花嫁事件 02
今回の依頼人というか、招待してくれた人の家はいわゆる名家というやつで、島やら船やら飛行機やら、なんでも持っているらしく、別荘がある島へ向かうこの小さな船(といっても四十名ほどは楽に座れる客席がある)もその依頼人が所有しているものらで、操縦しているのも使用人さんだ。船の乗客は僕らの他に三名、全員が今回の結婚式に招待された招待客である。
船の甲板から神森さんと二人で海を眺めていると、目的地である島が見えてきた。
「島だ! 島見えてきたよ!」
「結構大きいんですね、丸ごと所有してるっていうから、もう少し小さいのかと思ってました」
「あるはまだまだでござるなー。あすっちはお金持ちとかそういう次元じゃないのだよ。ワシはお金持ちの次元でおさまってるけどね!」
「そうみたいですね。ところで、まだ島の名前を聞いてなかったと思うんですけど」
「……え? 言ってなかったっけ? 別荘島」
「それ本当なんですか?」
「正式名称は久美島っていうんですよ。明日奈ちゃんは別荘島なんて呼んでますけど」
声がした方を見ると背の低い女性が僕の隣にいた。といっても神森さんより小さいというだけで、僕の姉と同じくらいだ。三つ編みにした二本の黒髪に分厚い眼鏡とそばかす。服装は長袖の白いTシャツにジーンズといった飾り気のないもの。歳は神森さんと同じくらいだろうか、いや、もう少し幼く見えるといえば見える。僕の同級生にいてもおかしくないかもしれない。
「あなたが黒の探偵さんですか? 思ったより若いんですね」
「え?」
「夏なのにそんな真っ黒な格好してたら、すぐわかりますよ。それに、今回初めて見る顔ですし」
そういわれて僕は自分の服に目を向ける。黒のズボンにグレーのタンクトップ、その上から薄手の黒いパーカーを羽織っている。見事に黒い。意図したわけじゃないのだけれど、確かにこれでは黒の探偵と思われてもおかしくないかもしれない。いくら本物が隣にいるからといって、本物の黒の探偵は全然黒くないし。
「いや、僕は助手で或江米太といいます。で、こっちが黒の探偵です」
「ワシが黒の探偵、みもだよ。よろしくりーむぱん!」
笑顔で挨拶する神森さん。髪は金色だし目は碧いし、やっぱり黒の探偵には見えない。
「ああ! そうでしたか。すみません! 黒の探偵さんは男性だと勝手に思い込んでしまっていて……」
慌ててお辞儀をしてから、言い訳をする三つ編みさん。恥ずかしいのかどことなく顔が赤い。やはり神森さんと同じくらいだろうか?
「私は色部色葉といいます。職業は絵描きです」
「虹色の画家さんだ! やったっぴー。後でサインもらお!」
「虹色……ですか?」
色部さんはどこからどう見てもそんな色の恰好はしていない。とはいえ、神森さんも何年か前に黒ずくめで行動していたおかげで黒の探偵なんて呼ばれているわけで。もしかしたら、色部さんも昔は髪の毛が虹色だったのかもしれない。
「あるはそんなことも知らないの? 虹色の風景シリーズだよ! すっごいキラキラしてるんだよ! 何年か前にヨーッロパで賞をもらって、このまえ全国の美術館を絵がまわってた……虹色の画家さん、そうだよね?」
「は、はい。この歳でこんなにも取り上げてもらえるようになるとは自分でも思ってなくて……」
またもや顔を赤くして答える色部さん。どうやら虹色なのは髪色ではなく、絵のことだったらしい。しかも虹色の画家として売れ出したのは最近で、本人も戸惑っているようだ。というか、そもそも二つ名をつけられてそれを恥ずかしがりもせず、堂々と名乗るのは神森さんくらいかもしれない。いや、白の狂犬も堂々としていたけれども。
「あ! ワシはのどがかわいた!」
「わかりました。客席に戻って、オレンジ取ってきますね」
「りょぷかいでーす」
「あ、私もそろそろ戻ります」
そう言って色部さんが僕についてくる形で、二人で客席に戻ってきた。四十名ほどが座れる客席には僕ら以外の二人だけが座っている。短髪、筋肉質の男性は一番後ろの席で窓の外を見つめており、ツインテール、ゴスロリな女性は男性の対角線上の一番前の席でケータイをいじっている。
僕は真ん中あたりに置いていたバックパックから神森さんのオレンジが入った水筒を取り出す。
「それにしても若くてお綺麗な方ですね」
まだ僕の後ろにいた色部さんが声をかけてくる。
「探偵さんっていうから私、てっきり同い年くらいの男性を想像してまして……」
「確かに男性ではないですけど、神森さんと色部さんは同世代ではないかと思うんですけど。あと、僕は高校生で、ただの助手なので敬語じゃなくていいですよ」
「え、えっと……うん、わかった。で、黒の探偵さんはいくつ?」
「中身は子供みたいですが、二十歳です」
「やっぱり、若い……。私はもう三十だよ?」
「え? それは年齢の話ですか?」
「そうだけど?」
おかしい。おかしすぎる。神様のいたずらにしては度を超えている。そう思い、僕は色部さんを改めて見つめる。二本の三つ編みにそばかす眼鏡、低身長。やっぱり神森さんどころか僕と同い年でもいける気がする。芸術家などは集中した分だけ歳をとらないとか、何かの本で読んだ気もするけど、それならこの人は一体どれだけ集中したというのだろうか。
「もしかして、若く見える?」
「ええ、それはもうかなりです」
「ちょっと嬉しいかも、ありがとう」
「あまり言われたことないんですか?」
「ああ、私ほとんど外に出ない生活してるし、友達も明日奈ちゃんくらいだから。あとこの玉虫の会に来る人くらいかな」
「先ほどから明日奈さんを、ちゃん付けで呼んでいたのは友達だったからなんですね」
「そうそう、幼馴染みで同級生なの。だから、毎年玉虫の会に呼ばれてるのも、画家としてというより幼馴染みだからだよ」
「本当に三十歳なんですね」
「だからそう言ってるじゃない」
小鳥遊明日奈、神森さんが『あすっち』と呼び、色部さんが『明日奈ちゃん』と呼ぶ彼女こそが、今回黒の探偵を招待した張本人である。名家中の名家、小鳥遊家の長女にして次期当主だ。年齢は三十歳。
そして、色部さんが何度か口にしている玉虫の会とは、小鳥遊明日奈が五年ほど前から開いている催しで、内容は簡単、世の中の様々な分野で活躍する有名人、いわゆる才能を持つ人材を毎年夏に別荘に集めてしばらく滞在させる、というものである。なんでも明日奈さんは才能に直に触れ、その持ち主と仲良くなるのが趣味なのだとか。大きな権力を使った何とも言えないお遊びである。
黒の探偵も二年ほど前から招待されるようになったらしいのだが、神森さんが参加するのは今回が初めてである。白の狂犬の件があったので当然といえば当然なのだけれど、今回参加することになった理由はもう一つある。結婚式だ。今回の玉虫の会は今までとは少し違う。明日奈さんは今年の四月に結婚したのである。もちろん式や披露宴は盛大に行われたらしいのだが、才能の持ち主を集めてもう一度式を行いたいというのが明日奈さんの希望なのだとか。なので、今回は玉虫の会結婚式バージョンといったところである。
ちなみに、神森さんが明日奈さんを『あすっち』と呼ぶのにはわけがある。なんでも、初めて招待状が届いた時からメル友なのだとか。でも、今まで玉虫の会に参加していなかったので、もちろん会ったことはない。本当にただのメル友である。
玉虫の会。目の前の色部さんが虹色の画家であるように、あとの二人も何かしらの才能の持ち主で、有名人だということだ。それに僕らより先に別荘に到着している人たちも、明日以降やってくるのも、そういう人たちなのだ。式は二十三日、土曜日に行われることになっている。招待客はその日に間に合いさえすればいつでも来ていいことになっているのだとか。
「助手君、ジュースはいいの?」
色部さんに声をかけられ我に返る。そうだった。神森さんにオレンジを飲ませてあげなくては。真夏は水分補給が大切だ。雇い主兼恋人を炎天下にさらしたまま、考え事をしている場合ではない。
「では、僕は行きますね」
「いってらっしゃい」
色部さんはそう言って椅子に座った。ほんと、彼女の年齢には驚いたけれど、そんなことよりも、今は神森さんにオレンジを飲ませるのが僕の仕事である。




