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七夕事件 07 七月六日 日曜日

 河部七夕の花火大会は午後七時半から打ち上げが開始される。僕は軽くシャワーを浴びてから動きやすい恰好に着替え、昨日準備したリュックを背負い、約束の時間である夕方五時頃に桜さんの家へと向かった。


 インターホンを押してしばらくしてから出てきた彼女は僕とは違い、花火大会に行くのにふさわしい恰好だった。淡い水色の浴衣姿の桜さんの髪は首の後ろで一つに結ってあり、いつもの中折れ帽姿とはまた違った印象である。


「一度断ったんですけど、母がせっかくだからと言って聞かなくて」


「似合ってますよ」


「ありがとうございます」


 頬を赤く染める彼女の手を取り、まだ明るい住宅街を花火大会の会場に向かって歩き出す。桜さんは下駄に慣れていないのかいつもより足取りがおぼつかない。


「ゆずかちゃんはもう行ったんですか?」


「はい。クラスのお友達とお昼前に出ていきました。今日は一日中河川敷公園にいるみたいです」


「小学生は元気ですね。僕も見習いたいですよ」


 僕がそう言うと桜さんは少し笑ってから、「或江君も負けてませんよ」と言ってくれた。


 会瀬川へと近づくにつれ、僕らと同じように祭へと向かう為に家から出てくる人達がだんだんと増えてくる。家族連れやお年寄り、住宅街を抜けてからは浴衣姿のカップルも目立ってきた。それらは次第に人の群れになり、河川敷にたどり着くころには道幅いっぱいに人が溢れかえる。東河部駅がある東側からも多くの人が笠佐木橋を渡って、屋台が連なる会瀬川河川敷公園へと向かって来ている。この河部七夕の花火大会には市外や県外からも多くの観光客がやってくる。それくらい有名で大きなイベントなのだ。


 そんな人混みの中、僕らは屋台をいくつか回った。早めの夕食が済んだ頃、遠くで救急車のサイレンが聞こえた。それと同時に打ち上げ場の方で騒ぎがあったという会話があちらこちらから聞こえてくる。


「行きましょう」


 右手にリンゴ飴を持った桜さんが、僕と繋いでいる方の手を強く引っ張る。僕らはそのまま人の群れの間を縫って進む。本来なら走る場面なのだろうけれど、人が多すぎて少し早く歩くくらいしかできない。桜さんは履きなれていない下駄にもかかわらず、僕の手を強く引っ張って、人をかき分けながら進む。


 花火の打ち上げ場として使われているグラウンドへと繋がる小さな橋を渡ると、赤いライトを光らせている救急車の周りに人だかりができていた。


「ある君!」


 人だかりの中心から僕を呼ぶ大きな声が聞こえたと思ったら、朝見刑事がクマの様な大きな体で人を押しのけながら近づいてきた。


「あるちゃんがやられた!」


 朝見刑事が声と共に僕の腕を引き、救急車の前までやってくると、ちょうど姉が担架で救急車の前まで運ばれてくるところだった。

 金色に染められた姉の髪はグシャグシャに乱れ、白いワイシャツは赤い液体が滲んで黒く変色していた。それだけではない。腕は本来の向きとは逆方向に曲がっており、脚にも刺された跡が数カ所ある。普段の姉の姿からは想像もできない程にボロボロであった。朝見刑事に姉だと言われなければ僕でも誰だかわからなかっただろう。


「通報を受けて駆け付けた時にはこの様でな、どうやら瓜丘の部下にやられたらしい」


 姉は格闘技をやっていた。僕も姉から教えてもらい、ある程度闘うことができるけれど、姉にはかなわない。それくらい姉は強い。一人で瓜丘さんを止める決心をするくらいに強い。そんな姉が、今は見る影もない。


「俺は瓜丘達を追う。あるちゃんの事、頼んだぞ!」


 朝見刑事はそう言って僕の背中を叩き、人混みの中へと消えていった。

 僕は桜さんと共に救急車の中へと向かう担架に駆け寄る。

 姉は僕の顔を見ると、腫れた口を動かす。


「……あの子は、自分の意思で瓜丘の計画を突き止めたの。……あるじろうを守る為だって言ってね」


 「もう話さないでください」と言う救急隊員の声を無視して、今にも消えてしまいそうな声で姉は続ける。


「一回しか言わないから、しっかりと……記憶に焼き付けなさい」


 そう言って、姉は僕をじっと見据える。


「私の負けよ」


 姉の口から放たれたその言葉は、弱弱しくかすれていたけれど、僕の頭にしっかりと焼き付けられた。


 そして、姉を乗せた担架は救急車の中へ入って行く。


「桜さん、姉を頼みます」


「わかりました」


 桜さんは僕の言葉に頷き、僕の代りに救急車へと乗り込む。


「或江君!」


 救急車の扉が閉まる瞬間、桜さんはこちらに向かって叫ぶ。


「お気をつけて!」


 扉が閉められた救急車は、人混みをかき分けながらサイレンを鳴らし、病院へと走って行った。僕は救急車を見送った後、姉と話しているときからずっとズボンのポケットの中で震えているケータイを取り出し、通話ボタンを押す。電話の主は僕がなかなか応答しなかったことに対しては何も言わず、用件だけを端的に口にする。


「対象が動き出した。目的地はおそらく皐月山さつきやまだ」


「了解です」


 僕は通話を切り、ケータイを再びポケットに入れる。


 ついに七夕祭りの勝負が始まった。

 僕に電話をかけてきたのはワタさんだ。彼に頼んで作ってもらったハート形のペンダントにはGPSの発信機が埋め込まれてある。それが移動を開始したら僕に連絡する手はずになっていた。


 そして、この電話がかかってきたことにより、僕は桜さんの恋人ではなくなった。

 僕らの関係は、ワタさんからの電話が来るまでという約束だった。僕と桜さんは初めから別れることが決定していた、期間限定の恋人同士だったのである。


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