七夕事件 10
暗い森の中を、耳元から聞こえてくる指示に従って進んだ。時には木の枝をへし折り、高く伸びた草を踏みつけ、体のあちこちに切り傷を作りながらも、なんとか展望公園の近くまで来ることができた。
なるべく音をたてないように茂みをかき分け、展望台の方を覗くと、山から張り出すように置かれた台の上に神森さんと瓜丘さんの姿を確認することができた。神森さんはパイプ椅子に縛り付けられており、瓜丘さんは河部市の夜景をバックにして立っている。
瓜丘さんは前に会ったときと同じ白のパーカー姿だけれど、フードは被っておらず、真っ白な髪が暗がりの中で光っている。神森さんも、いつものワイシャツにホットパンツ姿で、瓜丘さんと同じく金色の髪が光っている。
「対象を確認できました」
「わかった。後は上手くやれよ」
「ありがとうございます」
「ごっこ遊びで命を無駄にするなよ」
そう言ってワタさんは通話を切った。僕はイヤホンマイクをリュックに仕舞い、代わりにナイフを取り出し、鞘のベルトを腰に装着する。準備はしっかりとしてきた。五月の連休のときは不意打ちだったので何もできなかったけれど、今回は違う。
準備を整えた僕は低い姿勢で茂みの中をゆっくり進み、展望台へと向かう。
近づくにつれ、瓜丘さんの話し声が聞こえてきた。
「神森、お前は感情がわからない。悲しむことも、誰かを愛することもできない。けどな、それも今日で終わりだ。わからないお前は十九歳で死ぬ。明日からお前はいろんな意味で大人なるんだ」
彼女の声は落ち着いていた。神森さんは何も答えないので、話をちゃんと聞いているのかどうかはわからない。
「ここからの眺めはいつ見ても綺麗だよな。特に今日は七夕祭りだ」
そう言って瓜丘さんは神森さんから目線を外し、夜景を眺める。
ちょうど僕は神森さんが縛り付けられているパイプ椅子の真後ろの茂みまで来ていた。
「見えるか? 今日はあの河川敷に大量の人間が集まってる」
瓜丘さんは夜景の中の会瀬川を指す。川沿いに出店が並び、ずらっと並んだちょうちんが赤く光っている。市内どころか県外からも集まった多くの見物客、一年に一度のイベントを楽しむ人達があそこにいる。
僕は鞘からナイフを抜き、茂みの中から小さな声で神森さんに声をかける。
「神森さん、僕です」
振り返ろうとする彼女に僕は早口で続ける。
「お喋りも、動くのも禁止ですよ。僕が時間を稼ぐんで、その間に逃げてください」
パイプ椅子と神森さんを縛り付けてあるロープを切り、動けば簡単にほどけるように結び直していく。そんな僕に神森さんは声を出さずに軽く頷いた。
「おい神森、聞いてるか?」
瓜丘さんが振り返ったので僕は茂みの中へ戻る。
「うん、聞いてるよ」
「俺は今からあそこに居る連中全員を殺す。わかるか? お前に関わった人間がお前の目の前で全員死ぬんだ」
「……あるたろうは?」
「まんまと罠に引っかかってくれたよ。あの格闘家がいたら、こうしてお前をここに連れてくる事もできないからな」
つまり、河川敷の打ち上げ場での一幕は姉を排除するためのフェイントだったというわけである。僕は初めから瓜丘さんが神森さんを連れ出す前提で、神森さんを逃がす準備をしていたけれど、姉は計画自体を止めようとしていた。それ故に、花火の打ち上げ場に現れた瓜丘さん達に真っ向からぶつかって行ったのだろう。そして、ベニさんに負けた。
瓜丘さんはパーカーのポケットから四角い箱を取り出し、神森さんの目の前に突き出す。
「この端末のスイッチを押せば、花火は河川敷にいる客共目がけて発射されるようになってる。……面白いだろ? 花火を観に来た連中が全員、花火に当たって死ぬんだ」
なんとも荒唐無稽な話ではあるけれど、白の狂犬は本気である。神森さんに感情を芽生えさせる為に何人もの人間を手にかけてきた彼女が考えた最後の計画、それは今までで一番大きく、最高に派手なものだった。
そして、それは可能である。数年前から導入された打ち上げシステム、花火クラウドにハッキングをかけて筒の向きを変えれば、打ち上げ用の機械が観客の命を脅かす砲台と化す。もちろん高度なセキュリティを突破する必要があるけれど、瓜丘さんの部下にはその辺に強い人もいるみたいだし、現にもう打ち上げの権限は彼女が持つ端末に移譲されていると言う。
けれど、僕がここに来た目的は計画の阻止でもなければ、命を狙われている多くの観客を六千発の花火から守ることでもない。僕がしなければならないのは瓜丘さんがスイッチを押すのを止めることではないのである。




