第二話 番人
深く静かな森を少女は駆け抜ける。辺りは暗くまるで深い闇のよう。
目印もなく光すらない。動物たちの鳴き声も聞こえない。
あまりの静けさに身体が震えた。
空は満天の星空で初めて見る夜空をいつまでも見ていたいが今はそれどころじゃない。
少女は目を凝らして森の先を見つめた。
ずっと同じ木々があって本当に神樹があるのか疑わしい。
同じところを走り続けている気分だ。
「本当に巨木なんてあるの?」
息を切らしながら少女は小さく呟いた。もうそろそろ見えてみいいはずだ。
世界の中心に大きく聳えるという巨大な神木。
中心に聳えているなら目印になってもおかしくない。
少女は走り続けると、どこからか笛の音が聞こえてきた。
身体が震える。もう、すぐ傍まで追っ手が来ているかもしれない。
早く行かなければ。少女は焦って走るスピードを上げた。
どんどん笛の音が大きくなってくる。神樹に近づくたびにどんどん大きくなる。
そして最大限大きくなる頃には巨木の一部が見えてきた。
あれが神樹なのだろう。どおりで見えていなかったはずだ。
幹はほかの木々たちと同化していてわかりにくく、鬱蒼としていてなおかつ今は夜の時間帯。
少女が見えなかったのは仕方がなかった。
それに少女は上ではなく前だけを見ていた。ゴールはもうすぐだ。
少女はすぐさま全速力で走った。
光が見えてそこに立ち入ると巨大な樹と小さな小民家、それから周りを見ると焚き火の暖かな光と笛を吹いている男がいた。
少女は立ち止まらずにふらふらと樹に近づいた。とても大きな樹だ。
幹は太く、全長何mあるのかわからない。天辺には雲がかかっている。
おそらくこれが神樹だ。あとは番人を探して助けてもらわなければならない。
すると笛の音が止んだ。少女はそれに気がつくと男は彼女に笑った。
「いらっしゃい」
男はそれだけ言うと少女から力が抜けた。そして少女は気を失った。
食べ物の匂いと暖かい何かで少女は目を覚ました。暖かい色をした木造の部屋。
部屋には観葉植物とテーブルと椅子があった。自分はベッドにいるようだ。
「ここは・・・?」
「目が覚めたかい?」
ガチャリと音を立てて入ってきた男に少女は身を固くした。
怖いと純粋に思った。なにせ命を狙われている身だ。
もしかしたらこの男が追っ手かもしれない。
警戒心たっぷりの彼女に男は苦笑いした。
「大丈夫。ここは僕の家だ。君は走り疲れて目の前で倒れたんだよ。暖かいスープだ。飲みなさい」
少女は男を見た。髪の毛は真っ赤で瞳は灰色。
でも何処か優しげのある男に見えた。
服は森のように深い色をしたパーカーのようなものと暗めのズボンを着ている。
どうやら自分を保護してくれたらしい。話を聞く限りそんな感じがした。
「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕の名前はフレイ。ここに住んでる」
この男はフレイというらしい。
フレイは近くにあった椅子に座るとスープを少女に渡した。
「君の名前は?どうして君みたいな年端の行かない女の子がこんな時間に何かに怯えるように逃げていたんだい?魔物にでも追いかけられていたのか?」
「魔物には追いかけられていないわ」
少女はそれに答えた。この世界には魔物と呼ばれる怪物が潜んでいる。
時には人と手を取り合って過ごす魔物もいれば、逆の場合もあると姉から教えられた。
「それから私には名前がないの」
フレイはその言葉に驚いた。
「名前がない?」
怪訝な表情をするフレイに対して少女は頷くと、渡されたスープを口に含んだ。
美味しい。冷えた身体が温まる。
「理由はわからないけど、わけがありそうだ。こんな女の子を一人で彷徨わせるなんてただ事じゃない」
フレイは考え事をすると何か決めた。
「そうだ。君に名前をつけよう」
「な・・ま・・え?」
少女の瞳が驚いて見張った。フレイは首を縦に振る。
「聞いた所、君には名前がない。それだと不便だし、何より名前がないことはおかしいからね」
さて・・・何にしようか、そう呟くフレイに少女は外を見た。
まだ夜だ。だけど、紅い。あれから何時間経っているのかわからなかった。
急がなければ。姉は神樹の番人を頼れと言っていた。
こんなことをしている場合じゃない。
考え事をしているフレイにおずおずと声をかけた。
「あ、あの・・・聞きたいことがあるんだけど」
「うん、なんだい?」
「神樹の番人ってどこにいるの?その人に会いにきたのだけど」
ルナはフレイに聞いたが、かえって困った顔をされた。
「その人はここにはいない。今は神殿に行っていてしばらくはいないんだ」
フレイはルナに説明するように口を開く。
「そんな・・・」
「だから言付けがあるなら伝えておく。その前に君の名前を決めたよ」
意気消沈する少女にフレイは名前を言った。
「君の名前はルナだ」
「ルナ・・・?」
「そう。今日は紅い満月だからそう名づけた。君の髪は真っ黒で瞳はルビーのように赤い。それに三日月形のチョーカーを付けているからね。これも何かの縁だろう」
ルナ。そう名づけられた少女はその名前になぜかしっくりと来た。
「さて、君の事情を聞こう。何も聞いてなかったしね」
ルナは事情を説明した。
命を狙われていて神樹の番人を頼れ、そして道標を得よということだった。
フレイは黙って聞いていた。
「だから、この先どうすればいいのかわからないの。番人に会えなければ私は殺されてしまう」
「・・・なるほど。事情はわかった。だけど、それならここには置いてあげられない」
「どうして・・・!?」
最初に出会った人物がこのフレイだけだ。
国に戻れば奇異と言われる自分の容姿のせいで殺され、さらに姉に迷惑が掛かってしまう。
姉はただ生きてと言っていただけなのに。
「そんなに落ち込まないでくれ。ただ、ここでは君を守ってあげられないんだ」
「どういうこと?」
「ここには番人と僕しかいない。番人は気まぐれな人でね、それに僕は武器を持っていないから守りきる自信がない。それに」
フレイは一度言葉を切ると、外を見た。
「君の追っ手はいったんここを来るはずだ。ここは世界の中心だから必ず通ると見越して訪ねてくるはずだから。君を見かけなかったかってね。なら、安全が確保できる場所に行ったほうがいい」
フレイは座っていた椅子から立ち上がって机の引き出しからアスト大陸の地図を取り出してテーブルの上に広げた。
ルナはベッドから降りてその地図を覗く。
「この世界は4つで成り立っている。一つ目はここ。僕らがいる神樹だ」
フレイは地図に載ってある今の場所を指で指した。
「次は君が逃げてきた場所から推測するとミストリアかな?」
ルナは頷いた。自分の祖国はミストリア魔法国でここから南だ。
「ミストリアは閉鎖的な土地で鎖国状態だ。君の気持ちがわかる」
フレイは溜息をついて次の場所を指差した。
「ここはアルメール帝国。知識の国で軍事国家。警備もしっかりしているし、君の容姿でも受け入れてくれるだろう。最後はここだ」
地図の北方にはアルメールと記されている。
ルナはフレイが指差したところを覗き込んだ。
書かれているのはルーヴェイト共和国。ここから西に行った所だ。
「ここはいろんな人が集まって作られた国なんだ。薬学や医術が盛んな国。それに人柄が温かいし、何より騎士団がある。ここも騎士団を頼れば安全だろう」
フレイは地図を丸めると元の場所へ戻した。
「ルナ。君にはこの二つのどちらに行ってもらう。どちらに行くか決めた?」
ルナはもう決めていた。自分がなぜ忌み嫌われ、そして命が狙われているのかを。
自分のことを知るべきだと思った。それなら知識がある国がいい。
「私はアルメール帝国に行きます」
「わかった。なら準備は早いほうがいい」
フレイはもう一つの椅子にかけてあった灰色のマントをルナに渡した。
ルナはそれを受け取って着ると、ふと思い出した。
「フレイ、今どのくらいの時間が経っているの?」
「君がここに着いてからの時間はそれほど経っていないよ」
小一時間だ。
窓の外を見て判断したフレイは上着を着ると、ルナを玄関へ送り出す。
「アルメールはここから北へ向かわなくてはならない。今から案内する。僕が出来るのはここまでだ。追い出すようなことみたいでごめんね」
フレイは申し訳なさそうにすると、ルナを連れて神樹の傍に連れて行った。
木の幹に小さなくぼみがあってフレイがそこに手を入れると地面に魔方陣が浮かび上がる。
「転送魔方陣だ。これなら早く着く。後で番人に怒られるけど急を要するから」
フレイは笑ってルナを手招きする。
「乗って」
ルナは魔方陣に乗ると、光に包まれて彼と一緒に消えた。