花嫁事件 16 八月二十三日 土曜日
「……始業式は……明後日だぞ」
文月高校、北校舎の奥にある旧校舎、通称部室棟の三階の一番突き当りの部屋、つまりゲーム部の部室に僕はいた。というか明後日からここは探偵同好会の部室になるので、旧ゲーム部の部室だ。僕と桜さんが立ちあげた探偵同好会には新しい部室が用意されるはずだったのだけれど、ワタさんがゲーム部を抜けて探偵同好会に加入することでゲーム部は廃部となり、そのままゲーム部の部室が探偵同好会の部室となったのだ。ワタさんの私物である設備を移動する手間が省けたので、願ったり叶ったりである。
特等席の八つのディスプレイ、デスクの下にタワー型のパソコンが四台置かれている場所でタブレットをいじっているワタさんに今日ここにやってきた理由を伝える。
「明後日の放課後、ここを掃除して探偵同好会仕様にする予定じゃないですか。その前にゲーム部の部室であるここに用事があったんで」
「用事って何? アタシらデート中なんですけどー」
特等席の隣にパイプ椅子を置き、ワタさんの腕にぴったりとくっつきながらケータイをいじるマリーさん。ちなみに今日はまだ夏休みで、さらに土曜日だけれども、ここは学校なので二人は制服姿、もちろん僕もである。ちなみに、マリーさんは相変わらずのギャルスタイル。短いスカートにベージュのカーディガン、茶色の髪はサイドテール。もう見慣れたとはいえ、やはり派手である。まあ、久美島で出会った、いや再会した花桃さんの桃色コーディネートよりはマシだ。
しかし、二人とも別々の端末をいじっているのにデートというのは少し妙ではあるが、二人で一緒に居ることが重要なのだろう。
「マリーさん、お邪魔してすみません。ワタさん、ファミコンってありますか? カセット持ってきたんですけど」
「ファミコンはない……でもプレイするための端末なら……ある。……今、準備するか?」
「お願いしてもいいですか?」
僕がそう言うとワタさんはタブレット端末をデスクの上に置き、マリーさんの頭をぽんぽんと軽く叩いてから立ち上がる。そして、僕が座っている机の上にいろいろと準備してくれた。
「カセットは?」
「あ、これです。貰い物なんですけど」
ワタさんは僕から真っ白なカセットを受け取ると、ファミコンではないけれどファミコンのソフトがプレイできる機械にセットし、電源を入れた。
真っ暗な画面に表示されたのはゲームタイトルではなく、白い文字で『パスワード』とその下に空白を表す白い四角形が四つだけ。
「これ、本当にゲームなのか?」
「わかりません。これをくれた人は一之瀬零士という有名な漫画家さんなんですけど、もしかしたら自作かもしれません」
確かこれを受け取ったとき、一之瀬さんは妙なことを言っていた気がする。
「ワタさん、『始まりを四回繰り返す。そうすれば終わるから』ってどういう意味ですか?」
「……そういうことか」
「わかりました?」
「パスワードならわかった。だが、ここから先は料金が発生する。探偵同好会とは関係ない案件だろ?」
そう言われることは覚悟していた。情報屋のワタさんにゲームをセッティングしてもらい、パスワードの問題を解いてもらうのだ。ゲームを用意してもらうところまでは友人だから料金は発生しない。しかし、それ以上を求めるのなら当然、料金が発生する。
「ワタさん、実は白銀の賭博師にも会ってきたんです。彼女の運の良さの秘密と交換、というのはどうでしょう?」
「栗沢くるみの秘密……わかった、教えよう」
「ありがとうございます。秘密というのは神頼みです。彼女は毎朝、食後に近くの礼拝堂や神社でお祈りをしているそうです。それが運の強さの秘密だとか」
「……そうか、そんな秘密があったんだな、ありがとう。これで美少女に出会える確率が上がるかもしれない」
「彼女がいるのに、まだ二次元の美少女を集めているんですか?」
「マリーは彼女じゃなくて助手だ。それにマリーは何も言ってこない」
「ちゃんとアタシのこと愛してくれてるってわかってるからねー。ゲームに嫉妬しても仕方ないっしょ」
マリーさんはすごい。神森さんなんか些細なことでもすぐに「うわきだ!」と言ってくるのに。デートの仕方といい、カップルの数だけ愛の形があるということか。
「だから、マリーは――」
「ワタさん、照れ隠しはもういいですよ。僕は神森さんと婚約してますし、恋人がいるくらい認めてもいいじゃないですか。で、パスワードは何ですか?」
「……。一之瀬零士のデビュー作に、というか彼はこの名前では一作しか発表していないんだが、『始まりの物語』という作品がある。そしてそれはプログラマー主人公の話で、始まりという言葉がキーワードになっている。その『始まりの物語』の中での始まりと言えば、シャープのことだ。プログラムで使うC言語は必ずシャープから始まるからな。あと、作中に主人公がゲームのカセットに日記を残す描写がある」
「ありがとうございます」
僕は十字キーを使ってシャープを選択し、四回入力する。すると、画面は白くなり、文章が表示された。
「で、何が終わるんだ?」
そう訊いてきたワタさんに僕はこう答えた。
「一人の漫画家の人生です」




