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花嫁事件 10

 というわけで僕は簡単に身の上話をすることになった。一之瀬さんは、僕が話すエピソードに頷いたり驚いたりしながら、だけどあまり口を挟むことはなく、紅茶を飲みながら聞いていた。時折、大きな眼鏡越しに僕を見つめる瞳はどこか優しげで、だけど真剣そのものだった。そして、僕は先月の白の狂犬との死闘を繰り広げ記憶と感情を失った一件、その後それらを取り戻し、晴れて神森さんの正式な恋人兼助手になったところまで話し終わった。全てを話すつもりはなかったのだけれど、ついつい話しすぎてしまった。


「君はすごいね。僕は五十三年間生きてきたけれど、君はたった十七年で僕の何倍も濃い経験をしてきたとは。まるで長編小説を何冊も読んでいるような気分だったよ」


「そうですかね」


「漫画という架空の物語をずっと作ってきた僕にとって、ただひたすら漫画家として絵を描いてきた僕にとって、自分の人生ほど退屈な物語はなかった。ただひたすらに作り手の存在を感じさせない物語を作っていくうちに、自分の存在も薄くなっていったんだろうね。おかげで、透明の漫画家なんて呼ばれるようになったんだけれど」


「すみません、僕は漫画も小説もある程度読んだりしているんですが、一之瀬さんの名前も、透明の漫画家というのも初めて聞きました」


「それはそうだよ。僕は作品ごとに名前も絵柄も変えているから」


「作品ごとに、ですか? それはすごいですね。ちなみに代表作は何ですか?」


「Shaver、探偵ダウト、オール、うさぎのとなり、甘い私とほろ苦い夜、どれもアニメや映画、ドラマになったりした作品だね」


「それは単に有名漫画を並べたのではなくて、一之瀬さんが一人で描かれたんですか?」


「ああ、そう言って大丈夫だと思うよ。まあ、漫画は編集さんと話を考えるし、描くときはアシスタントに手伝ってもらうから、完全に一人ではないけれど。それでも、僕はなんでも自分でやらないと気が済まないから、極力一人でやってきた」


 僕が聞きたかったのはそんなことではない。一之瀬さんがあげた五作品の作者が本当に同じだということを確認したかった。なぜなら、どれも有名作品な上にジャンルがバラバラだ。少年向けバトル漫画、ミステリー漫画、青年向け野球漫画、少女漫画、女性向けお仕事漫画、タイトルを聞いただけでジャンルがわかるし、なんだったら読んだ作品も、映像で見た作品もある。それらをこの目の前の人が生み出したのか……。


「信じてない感じだね」


「すみません、信じていないわけではないのですが」


「じゃあ、見てもらうしかないかな」


そう言って立ち上がって奥の部屋へ、紙とペンを持って戻ってくる。


「試しに君を描いてみようかな」


 一之瀬さんはペンを走らせた。そこには少年漫画のタッチで僕が浮かび上がる。そして、それが描き終ると今度は劇画タッチの僕が隣に現れ、最後には少女漫画タッチのキラキラした僕が現れた。どれもまるで別人が描いたかのようである。


「本当にお一人で全部描かれていたんですね」


「僕は実在の人物を絵にするのが苦手で……。そういう意味では色葉ちゃんの虹色の乙女シリーズには頭が上がらないんだ」


「いや、これで苦手だなんて、そんなことないですよ。でも、どうして作品ごとにジャンルも作風も、ペンネームまで変えていたんですか?」


「さっきも言ったけれど、僕は作り手の存在を感じさせない物語、というのを目指していたんだ。漫画というのはどうしても続けて作品を出すと、作者の作風だとか、意図だとか、どの作品が一番か、さらには作者のファンなんてものも現れる。僕は有名になるために漫画を描いていたわけじゃない。単に作り手の存在を感じさせない完璧な架空の物語を作りたかっただけ。だから、そういう手段をとっているんだ」


「それで透明の漫画家なんですね」


「ああ、僕の人生において唯一の救いがまさにそれだったんだよ。透明の漫画家と呼ばれるようになったおかげで、明日奈ちゃんに出会えた。こうして玉虫の会に呼んでもらえるようになって、僕の人生は少し豊かになった。孤島でいろいろな才能の持ち主と話す。まるで小説や漫画みたいだと思わないかい? だから、こうしている今が僕の人生の中で一番、物語のようなことなんだ。君からすれば些細なことかも知れないけれど」


「そんなことありませんよ」


「とにかく、そんな僕の人生より何倍も濃い君の人生を聞くことができて、僕は嬉しい。話してくれてありがとう」


「いえいえ、なんか一方的にたくさん話してしまって申し訳ないです」


「それは僕から頼んだことだから」


「一之瀬さんはなんというか、こんなにも年下の、親子くらい歳の離れた僕でも対等に扱ってくれるので、話しやすいです」


「当り前だよ。僕は君の先生でも親でも先輩でもない。この屋敷で出会う人間はみんな同じ。僕はそう思っているよ。そのほうが楽しく話ができるからね」


「確かに玉虫の会の人たちはそれぞれの分野で才能をもったすごい人たちで、対等なのはわかりますけど、僕は助手で高校生ですよ?」


「それでも、だよ。君は確かに助手かもしれない。でも君は僕よりも貴重な経験をしてきたじゃないか。それも一つの才能だと思うよ」


「ありがとうございます。そういえばさっき栗沢さんのところに金永さんといたと仰ってましたけど、あの二人、仲いいんですか?」


「ああ、二人とも僕と同じで玉虫の会の常連だからね。僕は初回の五年前から、後の二人は四年前からだったかな。それがどうかしたのかい?」


「いえ、金永さんと栗沢さんとは同じ船で一緒に来たんですけど、船の上では話したりしていなかったので」


 僕がそう言うと一之瀬さんは「ははは」と笑った。


「それは簡単なことだよ」


「簡単、といいますと?」


「二人とも船酔いするタイプなんだ。だいぶ慣れてきたと思うけれど、さすがに乗っている間は話したりする余裕はないんじゃないかな」


 なるほど。それなら説明がつく。船を下りた後、金永さんが僕らに何も言わず、先行する栗沢さんについていったのも、酔いが残っていったからなのだろう。

 だけど、三人が会話しているところが想像できない。確かに一之瀬さんはすごく話しやすい人だけれども、金永さんはオネエだし、栗沢さんは話した相手を凍り付かせる白銀の賭博師だ。


「あの、お二人とはどんな風に話していたんですか?」


「僕と光哲君が話して、そこにくるみちゃんが入ってくる感じかな。今日の一番の話題は初参加の君たちだよ。黒の探偵の名はみんな知っていても、正体があんな綺麗で若い女の子だとは誰も思っていなかったから。しかも助手の君は高校生だ」


「黒の探偵ってそんなに有名なんですね。僕は最近まで知らなかったのでお恥ずかしいです」


「確か、君が未守ちゃんの正体を知ったのはこの前の四月だったかな」


「そうです。よく細部まで覚えておられるんですね」


「さっき聞いたばかりだからね。それと、玉虫の会に呼ばれる人間は専門とする業界の垣根を超えて有名な人ばかりだよ。これを自分で言うとさすがに僕みたいな年寄りでも恥ずかしいのだけれど」


 一之瀬さんは白髪まじりの頭をかく。


「そうなんですね。色部さんと金永さんとは話しましたし、栗沢さんのことは以前から知っていました。なんでも幸運の女神とかで、賭け事に勝ちまくっているとか」


「くるみちゃんはそれだけじゃないよ。本当に幸運の持ち主だからね。去年の玉虫の会のとき、帰る日になって急に海が荒れて、帰れなくなってしまったことがあってね、僕らはもう一日滞在することになった。ここまでは不運な話、でも、くるみちゃんはそれだけでは終わらなかった。その日、いつもこの国に滞在しているときに使っているホテルの部屋が炎上したんだ。つまり、くるみちゃんは海が荒れたおかげで命拾いをした。ホテルからも謝罪されて、いくらか貰ったらしい」


「そんなことがあったんですね。これでほとんどの方の情報は得ることができました。ありがとうございます。それと、あの桃色の……花桃さんもかなり有名な方ってことですか?」


「結花ちゃんは占い師でね、占った相手のことや未来のことをだいたい当ててしまうんだ。玉虫の会には去年から参加しているよ」


「だいたい、ですか?」


「そう、だいたい。占いでだいたいが当たるなんてかなりすごいことだよ。僕も一度見てもらったことがあるけれど、ほとんど言い当てられてしまったよ」


 だいたいを言い当ててしまう。それはまるで神森さんじゃないか。神森さんはなんでもわかってしまう。そんな能力を僕は超能力だとか言っていたけれど、そんなに特別なことではないのだろうか。花桃さんの占いが果たしてどれくらいの精度なのかわからないけれど、神森さんに似た能力を持っているということなのかもしれない。


「すごいですね。動きは小動物みたいでしたけど」


「可愛い子だよね。もしかして気になっているのかい? 君には未守ちゃんがいるじゃないか」


「いえ、ただの興味です。明日以降来られるのはどんな方々なんですか?」


「今までの玉虫の会の参加者だと……。緑の便利屋、紺色の外科医、灰色の政治家、黄色の商人、あとは僕も知らない初参加が何人か、といったところかな」


「想像しただけで目が回りそうです」


「わざわざ参加者全員とかかわらなくてもいいんじゃないかな。それとも、あと何人女性が来るか気になっている、とか?」


「それもありますね、神森さんは何でもわかってしまうので、浮気にも敏感なんですよ」


「それだけ愛されているということだよ。君はすごい人間だからね、愛される理由もわかる。僕みたいな透明と違って、君にははっきりとした色があるから」


「そうですかね……。ちなみにどんな色ですか?」


「そうだな……何色にも染まりやすいと見せかけて、全く染まらない色、かな」


「そんな色、聞いたことないですけど」


「実在しないみたいというのも君らしい。だって君はありえないような、フィクションのような経験ばかりしてきたのだから……そうだ、君にしよう」


 そう言って一之瀬さんは立ち上がり、どこかへ行ってしまった。と想ったらすぐに戻ってきて僕に四角い何かを差し出してきた。


「君にこれをプレセントするよ。あげる人を探していてね、君は虹色の乙女シリーズを気に入ったみたいだし、なにより、黒の探偵さんの助手だ。君にはこれが必要だろう」


 僕は箱を受け取り、その四角い物体を眺める。どこかで見たことのある形……そうだ、これはファミコンのカセットだ。ファミリーコンピュータという昔の、テレビにつないで遊ぶゲームのソフトだ。


「何かのゲームですか?」


「始まりを四回繰り返す。そうすれば終わるから」


 そう言ったきり、一之瀬さんはカセットについて触れなかった。


 それからしばらくして、僕は寝ることにした。一之瀬さん曰く、若いうちの夜更かしはよくないとのこと。一之瀬さんはまだ起きているらしく、紅茶を入れ直していた。なんでも「そろそろ、次のお客さんが来る時間だ」だとか。そんな彼に「おやすみなさい」と告げ、僕は静かに部屋を出た。

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