空瓶事件 10
その後、僕は一人でアオヰコーポへの道を歩いていた。空は赤く、西日がまぶしい。昨日見つけた昔ながらの駄菓子屋さんで買ったラムネを飲みながら、である。
ゆずかちゃんには、もう少しゆうと君と話してから帰るから神森さんのところに戻っていいと言われた。後は若い二人でなんとかなるということだろう。
僕が相談屋の助手になって二回目の依頼は、少し失敗してしまったけれど、一応は解決した。神森さんが危惧していた喧嘩にもならなかった。ラムネはそのご褒美ということにしておこう。本当は単に喉が渇いていたからだけれど。
赤いレンガ造りのアパート、アオヰコーポに戻ってきた僕は、錆びついた外階段をのぼる。
僕にはわからない。初めて恋というものを知って、戸惑いながらもアプローチし、失恋してしまったゆうと君の気持ちも、初めは嫌がらせだと思って怒ったり、相手の本当の意図を知って、その上で好きな人が別にいるからと言ったゆずかちゃんの気持ちも、僕にはわからない。わかるのは口の中ではじけるラムネの味だけだ。
二〇三号室に入ると、電気がついていなかった。廊下奥に見えるリビングも暗い。そろそろ外が暗くなるので電気をつけなければならない。そう思い、リビングに入ると、そこには満天の星空が広がっていた。アパートの屋根が吹き飛んでいたというわけではない。天井はちゃんとある。その天井に星空が映し出されているのだ。
プラネタリウム。部屋の真ん中辺りの床に箱のようなものが置いてあり、それが星空を作り出している。確か、あの箱は神森さんが『よいしょ、こらしょ、どっこいしょ』と言いながら作っていたものだ。
「まだしてなかったよね」
いきなり隣から声がした。薄暗くて気付かなかったけれど、神森さんが僕の隣に立っている。
「何をですか?」
「誓いのキス、こいびとの」
そう言って神森さんは唇を僕に近づける。僕らは満天の星空の下、キスをした。神森さんの唇は柔らかく、髪からは甘い匂いがした。神森さんは両腕を僕の頭の後ろにまわし、強く、僕の唇を求める。僕は思わず彼女を押して、唇を離す。
「恋とかわからないの」
「僕も同じです」
「えへへ」
ファーストキスは、ラムネの味がした。




