花嫁事件 08
「ていやっ」
神森さんが湯船から、体を洗っている僕にお湯をかけてくる。
「神森さん、ここはプールじゃないですよ」
晩餐の後、部屋に戻った僕らは二人でお風呂に入ることにした。このお屋敷には大浴場もあるらしいので、僕はそちらを提案したのだけれど、神森さんがそれだと一緒に入れないと駄々をこねたので、部屋のお風呂に二人で入っているわけである。
部屋のお風呂は最近入れ替えたらしく、真新しいユニットバスだ。お屋敷の雰囲気がいいので、ヒノキのお風呂なんかを想像していた僕は少しがっかりした。けれど、この真っ白な空間は神森さんの家のお風呂とほぼ同じなので、変に緊張しなくて済んだ。
僕は先に神森さんを洗ってあげてから、自分の体を洗っている。
神森さんは先に湯船につかり、僕にちょっかいをかけてくる。いや、お湯をかけてくる。
「うわきものには天罰じゃ! ていやっ」
「いや、だから本当に知らない人なんですって」
浮気というのは、さっきの花桃さんの件である。いきなり抱き着かれたので、むしろ僕は被害者だ。というか、明日奈さん達と楽しそうにしていたので気づいてないと思っていたけれど、ばっちり見られていたらしい。
「そうか、あるは寝てる間にうわきしてたんだ……なるほど」
「なんですか、それ」
「睡眠うわきだ……」
「睡眠学習みたいに言わないでください」
と、湯船の方を見ると、綺麗な碧い瞳で見つめられる。神森さんの頬は少し赤く、短い髪から滴る雫が、白い首筋にぽたぽたと落ちている。なんとも艶やかだ。
僕の記憶は二回死んでいる。一度目は七年前の夏に河部ハーメルンと呼ばれる拉致監禁事件に巻き込まれたとき。そして、二度目は先月の白の狂犬との闘いで。二度目に関しては抜け落ちた記憶は一年分だけで、それもこの前取り戻したばかりだ。一度目に関してはそれ以前の全ての記憶がなく、今も継続中。もし僕が一方的に誰かを忘れているとするならば、可能性があるのは七年前の河部ハーメルン以前だ。本当に花桃さんが僕の知り合いならば、河部ハーメルン以前の知り合いということになる。
その頃の僕を知っている人間、と言われて思いつくのは両親と姉くらいだ。ここは姉に確認したいところだけど、ケータイは圏外。いや、神森さんに訊けばいいだけのことなのかもしれない。なんでもわかってしまう名探偵なのだから、こんな些細なことは少し唸れば済むことだろう。けれど、浮気だと騒がれているので今はやめておいた方がいい気がする。もし本当に知り合いだったら、それこそ本物の浮気だと騒がれてしまう。帰ったら姉に直接訊いてみよう。
なんてことを考えながら体をシャワーで洗い流し、僕も湯船に入る。神森さんは僕を入れるためにスペースを空け、僕が入るとこちらに戻ってきて、僕の上に座る。
「ある、しゅき」
神森さんは首だけこちらに向け、唇を重ねてくる。何度かキスをすると、神森さんは満足したのか、再び前を向く。
「一緒にお風呂はしあわせー、ふふふーん、ふふ、ふふふーん」
神森さんの体を肌で感じ、一緒に湯船につかり、彼女の鼻歌を聞いていると、身も心も温まる。神森さんが大浴場を拒んだ理由がよくわかった。




