七夕事件 12
おそらく現在時刻は午後七時三十分。河部七夕のフィナーレを飾る六千発の花火が打ち上がる時間である。
瓜丘さんはパーカーのポケットから端末を取り出し、スイッチに指を乗せる。
「お前は神森を見ておけ。感情で滅茶苦茶になる神森の顔をな!」
そう言って、瓜丘さんは花火が観客を襲うスイッチを押した。
大きな音が数回響いた。
けれど、僕らの目の前に広がる河部市の夜景に変化はなかった。花火が空に上がることも、河川敷が火の海になることもなかった。さっきまでと同じ、河部市の夜景である。
部下に連絡しているのか、ケータイに向かって怒鳴る瓜丘さんに僕は声をかける。
「花火は上がりませんよ」
「何を言ってる?」
『ちゃんと咲くから、見てて』
そのメッセージが届いた時から、僕はわかっていた。瓜丘さんが何をしようとしているかがわかっていたのだ。桜さんは初め頭をひねっていたけれど、今まで何度も神森さんの抽象的なヒントを解読してきた僕にとって、意味の解読なんて簡単なことだった。
メッセージが届いた直後、僕と桜さんは思案を重ね、今回の作戦を立てた。この作戦の為にワタさん、そしてマリーさんを同好会に引き入れた。もちろん、同好会はまだ発足していないし、二学期からはちゃんと活動する予定である。そして見事、作戦は成功した。
同好会のメンバーで、ワタさんに毎日絡んでいる今時ギャル、マリーさん。彼女の本名は玉屋鞠である。彼女の姓、『玉屋』は花火が打ち上がる際の掛け声でお馴染みの、あの『玉屋』だ。玉屋は江戸で鍵屋と共に名を馳せた後、火事を起こして江戸を追われている。そんな彼らの末裔が、この河部市で毎年行われる花火大会を仕切っている。マリーさんはそこの一人娘なのだ。
昨日、桜さんに送られてきたメッセージ、『桜ちゃん、こっちはオッケーだよ! カレシにも言っといて!』というのは、打ち上げの機械に花火の玉が入っていないか最終確認を終えたという意味である。いくら遠隔操作やクラウドだと言っても玉を入れるところだけは手作業だ。だから、僕らはマリーさんの親御さんに頼んで玉を入れないでもらった。
もちろん、初めは断られた。けれど僕は諦めなかった。何度か玉屋煙火工業に足を運び、黒の探偵と白の狂犬について説明し、その白の狂犬が花火を使って河川敷を火の海にするつもりなのだと言った。根拠を問われたときは、今までの神森さんの功績と僕と神森さんの関係性を説明した。娘のマリーさんの説得もあって、最終的に棟梁さんは僕らに協力すると言ってくれた。なんでも『二度と火事を起こさない』が玉屋の家訓らしい。棟梁さんは僕の言葉を信じ、不祥事を起こさない為に協力してくれたのだ。
つまり――
「花火なんて準備されていなかったんですよ」
ちなみに、花火が打ち上がらないことについては、機械の不調で通すことになっている。新しいシステムと機械なので不調を起こす場合があると、事前に七夕祭りの実行委員会に説明してくれているという。今頃河川敷では『機械の不具合の為、打ち上げは明日に延期します』といったアナウンスが流れているはずだ。
「あはははははははははは!」
瓜丘さんは全てを理解したのか、膝を落として豪快に笑っている。
彼女の誤算は二つある。一つ目は、今まで瓜丘さんが何を仕掛けても動かなかった神森さんが動いたことである。といっても全く動かないとは考えていなかったようで、神森さんに賞金を懸けることで姉と神森さんの動きを妨害している。あくまで保険だったのだろうけれど。
そして二つ目は関係のない僕らが動いたことだ。しかも同好会の勧誘と同時に作戦の準備を進めていたので、きっとマークされていてもただの勧誘活動にしか見えなかっただろう。桜さんが告白の後に言った通り、関係がないからこそできたことなのだ。
僕らが動いていることを教えることができれば、姉は怪我をする必要はなかった。けれど、どこから情報が漏れるかわからなかったので、作戦内容を知っているのは同好会のメンバーと玉屋さんだけにとどめておいた。
姉には悪いことをしてしまったけれど、仕方ない。
「よくやるぜ、けどな……」
瓜丘さんは立ち上がり、パーカーをめくって、ズボンに差していた拳銃を取り出す。
「お前がここに来たのは失敗だったな」
サイレンサーが付けられた銃口は真っ直ぐ僕を狙っている。




