花嫁事件 03
別荘島、もとい久美島に着いたのはちょうどお昼頃。そろそろお腹が空く時間である。屋敷に昼食が用意されているらしいので、早く食べたいものだ。
朝八時に、ほとんど寝ている神森さんを連れて電車で三時間、そこから船で約四十分。結構な長旅であった。といっても船着き場に降り立っても屋敷は見えない。どうやら目の前の森の先にあるらしい。
船を操縦していた使用人さんは、僕ら乗客が船着き場に降り立ったのを確認すると、せわしなく船の中から出てきて、僕らの前に立った。歳は三十代前半くらいの爽やかな雰囲気の人である。
「それでは、屋敷まで案内させていただきますので、こちらへ――」
「何回も来てるから、いい加減知ってるし。失せろ」
使用人さんの言葉を遮ったのはゴスロリな女性だ。
「ですが、初めてのお客様もいらっしゃいますので」
ゴスロリな女性は使用人さんを無視して、ツインテールを揺らしながらキャリーバックを転がし、歩いて行ってしまう。それを見て筋肉質な男性もリュックを背負い、おもむろに歩き出す。
「いいよ、小山田君。黒の探偵さんたちは私が連れて行くから。船、片づけておいで」
使用人さんに声をかけたのは色部さんだ。さすが雇い主の幼馴染み、使用人さんとも仲がいいらしい。
「すみません」
使用人さんは一礼して、船の中に戻っていった。色部さんは立ったままの僕と神森さんに向き直ると笑顔で「いきましょうか」と言って歩き出した。
船着き場から屋敷を目指して森の中を進む。色部さんを先頭に、その後ろを僕ら二人が付いていく感じだ。森の中といっても山道や獣道とかではない。舗装された緩やかな上り坂だ。横を歩く色部さんは荷物を持っていない。先に行った二人は旅行用の荷物を持っていたし、神森さんが荷物を持っていないのは僕が二人分持っているからで、色部さんが荷物を持っていないのはなぜだろう。
「色部さんは荷物ないんですね」
「ああ、私は夏以外もここに来るからね。それも玉虫の会が始まるよりずっと前から……中学生の頃くらいからかな」
「明日奈さんとは幼馴染みなんですもんね」
「そうなの、だから私の着替えやら画材やらが実家とは別に、全部ここにも用意してあって……。私は遠慮したんだけど、専用の部屋というかアトリエもあるくらい」
「明日奈さんの別荘ですけど、色部さんの別荘でもあるわけですね」
「それはちょっと言い過ぎかもしれないけど、そういう理由で、私は持ってくるものとかないの」
そう言った色部さんは恥ずかしがっているというか、嬉しそうな表情をしている。やはり他の客とは違い、自分は特別だということが嬉しいのだろうか。
「話は変わりますが、友人は明日奈さんと玉虫の会のメンバーくらいと言っていましたけど、仲はあんまりよくないんですか?」
「全然、そんなことないよ。……あ、さっきのあれ?」
「はい。別に怒っているというわけではないんですけど」
「くるみちゃんは悪い子じゃないんだけど、マイペースというかなんというか」
「自分勝手ですね」
「助手君ははっきり言うねー」
はははと笑う色部さん。すると僕の隣をふらふらと歩いていた神森さんが手を突き出し、色部さんの肩を叩く。
「ねえねえ、くるみちゃんってあれでしょ、栗沢くるみ! えっと……、白銀のとばくし! ばくし!」
そこだけ繰り返すと、賭博師爆死になってしまい、物騒極まりない。賭け事での爆死でも縁起が悪い。決して本人の前では言わないでほしい。ただでさえ良くない態度がさらに悪化してこちらが爆死してしまいかねない。
どうやら、ゴスロリな女性の正体は栗沢くるみだったらしい。この名前は僕でも聞いたことがある。賭け事で負けたことがほとんどなく、二十代前半にして賭博界の頂点に立った人物らしく、基本的には世界各国のカジノを巡って生活しているらしい。日本にいるときは競馬、競輪、競艇、なんかで勝ちに勝ちまくり、宝くじにも当たり、最近ではケータイゲームのレアキャラを入手するガチャでほとんど出ないキャラを出しまくったりしているらしい。もちろんこの情報は僕の友人、ゲーマーで情報屋のワタさんから聞いたものだ。幸運の女神に祝福された女だとか、幸運の女神そのものだとか言われていたのは知っているけれど、白銀の賭博師なんていう二つ名を聞いたのは初めてである。
「いくら自分勝手とはいえ、冷たい人ですよね」
「それが呼び名の由来だったりするんだよね。冷たく尖った態度が、相手に寒い雪の世界を連想させるみたいでさ」
「ああ、それで白銀なんですね。それと、もう一人の男性の方はどうして先に行ってしまわれたんでしょうか?」
「ああ、あの人は女性と子供には興味が――」
「うおおおお! 大正だああああ!」
色部さんの言葉を遮って神森さんが叫んだ。理由は簡単である。森の中を歩いてきた僕らの目の前に屋敷が現れたからである。白を基調としたその建物は西洋の建築を参考にしたデザインになっており曲線と直線の組み合わせが美しい。屋根には灰色の瓦が使われている。神森さんが叫んだように、まさしく、大正ロマンそのものといった建物である。建築物には詳しくないのでこういう建物をなんと呼ぶかはわからない。そして、かなり大きい。二階建てなのだけれど、ここまで大きいと迫力がすごい。窓の数を数えようかと思ったけれど、多すぎて諦めた。それくらい大きな建物である。
先に行ってしまった二人はもう屋敷の中に入ってしまったのだろう。洋風の門扉が半開きになっている。僕らはそんな門をくぐり、屋敷へ続く庭園を進む。庭園も建物と同じく洋風と和風の両方が同居しており、絵画か何かで見たことがあるような綺麗な庭だ。手入れも行き届いているようだ。
色部さんが屋敷の大きな木製のドアを軽くノックすると、内側からドアが開いた。
メイド、メイド、メイド。いや僕がメイド好きでおかしくなったとかではなく、本当に目の前がメイドさんだらけなのである。お屋敷の内装は茶色を基調にしてあり、吹き抜けの広い玄関ホールには大きな螺旋階段がある。そんな空間に、たくさんのメイドさん。少なく見積もっても十人はいると思う。いわゆるコスプレのメイド衣装ではなく、本物の、しかも大正時代を思わせる着物に、白いエプロンという趣がある組み合わせの衣装だ。ほとんどのメイドさんがえんじ色の着物なのだけれど。真ん中の眼鏡をかけたメイドさんだけ紺色の着物だ。歳も他の人達が二十代前後くらいなのに対し、紺色の着物の人は四十代前後といったところであろうか。
「色葉様、お帰りなさいませ」
紺色のメイドさんが色部さんにお辞儀をする。
「ただいまです。えっと、こっちが……」
色部さんが言いよどんでいると、メイドさんは眼鏡のフレームに手を当て、こちらに向き直り、深くお辞儀をした。
「ようこそいらっしゃいました。黒の探偵、神森様とその助手、或江様ですね。お嬢様からお話は伺っております。私はメイド長の小滝と申します。滞在期間中、何かございましたら、私共使用人に何なりとお申し付けください」
「よろしくでござりまする」
「よろしくお願いします」
僕らも頭を下げる。どうやら明日奈さんから、黒の探偵の性別を事前に聞いていたみたいだ。おかげで色部さんのときみたいに間違われずに済んだ。
「お二人はひとまず応接室にご案内するよう言われております。お嬢様が待っておられますので。色葉様はどうなされますか?」
「私はいいです。部屋で少し休みます」
「かしこまりました」
色部さんがまっすぐ奥へ進んでいくとメイドさん達が道を開ける。そのうちの一人がすっと色部さんの後ろに着いていく。そして、色部さんは螺旋階段の下を進み、屋敷を通り抜ける形で裏口から外へ出て行った。
僕らはメイド長の小滝さんに連れられ、絨毯が敷かれた長い廊下を歩き、応接室へ向かう。ちなみにこの屋敷は土足でいいらしく、僕らは靴を履いたままだ。こんな立派なお屋敷で、しかも絨毯の上を土足で歩くのはちょっと気が引ける。しかし、神森さんは何とも思っていないらしく、鼻歌を歌いながら弾んだ足取りで、小滝さんについて行っている。
「こちらでございます」
僕らが進んできた廊下の突き当りで小滝さんは立ち止まり、目の前のドアを指し示す。
「お嬢様、黒の探偵、神森様がお見えになりました」
「どうぞ、お入りになって」
中から明日奈さんと思われる声が聞こえると、小滝さんがドアを開けて中に入り、僕らを招き入れる。部屋の奥に女性と男性の二人が立っていた。
「初めまして、私が小鳥遊明日奈ですわ。こちらは夫の――」
「小鳥遊今日介です。この度は遠いところから、僕たちのためにわざわざありがとうございます」
明日奈さんは、上品な顔立ちに茶色い髪。その髪は肩当たりでくりんとカールしている。色部さんとは対照的にいい意味で大人っぽい。いや、大人なのだけれども。服装は白のブラウスに紺のロングスカート、薄手の水色のサマーカーディガンを羽織っている。飾り気がないわけでも派手すぎるわけでもなく、上品ないでたちである。隣の今日介さんは高身長で、目鼻立ちがはっきりとした顔立ちをしており、黒のスーツをびしっと着こなしている。二人で並ぶ姿は幸せそうな新婚夫婦そのもである。
「ワシがみもだよ! こっちは助手のある」
「或江米太です、初めまして」
僕がお辞儀をすると、神森さんは明日奈さんの方へ小走りで近づき、そのまま抱き着く。
「あすっちー、やっと会えたね!」
「みもちゃん、やっと会えましたわね」
そう言って、僕と同じくらいの身長がある神森さんを受け止める明日奈さん。色部さんと同じくらいの身長なので、神森さんを受け止めるのには少し無理がある。しかし、同じくらいの身長の僕の姉もよくやっていたことなので、難しいことではないのだろう。
「遠かったでしょ? 疲れているのではなくて?」
「全然、もりもりだよ! あるが一緒にいてくれるからね」
「それはよかったですわ。そうそう、メールで読みましたけれど、みもちゃんも婚約したのですよね」
「そうだよー。あるが卒業したらけっこんするんだ。あるはまだ高校生だからね!」
「あら、そうなのですね。そのときはぜひ式に呼んでください」
「りょぷかいでーす」
長年のメル友としてやり取りしてきた二人のオフ会を、僕も今日介さんも、小滝さんも黙って眺めている。
「ほんと、思っていたとおり、いえ、それ以上にみもちゃんは可愛いですわ」
「ほめても何もないよ! あすっちも、すっごい綺麗だよ」
「ありがとう」
抱き合いながら会話していた二人はここでようやく離れた。初対面から抱き合うなんて普通じゃ考えられないけれど、会う前から友達だった二人にしてみれば普通のことなのだろう。なんて考えていると、応接室にメイドさんがやってきた。
「お嬢様、ご昼食の用意が整いました」
その言葉を聞いた明日奈さんは一度、今日介さんを見てから頷く。
「では、私たちはこれで失礼しますわ。みもちゃん、またあとでね」
「ばいばーい」
ひらひらと手を振る神森さん。メイドさんに続いて明日奈さんと今日介さんの二人は部屋から出て行った。それを見届けると、小滝さんが眼鏡に手を当て、口を開く。
「それでは、お部屋にご案内します」




