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誘拐事件 14 五月二十五日 日曜日

 太ももの傷が完治し、無事に退院した僕は今まで通りの日常に帰ってきた。毎日学校へ通い、神森さんのお世話をする日常である。ちなみに、あの日神森さんが僕を助けに来た理由は未だに謎のままである。


 梅雨の訪れを知らせる雨音に耳を傾けながら、僕は神森さんの金色の髪をそっと撫でる。彼女は熟睡しているので僕が髪に触ってもすやすやと可愛らしい寝息を漏らしている。

 昨日、雨の中歩いて神森さん家にやってきた僕は彼女と夜遅くまで起きていた。当然そのままお泊りした僕は、早めに目が覚めたのでこうしてクマのぬいぐるみの上で寝ている彼女の頭を撫でて、起きるのを待っているのである。

外の雨音に混じって玄関で鍵を開ける音がした。


 この部屋の鍵を持っている人物は僕だけではない。僕以外にこの部屋の鍵を持っている人物が一人だけいる。それは僕の姉、或江麦子である。事前に姉から連絡があったわけではないのだけれど、時期的にそろそろだとは思っていた。

 姉が留学先のオランダから帰国したのだ。


「ただいま」


 キャリーケースを転がしながらリビングに現れた姉は留学前と比べて少し大人っぽくなっていた。そう感じた理由は姉が黒のパンツスーツ姿だからである。それに留学前はショートだった茶色い髪は今、胸元あたりでゆるくカールしている。いかにも出張帰りのOLといった服装である。


「おかえりなさい」


「突然帰ってきたのに驚かないのね」


「相変わらずの分らず屋ですから」


「そう、まだ童貞なのね」


「そんなことは言ってません。……起こしますか?」


「いいわ 寝かしておいてあげましょう」


 姉はキャリーケースを部屋の隅に置き、その上に無造作にスーツのジャケットをかける。


「何か飲みますか?」


「お願いするわ」


 僕は台所に行き、この前桜さんからもらったハーブ―ティーを戸棚から取り出す。

 お湯を沸かしている間、暇だったので僕は姉に声をかける。


「あの――」


「聞いているわ。みもから定期的に連絡してもらっていたから」


「そうですか」


 弟である僕には今まで一度も連絡してこなかったというのに、愛する神森さんとはこまめに連絡を取る辺り、実に百合戦士らしい。

 爽やかな香りを漂わせるハーブティーを二つのカップに入れ、お盆に置いたところで後ろから姉に抱きしめられた。危うくこぼしそうになったけれど、カップの中で揺らいだだけで済んだ。


「無事でよかった」


 姉は僕を抱きしめる力を強める。当然、姉の大きな胸が僕の背中に強く押し付けられている。姉の胸は神森さんとは比べ物にならないくらい大きいのですごく柔らかい。


「……ごめんなさい」


「それは何に対してですか?」


「……知ってしまったのよね」


 そう言って姉は僕から離れた。

 僕はお盆を持ってリビングまで行き、白いテーブルにカップを二つ乗せて、適当な場所に座った。後からやってきた姉は僕の目の前に座り、紅茶を一口飲む。


「美味しいわね」


「ありがとうございます」


「それで、どの話を訊きたいの? あなたの事だからいろいろ調べたんでしょう?」


「はい。初めは何も知りませんでしたし、調べるつもりもなかったんですけど、さすがにあんなことになってしまったので」


「本当に、ごめんなさい」


「謝らないでください」


 僕は紅茶を一口飲み、姉が帰ってきたら訊こうと決めていたことを口にする。


「黒の探偵が姿を消す直前、何があったんですか?」


 僕がワタさんに依頼して集めてもらった情報は黒の探偵が初めて警察に協力した事件から最後に解決した事件まで、事細かく記されていた。もちろんそれに付随する伝説や、黒の探偵自身のある程度のパーソナルデータ、協力していた刑事や敵対する組織やライバルについても書かれていた。けれど、それは高三の二学期までの分しかなかった。三学期、そして卒業後、姿を消した経緯や理由などはなかった。

 神森さん曰く、探偵を辞め、引き籠っていた理由は瓜丘来夢から姿を隠すためだったという事なのだけれど、具体的に何があってその様なことになったのか、どうしてそんな重要なタイミングで助手の姉が留学をしたのか。それだけは調べてもわからなかった。


 姉は長い髪を耳にかけた後で紅茶をもう一口飲み、ゆっくりと口を開いた。


「私は高校生の頃からみもの助手をやっていた。それも知っているのよね」


「はい、てっきり大学で知り合ったのだと思っていましたよ」


「高校三年生の三学期、みもに彼氏ができたの。そして、気が付けば五股になっていた」


 神森さんは恋が、愛がわからないが故に誰にでも愛の言葉を口にする。それは僕も良く知っている。


「それはすぐに彼らにばれてしまった。そして、彼らはみものたった一人の恋人になるために、殺し合った。見せつける様に殺人は必ずみもの目の前で行われた」


 姉はクマの上ですやすやと寝ている神森さんに目をやり、悲しそうな表情をする。


「それはまるで、愛がわからないのに愛を振りまく人間に対する罰のようだった」


「……」


「けれど、違ったのよ」


「どういうことですか?」


「全ては瓜丘の差し金だった。彼らは全員、瓜丘に弱みを握られた犯罪者たちだったの。告白から殺し合いまで全部、瓜丘の計画だったのよ。最後の一人は瓜丘に殺されたそうよ」


 瓜丘来夢うりおからいむ。ワタさんの資料によると、彼女は裏の世界では白の狂犬と呼ばれ、恐れられている犯罪者だそうだ。神森さんと同じあおい園出身、学歴は中卒止まり。神森さんが中学卒業を機に探偵として独り立ちした頃に施設を出て、探偵とは相反する裏の世界に入ったそうだ。


 彼女が最初に加入したと推測される組織は瓜丘さん自身が壊滅させている。その後もいくつかの組織に身を置いていたらしいが、気に入らないことがあれば平気で組織を裏切り、数名の部下と共に裏社会を渡り歩いている。彼女自身が直接手を下すことは少なく、主だった犯罪行為は全て部下にやらせることで何度も警察の目を掻い潜ってきた。彼女が直接手を下すのは神森さん絡みの事件のみで、裏の世界に身を置いているのも、神森さんに敵対する為だ。それ故に組織に固執することなく、都合が悪くなれば平気で裏切るし、壊滅させることもある。まさに狂犬というわけだ。


 瓜丘さんは僕に、形振り構ってこなかったと言った。

 何も省みることなく、ただひたすら神森さんに感情を芽生えさせようとしてきたのだ。神森さんに敵対しているのも、裏社会で生きているのも全てその為だということだろう。


「私もその頃まで知らなかったのだけれど、瓜丘はみもの人生の節目になると必ず何か仕掛けてくるのよ」


「節目?」


「前回は高校卒業。そして次は二十歳の誕生日」


『最高にハッピーなバースデーにしてやるからな!』


 白いパーカーに白髪の白の狂犬、瓜丘来夢は去り際に確かにそう言っていた。それはまるで悪役の捨て台詞の様な言葉だったけれど、本当に次回予告だったらしい。七月七日の二十歳の誕生日、そこで瓜丘さんは神森さんに何かを仕掛けるつもりなのだ。

 彼女はこうも言っていた。『次で最後にしてやる』と。つまり誕生日に実行するであろう計画は今までで一番大きなものとなるはずだ。


「だから、私達はギリギリまで身を隠すことにした。海外留学という形でね。けれど、みもはどうしてもこの街に居たいって聞かなかった。あんなに頑なだったのは初めてだったわ。そして、今の形に納まった」


 見た目を変えて、絶対に外に出ずに過ごすという形だ。瓜丘さんが関わっている事件には手を出さず、警察にも協力しない。探偵ではなく相談屋としてひっそりと活動する。神森さんが相談屋をやっていたのにはそういう経緯があった。


「瓜丘に居場所がばれないように、いろいろと手を尽くしたわ。そして留学するという情報をあえて流して、私だけ留学することにした」


 姉の顔つきが変わったのは留学するからではなく、恋を諦めないために瓜丘さんと対峙する決心をしたからだ。


「私が留学したのは身を守るため、みもを守るために仕方なくやったことよ。あなたを代役に立てたのは恋に発展しないからであって、あなた達わからないもの同士を引き合わせるためでも、ましてや危険に晒すためでもない。私が帰ってきたら何も伝えないまま、あなたには身を引いてもらうつもりでいた」


 そこまで言って姉はハーブティーをゆっくり口まで運び、一口飲んでからテーブルに置く。スーツ姿ということもあってか、すごく大人らしい、落ち着いた動作だった。

 姉にとって僕が神森さんの世話をするのはあくまで代役であり、危険な世界に関わらせるつもりなどなかった。だから、僕は何も知らされていなかった。七年前に壮絶な事件に巻き込まれた僕を、黒の探偵だとか白の狂犬だとか、そういったフィクションじみた世界に再び巻き込みたくなかったのだ。


「……でもあの熊男は誤算だった。まさかここまでするとは思っていなかった」


 姉は体ごとこちらに向き、深々と頭を下げた。


「とにかく、あなたを危険な目にあわせてしまった。七年前、私はあなたを守ると誓った。それなのに、あなたをまたこんな危険な世界に巻き込んでしまった。本当にごめんなさい」


 姉の土下座を見たのはこれが初めてだ。謝らなくていいと言っているのに何度も謝り、挙句の果てに土下座である。あの百合戦士の姉が、僕にいろいろなことを教えてくれた姉が、いつも強気の姉が、目の前で土下座している。本当に申し訳ないと思っているのだろう。そして、ここまでするほどに姉にとっては朝見刑事の行動が予想外だったのだ。


「でも、大丈夫」


 頭を上げた姉は切れ長の目でしっかりと僕を見つめる。


「後は私に任せなさい」


 そう言った姉の顔は覚悟を決めたあの夏の日と同じ表情をしていた。


「なるほど、なるほど」


 声がした方を見ると、クマの上で眠っていたはずの神森さんが『かんぞう』を抱いて僕らを見つめていた。さっきまで寝ていたので神森さんはいつもの碧いカラーコンタクトをはめていない。よって、今の彼女はハニーブロンドの髪に黒い瞳という、ちぐはぐな状態である。


「みも、聞いていたの?」


 驚く姉の問いを無視して、神森さんは僕の前までやってくる。


「あるじろ、こいびとやめよっか」


「え?」


「ワシみたいなのじゃなくて、ちゃんとあるじろうのことを好きって思ってくれる人と、一緒にいたほうがいいよ」


 突然僕に別れ話を切り出した神森さんは目を閉じ、口角を上げて首を少し左に傾けてこう言った。


「今まで、ありがとーる」


 その表情は笑顔というやつだ。神森さんは満面の笑みだった。


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