉遣いを心掛けていた。
いきなり敬語は使わなくていいと言われて困惑する。
敬語は姉曰くそれが礼儀であると学んでいたからだ。
アルトはそれをわかった上で続ける。
「俺は敬語が好きじゃない。普通にしてくれ」
「でも私・・・これが普通で」
戸惑うルナにアルトは笑った。
「だったら皇帝陛下とかそう言い方は公式の時だけにして普通に名前で呼んでくれ」
「名前・・・」
「俺の名前はわかるだろう?」
「アルト・・・?」
一瞬迷ってアルトの名前を呼んだ。
小鳥のさえずりのような小さな声にアルトは満足そうに微笑んだ。
「どうして疑問形なのは置いておくが・・・これからはそれで呼んでくれ」
行くぞとルナはアルトに引きずられるような形で部屋を出た。
外へ向かおうと進んでいた時、アルトはルナの服に気づいた。
いかにも人から見たら寒そうな格好だ。
ルナの格好は今まで着ていた服装をしていた。
常夏の国であるミストリア魔法国と違い、ここは昼とはいえ肌寒い。
この国は北に位置しているため気温が常に低い。
四季はあるにはあるが、夏の期間がとても短く満月が続く国だ。
溜息をついた後、適当なコートを持ってくると言って自室に戻っていた。
それを見届けた後、城の玄関口で二人きりになったとたん、ハルはルナに厳しい視線を向けた。
「お前はどういう立場なのかわかっているのか」
ハルはいきなり食って掛かった。
初見で刃を向けられたのでルナはハルが苦手であった。
「陛下はお前のことを客人として扱っているが私は捕虜の扱い同然として扱っている」
明らかな敵意むき出しの感情にルナは努めて冷静に聞いていた。
(そうだ。私は忘れていない。)
自分は今まで囚人と同様に扱われ、死を望まれていたことを。
今でも命を狙われ、死を望まれているのは変わりない。
それがここにきて薄れてしまっていた。ルナは感情を深く沈めた。
「陛下の命でお前を殺さずにいられることを光栄に思え」
「・・・ええ、今ここで殺されなくともいずれ殺されるでしょうから」
―あなたの手にかからずとも。
ルナは感情を凍らせて冷たく言い放つ。それを受けてハルは驚いて目を見開いた。
それと同時に紺色のコートを持ってきたアルトが戻ってくる。
二人の冷え冷えとした空気にアルトはすぐに何があったか気づいて再びため息を吐いた。
アルトは黙ってルナに近づいてコートを渡した。
ルナはそれを羽織ると、ボタンを閉めてアルトの背を追った。
「街の巡回と言っていましたが、アルト自ら出向くことってよくあるんですか?」
この国に来たばかりで街のことをよく知らなかった。
最初に着いたのは入国管理がある南の街・ハーメルンのみ。
ルナの問いかけにアルトは隠すこともなく普通に答える。
「二週間に一度、二、三日かけてすべての街を回る。国内情勢を知るにはこれが手っ取り早いからだ」
アルトは用意された空間転移ができる移動魔導器を装備しながら城を出た。
ルナもアルトに続いて城の玄関から城下町に降り立つ。
「基本的に貴族や上層階級の奴らは自分の保身しか考えない。国民の話や悩みを聞くのも俺の仕事だ」
「陛下。彼女にそこまで教えていいんですか」
アルトの背からハルの抗議の声が上がる。
後ろで歩いていたハルは不機嫌な態度でアルトを見ていた。
アルトは眉間に皺を寄せて腹ただしそうに向き直った。
「お前、いい加減慰にしろ」
殺気を漂わせた彼の態度にハルはすぐに冷や汗をかいた。
「先ほどのルナに対する態度は捕虜の扱いをするのは同然とそういう風に見えるが?」
「・・・っ!見ていたのですか」
気まずそうに呟く彼の言葉にアルトは畳みかける。
「彼女はもうここの国民だ。ミストリアの女じゃない」
アルトはそう言ってハルを責めるが、ルナは彼を止めた。
「アルト・・・そのくらいでいいんじゃないでしょうか?」
萎縮しきっているハルがとても可哀想になってきた。
ルナはこれ以上責めても仕方がないとアルトに言う。
ハルの厳しい態度にルナは気にも留めていなかった。
むしろそれが正しい姿だ。自分は旅行者でもない。
ミストリアから逃げてきた難民なのだから。
素性がわからない自分に警戒するのは当然のことだ。
「彼女も反省しているようなので」
「お前に慈悲をかけられるほど落ちぶれていない」
「ハル!」
ハルの反省しない態度にアルトは叱責の声を上げるが、それを無視してルナに対して彼女が勘違いしていることを指摘する。
「それから私は女じゃない。男だ」
「え・・・」
ルナは驚きの余り小さな声を上げた。
男・・・?女じゃなくて?
ルナはハルから視線をアルトに向けた。アルトはそれを見て笑いを堪える。
一気に殺伐とした空気から明るい雰囲気に変わる。
顔を背けているが、肩が小刻みに震えていた。
耳に着けられたイヤーカフがそれに合わせて揺れる。
「男の人だったんですか・・・・?」
「ああ。女に見えるがこいつはれっきとした男だ」
アルトはルナの言葉を肯定して行くぞ、と先へ進んでいった。
茫然とするが先に進んでいく彼らにルナは慌てて追いかけて行った。
街に出れば街の人々がアルトを見て声を上げた。
子供たちが皇帝陛下だ!と大きな声を上げて彼の前に集まってくる。
「今日は巡回の日なんですね」
子供たちの母親の一人がアルトに話しかける。
「そうだ。ところで何か困ったことはないか?」
それ、二週間前にも聞かれましたよね?とクスクスと母親たちは笑った。
どうやらいつもの常套句らしい。
「今のところはないです。この国の人々は今までの生活に比べればすごく幸せです」
母親は穏やかにそう言って子供の頭を撫でていた。
「私たちは陛下にとても感謝しております」
「また困ったことがあれば文でも書いて飛ばしてくれ。俺は国民を見捨てない」
「お心遣い感謝します」
母親たちは深々と頭を下げた。ほかの人たちも同様にする。
ルナはその言葉と態度にアルトが国民にとても慕われていることを知る。
「陛下、そろそろお時間が」
傍で控えていたハルの言葉に反応したアルトはその場を去ろうとする。
「えー!陛下もう行っちゃうの!?」
子供たちが拗ねたような発言をしてアルトを引き留めようとした。
こらっ!駄目でしょう、と母親が嗜めるように声を上げるが、アルトは子供の視線に合わせて膝をついてクシャリと頭を撫でた。
「悪いな。今日はあまり時間がないんだ」
「そんな・・・」
「それに客を案内しなければいけないんだ」
アルトはルナに指をさす。それを見た子供たちがルナを興味津々な視線を向けた。
「もしかして陛下の恋人?」
子供の無邪気な言葉に思わずルナは赤面してしまうが、アルトは否定する。
「違うぞ?」
「そうなんだ。でも綺麗な人だね。瞳が赤いけど、この国の宝石みたいでいいなあ」
綺麗と言われたのは初めてだった。瞳のことも宝石みたいだと褒められたことも。
綺麗と言われたのはこの黒い髪だけでそれ以外言われたことがない。
瞳の色は命の色・炎の色だとアルトは言っていただけ。
ルナは俯いて感情の高ぶりを抑えようと胸を抑えた。
嬉しいと純粋に思った。嫌われ続けたこの瞳が褒められたことが嬉しい。
「お前は将来いい男になるな」
小さな男の子にそう微笑んで立ち上がれば、帝都から別の街へ移動するためにその場を去った。
そのまま帝都の城下町を一周してから人目のつかない古民家に三人は入る。
「・・・宝石のような瞳って言われました」
移動魔導器を発動させたアルトに対して先程子供に言われた言葉を伝える。
「初めてです。そんなことを言われたの」
「そうか」
照れくさそうに言うルナにアルトは彼女に笑った。
そのまま魔法陣が浮き上がり、光に包まれる。
フレイが使った空間転移魔法の物と同様な感じがした。
「でも、この国の宝石ってどういうことなんでしょうか?」
魔法が発動し、次の街に着いたところで疑問を述べてみた。
「この国はいろんな鉱石が取れるんだ」
アルトは古民家の扉を開けながら呟く。
「その中でもルビーが沢山取れる。国の名産物と言っても過言ではないな」
「そうなんですか」
感心するルナにアルトは続けた。
「お前が着けている月のチョーカーにもルビーがついているだろう?」
ルナの母の形見であるチョーカーを指さして言う。
それがどうかしたのかと黙って続きを促せば、アルトはあることを告げた。
「その大きさのルビーは他の国では手に入らない。しかも色がいい分高価なものだ。多分そのルビーはここの最上級のものを使用されているな」
チョーカーについているルビーはかなり大きく他では手に入らないくらいの大きさだとアルトは呟く。
「しかも古いものだから多分お前の母親はこの国の出身じゃないか?」
母についての情報を探していたルナにとってその可能性は否定できなかった。
「そうだといいんですが・・・」
アルトはだといいな、とルナの肩を叩いた。
アルメールは帝都を中心とした東西南北の四つの区域に分かれている。
南のハーメルンは入国管理局を含めた軍用施設の支部があり、軍人たちが多く勤務する地域になっていた。
そのほかの街にも警備のために軍人たちがちらほらいるのが見受けられた。
アルトはルナに四つの街の特徴と街の名前を教えていた。
帝都の名前はノワールといい、城の名称もノクターン城と黒と夜を表すよう意味をついていた。
この国は夜が長いことも有名で霧が覆うことがほとんどだとフレイに聞いていたためアルトの説明を理解していた。
北は海に面しており、いろんな魚介類が獲れる漁師町・ヴァイオレット。
東は鉱山があり、農村地帯で庶民や貧困層の人々が多く住み、雑貨店や宝飾品などの店が多い、カモミール。
西は貴族や上流階級の人間が住み、別荘が多い場所、アリス。
特にアリスは庶民の人々にとって嫌な街と認識されていた。
「西の街・アリスは税金を多くとるようにと市民に通達している貴族が多い。もちろんそんなことは却下しているがな」
苦笑いしながらそう言う彼にルナは首を傾げた。
「国民の苦しみを理解していないんだ。すべては自分たちのためにあると考えている奴らが多い。だから貴族や上流階級の奴らには市民税のほかに貴族税を徴収してある」
貧困層の苦しみを少しでも軽減するためにその徴収した税で国民たちに気持ち程度だが食料を支給したり、給与の底上げをしていると言う。
ルナは国の人々がアルトに感謝していた原因を知った。
(だからあんなに子供たちは元気で大人たちは感謝していたのね)
国民のために心を砕くアルトにルナは尊敬の気持ちを彼に気づかれないようにそっと向けた。
二日かけてすべての街を回り終えたアルトたちはノクターン城に戻った。
城に戻った後、アルトの自室で本の整理の仕事を始めた。
与えられた仕事をきちんとこなしたいが、目の前の光景に早くも挫けそうになる。
ルナの視線の先には積み上げられた本が何百冊も部屋に置かれていた。
蔵書の数が多い為、このままでは終わらないとルナは少しだけズルをする。
無理をしない程度で本が読まれた記憶を読みながら棚に戻して行った。
ルナの魔法は心を読む魔法だが、いつもより多めの魔力とかなりの集中力を使う代わりに手に触れたものすべての記憶が読み取れる。
それを使ってルナは仕事を進める。新刊はアルトの執務机に置いた。
本来ならば本の種類と棚番を覚えなければならないが、ルナにはそんな時間などない。
アルトは読書中毒者であるため、いつの間にか本が散乱しているからだ。
そのことがあると本人からも聞いていたし、ほかの使用人にも聞いていた。
重い本もあったが、基本的に重いものは下に来る。
高いところは重力操作の魔導器を使って体を浮かせながら直して行った。
それをすべて終えると一気に力が抜けてその場にあったソファーに座り込んだ。
「ようやく終わったわ・・・」
ぐったりとしながらへたり込む身体はすでに体力がない。
本まみれで狭かった部屋は見違えるように広くなった。
元々、そういう部屋だったのだろう。
「おお、結構頑張ったんだな」
会議から戻ってきたアルトは綺麗になった部屋に感心した。
「疲れたと思って飲み物を持ってきた」
飲むだろうと渡されたのはブドウの炭酸ジュースだった。
ルナはそれを飲んで一息ついた。喉がカラカラだった。
「しかし、正確に直すとは思わなかった」
バラバラに直されると思っていたんだろうなと言外に言わずとも聞こえた。
「新刊もきちんと置いてあるし満足だ。褒美として好きな本を読んでいい」
ルナはすぐさま魔法関連の本と国家情勢に関する本を数冊取り出した。
今、自分に足りないものは魔法の知識と世界情勢だ。
どうして魔法関連の書籍があるのかはこの際置いておきたいところだが、気になるのでアルトに聞いてみることにした。
「気になることでもあったのか?」
「はい。どうしてここには魔法があるんですか?」
魔導器だけじゃなく書籍も多数あったので疑問に思っていた。
「数十年前からある。昔、ミストリア魔法国と貿易していたそうだ。今は向こうが鎖国しているせいで魔法の類は入ってこない。そこにある本はすべて古いやつだ」
ルナが手に持っている魔導書と左奥の本棚にあるすべてだと答えた。
まだ前皇帝陛下が無くなる十数年前にミストリアは鎖国を始めたという。
昔は貿易が盛んで魔導書や魔導器の類が沢山入ってきていた。
アルトは自分が即位する前のことは話してくれなかったが、ルナが疑問に思っていることは話してくれた。
「ここは魔力が多く含んだ鉱石が獲れるから向こうは重宝していたらしい。魔導器の名残はそのためだ。今はどうか知らん」
アルトはそう言ってドカッとルナの隣に座った。
途中で執務机の上にあった本も忘れずに持ってきてある。
「そうなんですか」
だとすれば鉱石は取れても魔導器を作るにはミストリアの職人が必要になる。
魔法に精通する人が作らなければ魔導器はただの機械となる。
「じゃあ魔導器が壊れれば・・・」
「ミストリアの職人ほどではないが修理できる人間がこの国にいる」
ルナは故障した際の対応についても聞いた。
「でも鉱石が取れるのに使えなかったら意味がないですよね?」
貿易ができないというならば鉱石は宝の持ち腐れにしかならない。
宝石類の加工はできたとしても魔力を含む鉱石は扱いが難しいとアルトの言葉から察することができた。
「奴らはそれが目的だ。魔法はやらんが鉱石だけ寄越せと数年前から申し立ててきている」
渋い表情で舌打ちしながら吐き捨てる彼にルナはそんな事情があることに驚いた。
「今はそのせいでアルメールとミストリアで冷戦状態が続いている。ハルがお前に対して当たりがきつかったのもそのせいだ」
すまなかったなとアルトに謝られた。急に謝られてルナは困惑する。
「いえ、そんなに気にしていなかったので大丈夫です」
ルナの寛容な態度にそうかと頷いたアルトは、新刊を開いて内容に没頭するために集中した。
ルナも彼と同様に世界情勢の関する本と魔導書を開いて読むことにする。
話はこれで終わりだろうと思った。
世界情勢と国の成り立ちについての本はこの部屋に沢山あるのでとにかく手っ取り早く覚えられるものを選んだ。
ミストリア関連の書籍もあったのでそれも手に取る。
魔法大国だということのほかにどういう人間が住んでいるか知らない。
名産物や政治についてもわからない。
母国のことについて何も知らないので無知はいけないと思う。
魔法が使えるのは当たり前だが、成人年齢は知らなかったためそれに関することも調べた。
そして16歳で魔法使いが成人することを知り、自分も16歳なので成人済みと知った。
(ああ・・・大人になったから殺すのね)
少しずつ父の考えがわかってきた。けれど、もう悲しいと思わない。
正直、父に対して愛情などなかった。
監禁し、刺客を向けた父親に対して愛情など向けられようか。
欲しいと思わなかったし、自分には姉がいれば十分だった。
それから国の成立と大陸についての本と基本的な呪文が書かれてある魔導書も選んだ。
このままこの国で生活すれば部屋にある本がすべて読み終えるのだろうかと純粋に思った。
しばらく時間が経った頃、アルトの自室にノックが掛かった。
時間帯はすでに夕刻を指している。
外を見れば、日が沈んで星空が浮かび上がっていた。
霧も徐々に出てきて随分と時間が経っていたことに気づく。
「陛下、失礼します」
ハルが入ってきたことにより、ルナは退出しようとソファーから立ち上がった。
これ以上ここにいてはいけないと本を数冊借りて行ってから出ようとする。
そのことをアルトに言おうと口を開きかけた瞬間、すぐ傍に来ていたハルがアルトに何かを渡した。
純白の小さな便箋だ。何も書いていない。
だが、二人はこれがもうわかっているようだ。
「そうか。もう、“その時期”か」
どういう意味なんだろうか。
これ以上込み合った話を聞くものじゃないと立ち去ろうとする。
「あの・・・部屋に戻りますね」
本を数冊借ります、とルナは読み終えた本以外に新しく借りて行こうとする。
「まあ、待て。これはお前にも関係があることだからここにいろ」
アルトに呼び止められてルナは足を止めた。
アルトは便箋を開いて中身を読む。
「一週間後、世界会議がある。ミストリア、ルーヴェイト、そしてアルメールの重役が神樹に集まることになるな」