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七夕事件 08 五月二十五日 日曜日

「わ、私と付き合ってください」


 雨の中、意を決して告白してくれた桜さんに僕は言った。今まで神森さんの『こいびと』をやっていたことと、ついさっき神森さんの助手ではなくなったことを。

 すると桜さんは胸のあたりで握りしめていた手をおろし、深く息を吐いた。


「私は早計でした。あの人はいつも私の先を行く。さすが憧れの人です」


「桜さん、もしかして……」


 桜さんは神森さんが黒の探偵だということを知らない。なのに、憧れの人と表現したという事は――


「はい、知っています。或江君がどうしようもないくらい分らず屋な事も、元黒の探偵の相談屋さんが、白の狂犬に狙われていることも」


 そう言った桜さんの表情はすごく落ち着いていた。

 いつまでも雨の中で話すわけにもいかないので、僕らはとりあえずアオヰコーポの駐輪場の屋根の下に入る。この駐輪場は普段からほとんど何も置かれていない。あるのは神森さんの黒バイくらいで、僕は自転車で来たときはいつもこの駐輪場に停めていた。


「連休の事件の後、私すごく心配になって……情報屋さんから買ったんです。或江君と相談屋さんの情報を。……すっごく高かったんですよ?」


 傘を閉じ、雨露を軽く払った後、桜さんは茶化すように微笑んだ。

 桜さんはワタさんの友人ではないので通常料金を取られたのだろう。しかも個人情報な上に学外の情報も含まれている。一体どれだけ払ったのか、いつも友人料金で情報を買っている僕には想像もできない。

 桜さんは雨をひたすら降らせる曇り空を見上げる。


「……或江君が心配でした。だから、私の恋人になってもらって、相談屋さんから距離を置いてもらおうと思ったんです。けど、或江君はもう関係のない人になった。……白の狂犬に命を狙われる可能性は低いと思います。正直、安心しました」


 神森さんがどういう理由で僕に別れを告げたかはわかない。けれど、姉の思惑としてはその通りだ。僕を危険から守る為に『後は任せなさい』と言ったのだから。

 空を見つめていた桜さんは僕の方に向き直り、じっと見つめる。


「でも、或江君はこのままでいいんですか?」


「わかりません」


 僕は感情がわからない分らず屋だ。姉の教えによって、人間がどんな時にどんな感情を抱くかは頭で理解はしている。だけど、僕がどう感じているかなんて、どうしたいかなんて、わからないどころか抱いたことがない。だけど――


「でも、放っておけません」


「『あいつは何もわからないくせに、困っている人を放っておけない』って情報屋さんが言っていました。私に初めて声をかけてくれた時もそうだったんですよね?」


「そうかもしれません」


「でも、神森未守は困っていない。それでも放っておけませんか?」


 桜さんの問いに僕はゆっくりと頷いた。

 確かに神森さんは困っていない。だけど、あの意味不明で危なっかしくて、人の話を全然聞かないくせに、なんでもわかってしまうあの人が、感情だけがわからないあの人が、死の危険に晒されているのなら、僕は神森さんを放っておくことができない。理由は相変わらずわからないけれど、何回考えても結論は同じである。僕はあの人を放っておくことができない。


 雨の音に混じって桜さんの笑い声が聞こえてきた。


「どうして笑うんですか」


「だって、わかってるじゃないですか」


 そう言って桜さんは自分の手を僕の手に重ね、僕の胸元まで持っていく。そこは心臓がある場所だ。


「それですよ」


 重ねられた手が胸に押し付けられる。少し早くなった心臓の音が聞こえた。今まで散々わからないと言い続けていたものは、どうやら僕の中にもちゃんとあったらしい。

 それからしばらく今後の行動について軽く話していると、雨は止んだ。

 僕は駐輪場から出て、雲の切れ間から差し込む光を見上げる。

 桜さんはまだ屋根の下で俯いていた。


「やっぱり、恋人になってくれませんか?」


「それが協力の交換条件なら、僕には断る理由がありませんよ」


 僕がそう言うと、桜さんは何も言わず頭を下げた。


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