縦笛事件 05
姉が意味不明な女性が住む怪しげなアパートの部屋に僕を置き去りにして数分後、僕は台所にいた。アイスのカップをゴミ箱へ、スプーンを台所の流しに入れて、リビングに戻ってくると、この部屋の主は明らかにやる気な下げに「いらいやるかー。やるかーにばるふぇすた」とクマを抱えてごろごろ転がっていた。
「依頼ですか?」
「そうだよ。にゃーさんを探すの」
にゃーさん? あだ名のだろうか、姉のことを『あるたろう』僕のことを『あるじろう』、クマのぬいぐるみを『かんぞう』などと呼ぶこの人なら『にゃーさん』と呼ぶ誰かがいてもおかしくはないだろう。
「にゃーさんにゃーさんねこにゃー」
みもさんはホットパンツのポケットから小さな赤い首輪を取り出す。
鈴がついてるやつだ。
猫? 『にゃーさん』とは猫のことだったのか。案外そのまんまである。
「猫ですか。猫を捜すんですか?」
「にゅあーにゃー。猫もいいけどクマがすきー」
そう言いながらごろごろと転がり、部屋の隅っこの床に置いてあったノートパソコンの電源を入れるみもさん。寝転がったままパソコンに向かい、足をばたばたさせている。
「猫、パソコンの中にいるんですか?」
「あるじろーとーふふん。ふたりきりー」
「依頼っていうことは猫を捜してほしいという依頼ですか?」
「ふふふふたりきりーで、いやん。そんなとこー」
「触ってません」
らちが明かない。依頼に報酬。この人はひきこもりの大学生だったはずだ。一体何者なのだろうか、姉の片思いの人というだけではなさそうである。
だけど確認しようも本人がこれなので、僕はズボンのポケットからケータイを取り出す。
「なにか用?」
ワンコールで姉が出た。忙しいんじゃなかったのだろうか。
あれ? そういえばドライブするために車で来たとか言っていたような。
「ちゃんと説明してください。この人、みもさん? 依頼がどうとか言いているんですけど。それにさっき報酬とか言ってましたよね。探偵か何かなんですか?」
「そう、依頼……。今日はそういう日だったのね。ちょうどいいわ、手伝ってあげなさい」
「手伝うって。だから、ちゃんと説明してください」
「神森未守。歳は私と同じ、大学生よ。現在ひきこもり。私の想い人。昼夜逆転の生活を送っていて、私が身の回りの世話をしている」
「それはさっき聞きました」
「そう。で、依頼と報酬の話よね。まあ、探偵ってのは間違ってはいないわ」
「みもはね、相談屋をしているのよ。というか、たまに依頼が来るの。私はその助手ってところ。で、今回は何?」
「にゃーさん……猫? 捜すみたいですけど」
「なら、捜しに行きなさい。みもは家から出ないから」
ツーツーツー。と何とも言えない電子音が耳元で鳴る。
一方的に切られてしまった。本当に忙しいのだろう。
「神森さん、今回は僕が手伝うってことみたいなんですけど」
「知ってるよ。あるたろうがさっき言ってたじゃん。……ん? 言ってなかったっけ? まあ、いいや。あ! このクマさんかわええ。こうにゅう、こうにゅう」
相変わらずパソコンに向かう神森さん。てっきりインターネットで猫を探しているのかと思いきや、完全にネットショッピングを楽しんでいる。
仕方がない。姉が言っていたように僕が外に行って捜すしかなさそうだ。
「猫、見つけてきます。特徴とかわかりますか?」
「あるじろ」
「ん? なんですか?」
急にこちらに這い寄ってくる神森さん。
「あげる」
縦笛を渡された。そして、彼女は元いた場所へのそのそと帰って行く。
「パソコンしなきゃー。クマー」
「……」
あるじろうはふえをてにいれた。
どこかで効果音が鳴っていそうな、アイテムゲットの瞬間である。いやいや、これから猫を捜すのに縦笛が武器ってどういうことなのだろうか。さっぱり訳が分からない。
あるじろうはケータイをとりだした。
「なに? 私忙しいんだけれど」
「忙しい人はワンコールで電話には出ません」
「はいはい。で、今度は何?」
「猫さがすって言ったら、縦笛渡されたんですけど」
「場所は聞いたの?」
「はい?」
「猫の居場所よ。みもなら外に出なくてもわかるから」
ツーツーツー。
再び一方的に切られてしまう。
忙しいのか忙しくないのか、我ながら困った姉である。
しかし外に出なくても居場所がわかる? なんとも不思議である。ますます意味不明だ。展開についていけない。でもまあ、姉がそう言うのならそうなのだろう。闇雲に捜すより、手がかりがあったほうが良いにこしたことはない。とりあえず訊いてみる。
「神森さん、猫はどこにいるんですか?」
「あ、このクマさんもかわええ。コイツの名前はじんぞうだなー」
「どこですか?」
「ん? 猫? どうしたの?」
寝転がったまま、こちらを向く神森さん。やはり、美人なことには美人である。
「その猫は今、どこにいるんですか?」
「会瀬川公園の悲しくて苦しくておいしい場所だよ」