第2話 恐怖のメイドと老執事
「……ん?」
鼻をくすぐる心地よい香りに包まれて、俺の意識はゆっくりと覚醒していく。
「お目覚めですかな?」
ここがどこかの理解が追いつく前に突然聞こえた声に俺は驚いて体を起こし顔を向ける。
そこにはいかにも執事という出立ちの初老の男性が立っており、こちらをその切れ長の目で観察していた。
どうやらここは何処かの建物の中のようで、俺が寝ていたベッドの他にも幾つか家具が見られるが広い部屋には少し質素に感じられた。
「言葉が分かりますかな?」
「え、ああ。わかります...ちょっと混乱していて...すみません」
「そうですか」
俺がなかなか返事をしないので誤解されかけた。
それにしても俺はなんでこんな所にいるんだっけ...。
「御名前をお聞かせいただいても?」
「あ、はい。千藤慎司です。慎司が名前です」
「成程シンジ様ですか。この辺りではあまり聞かない珍しい名前ですな」
「あはは...」
当たり前だ、俺は異世界から来たのだから。
しかし、いきなりそんな事を言っても信じてもらえるとも限らないし適当に笑って誤魔化す。
そうだ、俺は異世界に来たんだ。
あの魔の森から生きて出られたなんて...あれ、目から汗が...。
突然目をうるうるさせ始めた俺に執事さんは怪訝そうな目を向けてくる。
「どうかされましたかな?」
「いえ、何でも無いです」
「そうですか?では自己紹介をさせて頂きます。私はリーゼリア様にお仕えしております、ゼインと申します」
「ゼインさんですね。それで、そのリーゼリア様と言うのは...?」
「御存知ありませんか?」
「えぇ。すみません...記憶喪失のようで、名前以外は思い出せないんです」
「そうでしたか。それは失礼な事をお聞きしました」
「いえいえ。こちらは助けられた身のようですので、感謝しかありませんよ。ありがとうございました」
「私はリーゼリア様のご意向に従っただけですので」
そのリーゼリア様と言うのを知らないと言うと益々怪訝な目を向けられたので、咄嗟に嘘をついてしまった。
まぁ、暫くはこれで様子を見た方が良さそうだけど...何が常識なのかなんて全く知らないわけだし。
それにしてもリーゼリア様が助けてくれたのか。会って直接御礼がしたいな。
「それでは、何時から記憶がないのでございますか?」
「え〜と...ゼインさん達に助けられる少し前ですかね...魔物に襲われた記憶しかありません」
「となるとやはり、あの魔巣の森を抜けてきたのでございますか?」
「...恐らくはそうかと...」
「ほぅ...」
あれ?なんかゼインさんの視線がより一層鋭くなってるんですけど!?
対応間違えた?魔巣の森とか明らかにやばそうだからあそこかと思ったんだけど...てかよく生き残れたな俺、今思い出しても不思議でしょうがない。
「失礼しました。シンジ様はもう少しお休みになっていてください」
「え、あの!リーゼリア様に合わせて頂けないでしょうか?御礼をしたいのですけど...」
ゼインさんが踵を返して部屋を去ろうとするので、慌ててリーゼリア様へ逢いたい旨を伝える。
「...それはできません。隣の部屋にメイドが居りますので御用がお有りでしたらそちらにお申しつけください。それでは...」
「え、ちょっ...と」
いきなりトーン低くして拒否られたので少しビビってしまった。
うーん、また地雷踏んじまったのかな...。
しかし、体がだるいな。
一応、空手道場には通ってたけど、運動不足だったのかね...いや流石にあんなに走ったらこんなんになるか。
お言葉に甘えてもう少し休ませてもらおう。
ていうかここがどこかも聞いてなかったな...まぁ聞いても分かんねぇだろうし今はいいや...。
*****
「お客様。起きてください」
ん...。うるさいな...あと少し...。
「お客様。起きてください!」
あと5分...。
「おい、起きろ」
「ぐふぇっ!」
心地よい眠りからの突然の鳩尾への痛みで眠気なんてどこかへ吹っ飛んでしまった。
見ると、ベッドの脇に顔は美しく整っているが、視線が恐ろしいメイドが立っている。
こいつがやったのか...起こすのに腹パンはねぇだろ...。
「目が覚めましたね?早く着替えてください」
「え、は?ちょっ!」
そのメイドは俺が体を起こすと持っていた服を無理やり押し付けてきた。
ていうかまだ俺裸じゃねぇか!
メイドはこちらをじっと見ており、立ち去るつもりがないようなのでタオルケットの中で渡された服をいそいそと着る。
そして、ベッドから出て、数少ない家具の一つである姿見の前へ行ってみる。
俺が渡されたのは執事服だった。
我ながら凄く似合わない。
だけどパンツ(ボクサー型)の履き心地だけはいいな。
ゴムじゃなくて紐で結ぶようなヤツだが、生地がいい感じに柔らかくてフィットする。
日本でも通用しそうなパンツだ...!
「それしかないので、我慢してください」
「いや、文句なんてありませんよ」
「...食事の準備が出来たのでついてきてください」
「あ、はい」
メイドは相変わらず目つきが怖いけど、先程のような乱暴はせず、無表情で淡々と対応してくる。
わからん...この人はなにがしたいのか...。
それより食事もご馳走になれるとは...まぁ、ここで放り投げ出されても野垂れ死にしそうだし。
なんとかここに置いてもらえないかリーゼリア様とやらにお願いしたいところだな...。
そうしてるうちにもメイドの後をついて行く。
今気づいたが外からの光が赤く染まって傾いている。
夕刻なのだろう。
どうやらこの部屋は二階だったようで出てすぐに階段が見えた。
他にも部屋はいくつもあり、かなりの豪邸のように見える。
しかし、妙に静かだし、古ぼけていて、余り使われていなかったようにも見える。
生活感もないし装飾品もない。
どういうことなのか...?
ギシギシと軋む階段を降りて直ぐに食堂があり、中ではゼインさんが食事の準備を整えていた。
「シンジ様お食事の用意が出来ました。どうぞお席についてください」
「どうも、すみません」
食堂の机には食事の用意が1人分だけ置いてあり、その席へと座るように促された。
メイドは食堂の壁際に立ってこちらを目線だけでじっと捉えて観察している。
ゼインさんも机の横に立ち、紅茶のポットを持ってこちらの様子を見ている。
食べにくい...。
食事自体はうまそうな肉や野菜が並んでいるし、紅茶の香りも素晴らしけど...。
「あの...」
「お嫌いなものでもありましたか?」
「いえ、そういうわけでは。ただ、ゼインさん達は食べないのかな〜と」
「...私は食べなくても大丈夫ですので。そこのフィスも同様です。それにリーゼリア様は自室でお食事をなさっておりますので」
「は、はぁ...?」
よくわかんないけど一緒に食事するつもりはないらしい。
今更毒を盛る事もないだろうしな...一体どういうことなのか。
「この屋敷には3人しか居ないのですか?」
「そうですな。私とフィス、リーゼリア様しか居りませぬ」
「それは...」
「シンジ様。余計な詮索は命取りですよ?さっさと食事を済ませてください」
「は、はい!」
「これ、フィス。お客様にもそんな態度ですか。あなたは部屋へ戻っていなさい」
「...了解しました」
そう言うとメイドのフィスさんは食堂から不本意そうに出ていった。
あのメイド超怖えぇよ!あれ絶対人を殺してる目だよ!異世界だからあながち間違ってそうにないから余計怖いよ!
でも俺も迂闊だったな。もっと慎重にしなければ、ここに置いてもらうなんてムシのいい話を聞いてもらえるかも分からんし...。
明日からが勝負だな。明日から頑張ろう。
...なんかダメ人間みたいに聞こえる。
そうして、気まずいながらも俺は1人で食事を済ませたのだった。
ちなみに異世界初の食事は大変美味しゅうございました。
◇◇◇◇◇
窓から見える外の景色は暗い。
――トントントン
ドアをノックする音が響く。
「私です。入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
許可を出すと、私についてきてくれている執事のゼインがいつものように和かな笑顔を見せながら私の部屋に入ってきた。
「彼はシンジ様。センドウ・シンジ様と仰るようです」
「そう...シンジ」
「それと、記憶が無いようでリーゼリア様の事もご存知ありませんでした」
「...それで、あの事は?」
「それも分かっていないようでしたね」
「はぁ、益々分からなくなったわ。いったい何者なのかしら」
「おや、それでは何故シンジ様をお助けになったのですかな?」
「それは...そう。利用する為よ。あの力があれば或いは...」
「ほほほ。そうでございますか」
くっ...。ゼインたら最近は妙に揚げ足をとるようになって来て...まいっちゃうわ。
でも、あの時もだけど、同じ家にいてなんの反応もなし。
それにあの力...シンジはもしかしたら...。
「おやおや、お邪魔の様ですので、私は失礼させていただきますね」
「...そう。おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
危険かもしれないけど、会ってみる価値はあるかもしれない。
だって私は...決して諦めないと決めたんだもの。
絶対に...諦めない...。
ペース遅くてすみません