花嫁事件 06
ビーチバレーならぬプールバレーを四人でして、一緒に小夏さんが用意してくれたジュースを飲み、デッキチェアでまったりしたり、今日が初対面とは思えないほどに、僕らは楽しんだ。そして、日が暮れる少し前にお開きとなった。
一度部屋に戻り、着替えを済ませた頃、小夏さんがやってきた。そろそろ晩餐の時間だとのこと。プールで遊んで程よくお腹が減っていた神森さんは、嬉しそうに飛び跳ねた。
小夏さんに案内され、僕らは晩餐が行われる食堂へ向かった。ちょうど螺旋階段を下りている途中で小夏さんが立ち止まった。何事かと思っていると、大きな声がホールに響く。
「どうしてそんなこともわからないのかしら! あなた何年私に仕えてるのよ!」
「申し訳ございません」
下を覗くと、玄関で明日奈さんが怒りの表情で一人の男性を睨みつけていた。周りには今日介さんと小滝さんもいる。そして渦中の男性は土下座をして誤っている。この男性は僕たちを船でここまで運んでくれた使用人さん……確か色部さんが小山田君と呼んでいた気がする。明日奈さんの様子から察するに、よっぽどのことをしてしまったのだろう。それにしても、今の明日奈さんは昼間会った時とは別人のようである。
「もういいわ、今すぐ辞めて出ていきなさい!」
「明日奈、それはいくらなんでもやりすぎじゃないか?」
「今日介さんは黙ってらして。小滝、あなた船舶免許持っていたわよね」
明日奈さんの問いに小滝さんは静かに首を縦に振る。
「では、この使えない元使用人を朝日ヶ浦まで送ってさしあげて」
「かしこまりました」
「お嬢様、本当に申し訳ありませんでした」
「二度と私の前に現れないで!」
土下座で何度も謝る小山田さんをさらに睨みつけ、明日奈さんは玄関ホールから去っていった。それに今日介さんが付いていく。小滝さんは小山田さんを起こし、そのまま外へ出て行ってしまった。
「小夏さん、ああいうことは結構あるんですか?」
「私はお嬢様に仕えて日が浅いので何とも言えませんが、若いメイドがお嬢様の逆鱗に触れ、解雇されたという話はいくつか知っています。ですが、小山田さんは男性の使用人ですし、かなり古くからお仕えしている方なので、正直、私も驚きました」
「そうですか」
「ねえねえ、ご飯は?」
「神森さんはさっきのどう思います?」
「あすっち、おこぷんって感じだったねー」
「ですね。小夏さん、食堂へ行くのはもう少し後にしましょう」
「ええええ、ご飯いこうよ!」
「神森さん、明日奈さんの機嫌がおさまるのを待ってからにしましょうよ」
「やだ! こなつん、案内して」
「かしこまりました」
結局、僕らは明日奈さん達のすぐ後に食堂に入った。食堂といっても、僕が通う学校の、たくさんのテーブルと椅子が並んでいるような食堂とは当然違う。ここは名家の次期当主が所有する別荘の食堂だ。なので、テーブルは一つしかなかった。そう、あの漫画やドラマなどでしか見たことないような長いテーブル。もちろん、明日奈さんはその一番奥の席に座っている。今日介さんは明日奈さんから見て右側の席で明日奈さんの様子を伺っている。明日奈さんはさっきまでの激怒は嘘だったかのように、静かで落ち着いているように見えた。どうやら、僕の配慮は無用だったようである。
僕と神森さんは小夏さんに案内され、明日奈さんから見て左側の席に座った。僕らが席に着いたくらいからぞろぞろと人が集まってきた。そして定刻、午後六時には全員が揃った。といってもテーブルのすべての席が埋まったわけではない。明日奈さんを入れて十人。席は半分程しか埋まっていない。明日以降も人が来るらしいし、きっと結婚式の前日にはこの席の全てが埋まるのであろう。
こうして見てみると僕と神森さんは明日奈さんから一番遠い席だったということが分かる。何を基準にして座席を決めているかはわからないけれど。そんなことを考えているとメイドさん達の手で前菜が運ばれてきた。全員の前に前菜が並んだところで、明日奈さんが立ち、口を開いた。
「皆さま、この度は私、小鳥遊明日奈とその夫、今日介のためにお集まりいただき、感謝いたしますわ。お食事の前に、玉虫の会恒例の自己紹介タイムといきましょう。毎晩自己紹介をするというのは面倒かもしれませんが、毎日新しい方が来られるので、ご理解のほど、よろしくお願いしますわ。では右から順に……そうそう、皆さん、肩書も忘れず紹介してくださいね」
明日奈さんがそう言った直後、一人の男性が立ち上がった。その男性は明日奈さんから見て右側、僕から見て向かい側、今日介さんの隣に座っていた人だ。どうやら右から順といっても今日介さんは例外らしい。
立ち上がった男性はだいたい五十代くらいだろうか、白髪まじりの髪にチェックのシャツ、ベージュのスラックス、そして大きな眼鏡をかけている。全体的に薄汚れていて、年齢だけでいうなら明日奈さんよりも屋敷の主っぽいけれど、見た目が主っぽくない。
「僕は一之瀬零士、透明の漫画家なんて呼ばれています。皆さん、よろしくお願いするよ」
一之瀬さんは、今この屋敷にいる人間の中で最年長と思われる。けれど、それを鼻にかけることもなく、控えめな声で自己紹介を終えた。透明の漫画家という名前も、一之瀬零士という名前も初めて聞いたけれど、透明というのは幸の薄そうな彼にぴったりな名前だと思った。
続いて、色部さんが立ち上がる。色部さんは船に乗っていた時と同じ服装だけれど、暑いのか、長袖のTシャツの袖をまくっている。当然、リストカットの跡も丸見えである。やはり本人に隠す意思がないからだろう。
「私は色部色葉といいます。職業は絵描きです。明日奈ちゃんとは幼馴染みで、その縁で玉虫の会に参加してきました。最近は虹色の画家と呼ばれるようになりました。よろしくお願いします」
色部さんがお辞儀をすると、その隣のゴスロリツインテールな女性、栗沢さんが立つ。昼間とは違うゴスロリ衣装だ。でも何が違うかは僕にはわからない。
「栗沢くるみ」
先ほどの二人とは違い、名前だけを言って座ってしまった。そっけないというか、何とも淡泊な自己紹介である。さすが白銀の賭博師といったところだろうか。
僕らの向かい側の列が終わり、次は僕らの列だ。明日奈さんの隣、つまり今日介さんと向かい合う位置にいる金永さんが勢いよく立ち上がる。
「アタシは黄金の菓子職人、金永光哲よ。数々の舌を満たしてきたこのエクセレントなアタシをヨロシク❤」
金永さんは自己紹介の後、僕にウインクをしてきた。プールで仲良くなったとはいえ、背筋が冷たくなった。どうやら本当に気に入られたらしい。
次は小さな女の子だ。食堂に入ってきたときから僕はこの女の子が少し気になっていた。薄紅色のワンピースに同じく薄紅色の髪。長さは腰あたりまであり、全体的にふわふわしている。そして、前髪は眉のあたりで真っ直ぐに切りそろえられている。いわゆるパッツン前髪というやつだ。
なにより僕が気になった点は瞳の色だ。彼女は瞳も薄紅色なのだ。何もかもが薄紅色。嫌でも白の狂犬や、その部下で真っ赤だったベニさんを思い出してしまう。きっと、コンタクトなのだろうけれど、この屋敷で普通の目の色をしていないのは神森さんと彼女だけなのだ。
そして、胸が大きい。僕の姉もかなり大きいけれど、それ以上ある気がする。体は見るからに小さいのに、不思議だ。
そんな薄紅色の彼女は、真っ直ぐどこかを見つめたままだ。自己紹介が始まらない。そして、食堂に沈黙が流れる。しばらくして、明日奈さんがこほんと咳をする。すると女の子はびくっと体を震わせ、周りをきょろきょろと見渡す。その動きがなんとなく小動物を連想させる。
「えっ わたし?」
周りの沈黙という肯定に気付いた彼女は、手を挙げて立ちあがった。
「はい! 桃色の占い師、花桃結花です。皆さん、皆さん、よろしくしてくださいです」
薄紅色の少女、花桃さんはそう言った後、僕にウインクをしてきた。
……え? 金永さんの真似だろうか。いや、そんなはずはない。彼女はぼーっとしていて自分の番に気付かなかったくらいだ。直前の金永さんの行動を見ているはずがない。では、単に僕を知っているからだろうか。いや、それもおかしい。僕は彼女をこの食堂で初めて見たのだから。つまり、正真正銘の初対面である。
僕が混乱していると花桃さんの隣の男性がすかさず立ち上がる。白衣を着ていて、歳は四十代くらい。髪型はオールバックで、いかにも仕事ができそうなお医者さんといった感じである。
「霧谷聖悟、結花の主治医だ。と、言ってしまうと結花が病弱みたいに聞こえるが、そういうわけではない。ただの保護者だ。よろしく」
低い声でそう言った霧谷さんがすっと綺麗に椅子に座ると、僕の隣の神森さんが「にょき」と言いながら立ち上がる。
「おはよう! ワシが黒の探偵、神森未守だよ。よろしくりーむぱん!」
神森さんは平常運転である。さすが僕の恋人である。どんな場所でもぶれることはない。と、感心しながら僕は立ち上がり、自己紹介をした。
「黒の探偵の助手で或江米太といいます。よろしくお願いします」
最後というのは逆に緊張するかと思っていたけれど、それほどでもなかった。




