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誘拐事件 12

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。七年前の河部ハーメルンで僕は記憶と感情を失い、分らず屋になってしまったとはいえ、それ以降は普通の人の様に振る舞うことを覚え、ごくごく平凡に生きてきた。家族ともうまくやっていたし、学校でもうまくやってきた。少しずれているところはあるようだけれど、それもカバーできるようにしてきたし、それによって何か大きな事件に巻き込まれたりすることなんてなかった。

 神森さんの『こいびと』になって、相談屋の助手になって、相談事や探し物、都市伝説の調査など様々な案件を扱ってはきたけれども、誰かが連れ去られただとか、誰かが殺されただとか、そういった事件を解決するような仕事はなかった。そういう事件を解決する探偵はフィクションの中だけだと思っていた。実際にそういう仕事をかつての神森さんがしていたと知っても、僕がそういう事に巻き込まれることはないと考えていた。それが、このざまである。殺人事件を解決するどころか、僕が殺されるのだ。自らを、黒の探偵であった神森さんの敵だと称する、素顔が見えないこの不良に。


 だけど、分らず屋の僕は、それを怖いと感じることができなかった。頭ではいくら理解していても、僕は何も感じていない。それがおかしなことだということも理解している。それでも僕は恐怖を感じない。瓜丘さんの言う通り、感情がわからない人間は人間じゃないのかもしれない。そして、そんな人間を忌み嫌う彼女に僕が殺されるのは当たり前のことなのかもしれない。


「だから俺が、この俺があの化け物に教えてやらなきゃいけないんだ」


 言いながら彼女は太ももの肉をえぐる様にナイフを動かした後、勢いよく引き抜いた。


「あうっ……」


「あの女が、まともな感情を、俺と同じ気持ちを抱くようになるまで、俺はあいつに関わる人間を全て殺す」


 瓜丘さんはナイフを掲げ、照準を定める。そこは、僕の心臓だ。


「それでも、感情が芽生えなかったらどうするんですか?」


「あいつを殺して俺も死ぬ」


「あなたが死ぬ必要はないでしょう」


「けじめってやつだ。今まで形振り構ってこなかったからな」


 この人は狂っている。けれど、もっと狂っている神森さんに感情を芽生えさせるために、相当の覚悟をして今まで生きてきたのだろう。そんな瓜丘さんに、神森さんと同じ様な化け物の僕が敵うはずもない。分らず屋の僕は今ここで彼女に殺されるのだ。


「そうですか、わかりました」


「ああ、さっさと死ね」


 声と共に刃が振り下ろされられる。

 瞬間、エンジンの重低音と今までに聞いたことがない様な衝撃音が倉庫中に響き渡った。


 ナイフは僕の目の前で止まっていた。瓜丘さんは動きを止め、搬入口の方を見つめている。僕も首を動かし、そちらを見る。

 轟音と共に現れたのは大型バイクだった。何者かが搬入口のシャッターを大型バイクで突き破ってきたのである。真っ黒なそのバイクはヘッドライトを光らせたまま速度を落とすことなく直進し、搬入口と僕らの間くらいの場所で車体を横に滑らせ、停止する。


 突如現れたライダーはエンジンを切ると、黒のフルフェイスヘルメットを外す。露わになった長い髪が、天窓からわずかに降り注ぐ光を浴びて、金色に輝く。

 神森さんである。

 彼女は僕が初めて会ったときと同じ白のワイシャツにデニムのホットパンツ姿だった。

 黒いヘルメットを投げ捨て、神森さんは大きく息を吸う。


「あるじろうをかえせええええええええ!」


 大声だった。今まで聞いたこともないほどの声で叫んでいた。そしてそのまま僕らに向かって全速力で走ってくる。普段の『すたこらさっさー』とは比べ物にならない速さで突進してくる。

 瓜丘さんは素早く僕から離れ、突進してくる神森さんに向かって走って行く。勢いでパーカーのフードが脱げ、怒りに満ちた表情が露わになる。


「神森いいいいいいいい!」


 瓜丘さんの短い髪は真っ白だった。白い髪に銀の瞳。かつてその姿から黒の探偵と呼ばれていた神森さんと対をなすかのような見た目だ。きっと意識的に白をイメージカラーにしているのだろう。

 そんな真っ白な彼女は神森さんに向かって勢いよくナイフを振りかぶる。


「何をしに来た! こいつがいなくなろうが、殺されようが関係ないはずだろ!」


 神森さんは軽くあしらう様にフェイントをかけ、彼女の腕からすり抜けた。そしてそのまま僕の元へ駆け寄ってくる。


「あるじろ! 大丈夫?」


「……はい。すごく痛いですけどね」


「まってて、止めるから」


 神森さんは手際よく僕を縛り付けていた縄をほどき、その縄で太ももの止血も手早くしてくれた。そして僕を起き上がらせ、頭を撫でてくれる。


「なでこなでこ」


「ありがとうございます」


「えへへー」


 ぎゅっと抱きしめられる。今までで一番、力強く抱きしめられる。神森さんの胸が押し付けられる。今まで散々まな板だとか言っていたけれど、微かに柔らかい感触がある。えぐれているなんて言ったゆずかちゃんはやっぱり失礼な小学生である。


「神森、お前は感情がないんだろ? 今までだってそうだったじゃないか。俺がお前の周りの人間を不幸にしようが殺そうが、お前は動かなかっただろ!」


 神森さんは僕を離し、僕らを見下ろす瓜丘さんを碧い瞳で見つめる。


「お仕事だから……だよ」


「ああ、そうだったな、お前は昔からそうだ。情はなくても、人から頼まれれば何だってする最低の女だもんなあ!」


 瓜丘さんの銀の瞳が神森さんを睨みつける。

 しばらく睨みあった後、神森さんは思い出したかのように立ち上がり、僕の手を引く。


「あるじろ、帰ろっか」


 僕は引っ張られるがまま、立ち上がる。


「また逃げるのか? またそうやって目を背けるのか!?」


「お姉様! サツがこっちに来たっす! 逃げましょう」


 走ってきたベニさんはナイフを持ったままの彼女の手を強引に掴む。

 耳をすますと遠くでサイレンの音が聞こえている。


「神森! 次で最後にしてやる!」


 ベニさんに引っ張られるがまま、走る瓜丘さんは大きな声で叫ぶ。


「最高にハッピーなバースデーにしてやるからな!」


 そう言い残し、神森さんの天敵、瓜丘さんはベニさんと共に去って行った。

 神森さんに肩を貸してもらいながら倉庫を歩き、神森さんの真っ黒なバイクの所までやってくる。神森さんは僕を一人で立たせると、ヘルメットを拾い上げ、バイクのハンドルに手をかける。


「黒の探偵時代のものですよね?」


 僕は訊ねた。自然と訊いていた。


「うん。黒バイだよ」


 神森さんはその大きなバイクをゆっくりと反転させ、手で押しながら前へ進む。

 僕は彼女の手に自分の手を重ね、右足を引きずりながらも、一緒にバイクを押してシャッターから差し込む光に向かって進む。


「神森さんが外に出なかったのは、瓜丘さんから身を隠すためですか?」


「そだよ」


「どうして、出て来たんですか?」


 神森さんは顔をこちらに向け、碧い瞳でじっと僕を見つめる。


「あのね――」


「ある君! 大丈夫かこの野郎!」


 ちょうどシャッターの前にたどり着いたとき、朝見刑事が大きな体を左右に揺らしながらこちらに走ってきた。朝見刑事の向こうに見える倉庫の外には、彼の覆面パトカーが停車している。どうやら先ほどのサイレンは朝見刑事の車の物だったらしい。


「瓜丘は?」


「裏口から出ていきましたよ」


「わかった!」


 朝見刑事は踵を返し、車へと戻っていく。彼が急いで運転席に乗り込み、エンジンをかけると、後部座席から黒い人影が飛び出した。彼女が降りるとすぐに車は瓜丘さんたちを追って走り去って行く。


「或江君!」


 こちらに向かって走ってきた黒い人影は、黒の探偵の格好をした桜さんだった。


「し、心配したん……ですよ……うっ」


 僕の胸に飛び込んできた桜さんは泣いていた。


「僕は大丈夫です」


「ケガ……してるじゃないですかあ!」


「少し痛いですけど、大丈夫ですから。っていうか、どうして桜さんがここに?」


「……今朝、紅茶を持っていったんですよ。柚香がお世話になってるから……でも或江君いなくて、相談屋さんに訊いてもわからないって言われて、……ケータイも繋がらないし、そしたら刑事さんが来て、或江君が誘拐されたって……そしたら相談屋さんが唸りだして、外に飛び出したんです。私も刑事さんも追いかけたんですけど、バイクで先に行っちゃって――」


 泣きじゃくりながら、早口でいきさつを説明する桜さんの顔はもうぐしゃぐしゃである。


「ほんとに……うぐっ、本当に心配したんですよ」


 そう言ってひたすら涙を流す桜さん。僕はそんな彼女をそっと抱きしめ返す。

 そんな僕らの横を一人でバイクを押す神森さんが通り過ぎていく。


「ワシは先に帰ってるね」


 神森さんはひょいとバイクに跨り、慣れた手つきでエンジンをかける。


「神森さん」


 僕は桜さんを抱きしめていた手を離し、右足を引きずりながらも神森さんに近づき、ブレザーの上着を渡した。さすがにワイシャツ一枚で早朝の街を走って帰るのは寒いだろうと思ったからだ。


「ありがとーる」


 そう言って神森さんはブレザーに腕を通し、フルフェイスのヘルメットをかぶる。


「お気をつけて」


 遅れて敷地内に入ってきた大量のパトカーの赤い光の中、元黒の探偵、神森未守はエンジン音を唸らせ、僕らが住む街へと帰って行った。


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