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七夕事件 06

 その日の夜、明日の荷物の準備を一通り終え、飲み物を取りに台所へやって来ると、リビングに姉がいた。僕の姉、麦子はオランダから帰国した直後から神森さんの家に住んでいる。両親には一人暮らしをするための準備に友人とルームシェアをすることになったと言っているが、本当の理由は瓜丘さんとの対決に向けて準備をしたり、賞金稼ぎの不良達から逃げ回っているからである。


「まだ起きていたのね」


 ソファに座っている姉が神森さんそっくりに染められたハニーブロンドの髪をかき分けながら僕に声をかけてきた。


「はい。どうしたんですか、こんな時間に」


「着替えを取りに来たのよ。今の見た目を父さん達に見られるわけにはいかないでしょ」


「確かにそうですね」


 姉が着ているワイシャツのボタンがきっちり止めてあり、サラシも巻いていない。けれど、その恰好は神森さんと同じものである。

 この格好は姉には向いていない。ただのギャルにしか見えない。


 なんてことを考えながら、台所で二つのグラスに冷えた麦茶を注ぐ。もちろん姉の分だ。僕はリビングまで行き、姉の前に置いてからソファに座る。姉の隣ではなく、横に並べておいてある一人掛けのほうである。


「彼女とは順調なの?」


「はい、それなりに。明日が勝負って感じです」


「脱童貞も秒読み段階というわけね」


「そうかもしれません」


「……それは良いけれど、七夕の花火大会はやめておきなさい」


「どうしてですか?」


 僕の問いに対し、姉は麦茶を一口飲んでから口を開く。


「瓜丘の狙いが花火大会なのよ。手段や方法はわからないけれど、みもが言っていたから間違いないわ」


 瓜丘さんは花火大会を襲うらしい。河部七夕の花火大会は市外からも多くの人が河川敷公園に集まるビッグイベントである。彼女はそんな河川敷中を火の海にでもするつもりかもしれない。狂っているけれど、神森さんの目の前で彼女に関わる全ての人を殺す手段としては最高に派手でインパクトがある。瓜丘さんは五月に僕と会ったとき、去り際に次で終わりにするとも言っていた。それだけのことをすれば神森さんの感情を呼び起こすことができると考えたのだろう。


 そして、神森さんは動いた。姉に指示されたからなのだろうけれど、それでも瓜丘さんの計画を事前に突き止めたのである。依頼や相談でない事では動かない神森さんが、今まで瓜丘さんの計画に幾度となく巻き込まれてもそれを阻止しようとしてこなかった彼女が、瓜丘さんの狙いが河部七夕の花火大会であることを突き止めたのだ。


 神森さんは僕にメッセージを送ってきた。

 『ちゃんと咲くから、見てて』とは花火のことだったのだ。


「警察には言ったんですか?」


「あの連中は信憑性のない情報では動かないわ。たとえそれが黒の探偵であっても、同じ事よ。予告状や脅迫文が無い限り、動くのは事件が起きてから。まあ、あの熊男が説得してくれたおかげで警備は強化するみたいだけれど」


 熊男と言ったところで声のトーンが急に低くなった。やはり朝見刑事のことが好きではないらしい。

 瓜丘さんを逮捕する為なら何でもしてしまう朝見刑事も、真っ当な刑事として働くことがあるようだ。けれど逆に言えば、瓜丘さんが河川敷を襲う手段や方法が明確でない以上、朝見刑事でもあまり大胆に動くことができないのだろう。それに今、朝見刑事は娘さんの親権を巡って離婚調停中らしく、違法捜査などしている暇などないのかもしれない。


「付き合いたてのカップルには申し訳ないけれど、これだけは仕方ないわ」


「わかりました」


 僕は頷いてから麦茶を飲み、姉に一応確認することにする。


「行くんですか? 花火大会」


「ええ。私はみもの助手だもの」


「神森さんと一緒にですか?」


「いいえ、あの子には外に出ないように言ってあるの。瓜丘がみもに接触する前に、私が止める」


「どうしてですか? 瓜丘さんの狙いはあなたでもある。どうしてそこまで捨て身になれるんですか?」


 僕の問いに姉は軽く息を吐いてから口を開く。


「……もう知っていると思うけど、七年前、監禁されていたあなたの居場所を特定したのはみもよ」


 ワタさんが集めてくれた黒の探偵の情報の中に、初めて警察に協力した事件として僕が拉致監禁された事件の名が記されていた。

 通称、河部市ハーメルン事件。多くの児童が同時に拉致されたこの事件は、身代金要求も犯行予告もなかった為、捜査に時間がかかり、難事件とされていた。それを解決に導いたのが、当時天才少女と一部の地域で話題になっていた中学生の神森さんであった。これがきっかけで神森さんは度々警察に協力するようになり、黒の探偵と呼ばれるようになった。

 そのとき神森さんに声をかけた刑事さんが、彼女を探偵として独り立ちできるまで支えたらしい。けれど、現在は消息不明である。その他にも多くの警官が神森さんと関わった後、謎の死を遂げていたり、行方不明になっている。朝見刑事が瓜丘さんの逮捕に手段を選ばないのは、仲間の無念を晴らす為である。


「あの事件の後、私はあなたを守るために強くならなきゃと思った。それに、何もわからないあなたのためにできることは何でもしようと決心した」


 河部ハーメルンが神森さんにとってのターニングポイントになっている様に、あの事件の後、姉は急に格闘技を習い始め、僕にたくさんのことを教えてくれた。姉が知識として人間の感情を教え、それがある様に見せる方法を教えてくれたおかげで今の僕がいる。


「そして、あなたは回復した」


「感謝しています」


「そんな時だった。あなたを助けた人間が同じ高校にいるという事を知ったのは丁度、黒の探偵の名前が売れ出した頃よ」


 僕が完全に姉の助けを必要としなくなったのは姉が高校に入学した頃である。つまり、姉と神森さんが出会ったのは今から四年前だ。


「最初はね、こんな奴に弟を助けられたのかって思った。それにナマイキなやつだとも思った。話はまともに聞かないし、誰にでも愛を振りまく。言動も行動も意味不明で理解できなかった」


 そこまで話すと姉は麦茶を飲む。


「正直、嫌いだったわ」


 姉はグラスをテーブルに置いた後でソファにもたれかかり、天井を見上げ、話を続ける。


「けれど、接していくうちにわかったの。そういうのは全て、感情の欠落をカバーするために、他の人間と関わっていくために、あの子があの子なりに作り上げたものなんだって事に。私があなたに教えた知識や方法と同じだって事にね」


 姉は神森さんの突飛な性格を感情がわからないのをフォローするために作られたものだと見破っていた。それは僕もわかっていた。初めて会ったあの日、僕は神森さんのことが理解できなかった。けれど、僕と同じで感情がわからないことを姉から聞かされて以降は何の違和感もなかった。姉が言う様に僕と神森さんはどこまでも同じである。わからないというハンデを克服するのではなく、カバーする手段を覚え生きてきた。姉のレクチャーが無ければ僕も神森さんの様なキャラクターになっていたかもしれない。


「そう思ったらなんだか馬鹿らしくなって、気が付いたらみもの仕事を手伝っていたわ。あなたや家族にはアルバイトってことにしていたけれどね」


 姉は高校生の頃から神森さんの助手だった。両親に嘘をついて誤魔化す行為もその頃から当たり前のようにやっていたのだ。ただ僕が知らなかっただけである。

 姉は「そして」と前置きをしてから僕を見つめる。


「気が付いたら惚れていた。どうしようもなくあの子の事を愛しているの」


 僕が今まで見てきた中で一番と言っていいほど真剣な表情だ。


「だから、みもは私が守る。あの子の身に降りかかる危険は全て私が排除する。敵がどんな目的でも関係ないわ」


 危険が降りかかっているのは神森さんに関わる全ての人だけではない。全ての人を殺しても神森さんが悲しまなかった場合、瓜丘さんは神森さんを殺すと言っていた。そして姉はその場合を危惧しているからこそ、瓜丘さんを止めようとしている。神森さんに危険が及ぶ前に阻止すると心に決めている。愛する人を守る。それが百合戦士である姉が闘う理由である。


 一通り話し終え、僕に「それじゃあ」と言ってから、姉は着替えが入ったカバンを持ってリビングから出ていく。僕はコップを片付けてから廊下に出て、靴を履いている姉に声をかける。


「ちょっと、そこで待っててください」


 僕は両親を起こさないように忍び足で階段を上がり、自室に用意していた紙袋を持って玄関まで戻る。


「二人で食べてください」


 中身は買い置きしていたお菓子だ。どれも神森さんが好きな物ばかりである。瓜丘さんと攻防戦を繰り広げる二人の為に前から用意していた品々ではあったのだけれど、まさか決戦前日になるとは思っていなかった。


「ありがとう」


 袋を受け取った姉は立ち上がり、僕の目の前に立つ。


「着替えを取りに来たのは口実よ。本当は最後にあなたの顔を見ておこうと思ったの」


「縁起の悪いことを言わないでくださいよ」


「そうね、ごめんなさい」


 穏やかに微笑んだ後、姉は「いってきます」と力強く言って、家から出て行った。


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