花嫁事件 12 八月二十一日 木曜日
目が覚めると、神森さんの寝顔が目の前にあった。
「……ある、ちゅう」
どうやら寝ぼけているらしい。うん。今日も神森さんは美しいし、可愛い。僕は目の前の柔らかそうな唇にキスをする。
「えへへへ」
「起きてたんですか」
「寝てますよー。ぐーぐー」
「起きてますよね、それ」
「寝てるの! ちゅー」
口を近づけてくる神森さん。僕は彼女が求めるままに、キスをする。
「えへへへー。ぎゅうううう」
神森さんが抱き着いてくる。幸せな朝である。と、ここで僕は自分がいる場所がいつもの神森さんの家でないことに気付く。寝ているのもベッドではなく、布団だ。そうか……。僕らは昨日、名家の次期当主である明日奈さんの招待で、県の最北端である珊瑚半島、さらにその先の孤島、久美島までやってきたのだった。理由は土曜日に行われる結婚式に出席するため、今日が木曜日なので、結婚式は明後日だ。集められたのは玉虫の会のメンバーで……晩餐以外はフリータイムで……そうだ、僕が起きて一番にすべきことは神森さんといちゃつくことではない。昨晩、モーニングコールを断ったので……。
僕は神森さんをどかせ、布団から出ると、真っ先にこの部屋の出入り口へと向かう。神森さんも後からついてくる。
ドアを開けると小夏さんが昨日と変わらないメイド姿で立っていた。
「小夏さん、おはようございます」
「こなつん、おはよう!」
「神森様、或江様、おはようございます。朝食ですが、いつ頃お持ちしましょうか?」
「今すぐ持ってきて! 今!」
「かしこまりました」
「ちなみに小夏さんは何時からここに?」
「或江様が昨晩仰っていた時刻、朝八時からです」
僕は急いで部屋に戻り、枕元に置いておいたケータイで時刻を確認する。
現在の時刻は九時半。かなりの寝坊だ。昨晩、小夏さんにモーニングコールの時間を問われた僕は、自分たちで起きるのでいらないと断ったのだ。小夏さんは起床時間を尋ね、その時間にはドアの前で待っていると言ってくれた。
断った理由は二つある。一つは僕らは二人で寝るので先に起きた方がもう一方を起こせるということ。そして二つ目は二人とも旅の疲れが残っているので、そんなに夜更かしすることはないだろう、というものだ。神森さんは予想通りすぐに寝てしまったけど、僕は随分と夜更かししてしまった。こんなことになるなら、最初から素直にモーニングコールを頼めばよかった。
「きゃああああああ!」
突如、悲鳴が廊下から聞こえてきた。慌てて神森さんと小夏さんがいるドアまでやってくると、二人は真っ直ぐ廊下の先を見つめている。
悲鳴がしたと思われる廊下の先を見ると、腰を抜かしたメイドさんがある部屋から這い出てきている。そのある部屋とは、昨晩僕が訪れた一之瀬さんの部屋だ。
僕は急いでそのメイドのところまで走り、声をかける。
「何かあったんですか?」
「い、いちのせ……しんで……」
メイドさんは部屋の中を指さしながら、言葉にならない言葉を呟く。
指をさしている方、つまり部屋の中を見ると、一之瀬さんが床に転がっていた。昨晩、僕と話したときと同じ服装で倒れている。
「うわあ、これは死んでるねー」
いつの間にか部屋にやってきていた神森さんはそう言って、部屋の中に入り、倒れている一之瀬さんの呼吸と脈拍を確認する。そして両手を合わせてお辞儀をした。
一之瀬さんが、死んでいる? 昨晩、いや十時間くらい前まで楽しく紅茶を飲みながら話した相手が目の前で死んでいる? 信じられない、驚きだ。何が驚きかというと、一之瀬さんが目の前で死んでいるということではなく、生まれて初めて死体をみたからでもなく、その事実に僕が全く何も感じていないということだ。
そうこうしているうちに部屋には何人かが入っていき、部屋の前の廊下にも人だかりができ始める。悲鳴をあげたメイドさんは落ち着いてきたらしく、ゆっくり話し出す。
「一之瀬様はいつもこの時間に起こしに来るよう言われておりまして、それでドアを開けたら倒れてらっしゃって……」
一之瀬さんは専属のメイドを断っていると言っていたけれど、モーニングコールだけは頼んでいたのか。
「んーんー」
部屋の方を見ると、神森さんが唸っている。隣では、先ほどやってきた花桃さんの主治医、白衣姿の霧谷さんが死体の状態を確認している。
僕が部屋に入ると、霧谷さんが口を開く。
「毒殺だ。死後六時間は経っている。そこのテーブルに置いてある紅茶に毒を盛られたのだろう」
死体を間近に見ても、やっぱり何も感じない。愛という感情を手に入れ、芋づる式に他の感情も取り戻せる状態になったはずだ。それに死体を見るのは生まれて初めて。しかも、仲良く会話した相手だ。どうして何も感じないんだ?
「聞いているのか? 或江」
「あ、はい」
「今回の物語において、我々はただの脇役だ。それも与えられた役割を果たすだけの人形のような脇役だ。だから貴様も与えられた役に徹すればいい。或江、ここでの貴様の肩書きはなんだ? そう、黒の探偵の助手。助手だ。彼女が結論を出すのを助け、それに従う。それが貴様の役割だ。覚えておけ」
低い声でそう言う霧谷さんに僕は「わかりました」と言って頷き、ポケットから取り出したケータイで、現場の状況を撮影し始めた。
「ところで、一之瀬さんは死後六時間とのことでしたけれど、状態を確認するだけでそこまで正確にわかるものなんですか?」
「結花が言っていたからな、間違いない」
「はい?」
もちろん、ここに花桃さんはいない。そして花桃さんは医者でもない。占い師だ。占い師? そういえば昨晩、部屋まで送ろうとした際、『わたしはこの後誰にも会わずに無事に部屋に帰れること、知っているの。大丈夫、大丈夫』なんて言っていた。占い師の力とやらで、事前に霧谷さんに報告をしていた、ということだろうか。
なら、あの女の子はこの事件が起きることもわかっていたということだろうか?




