誘拐事件 07 五月四日 日曜日
文月高校、北校舎の奥にある旧校舎、通称部室棟の三階の一番突き当りの部屋の前に僕はいた。今時建っているのも珍しい木造のボロボロの校舎である。近いうちに取り壊して新しい校舎を建てる計画があるとかないとか噂されている建物である。そんなボロボロの校舎にどうして休日の昼間から、わざわざ制服まで着てやってきたかというと、それは朝見刑事の宿題に向き合うためである。
『どうして神森さんは外に出ないのか』
かつて黒の探偵と呼ばれ、警察に協力して数々の事件を解決していた彼女は今、髪の色も瞳の色も変え、家にひきこもり、相談屋として活動している。それはなぜか?
黒の探偵は二年前、高校を卒業すると同時に姿を消したことになっている。そして相談屋の助手でもあった僕の姉が家に帰ることが少なくなってきたのは大学に進学してからである。つまり、神森さんは高校を卒業した後、ひきこもりになり、僕の姉と相談屋を始めたという事になる。ひきこもりになったのが先か、相談屋が先かはわからない。けれど、理由があるとするなら外に出ていた高校時代、つまり黒の探偵時代だろう。
こういうことは神森さん本人に訊くのが一番いい。そうすれば外に出ない理由も、黒の探偵をやめて相談屋をやっている理由もすぐにわかる。けれど僕は今までそれをすることはなかった。必要ないからといって訊かなかった。
それに、神森さんに訊いたところで、ちゃんと事実を説明してくれるかは微妙である。
いくら『こいびと』と言えど、僕と神森さんはわからない者同士だ。感情を頭で理解しているだけの僕らの間に信頼や信用があるかどうかはわからない。
もし仮に僕が神森さんにひきこもりの理由を訊いて、神森さんがちゃんと答えてくれるとして、そうだったのかと納得できるような回答が用意されているとは限らない。少なくとも朝見刑事の問いの回答として成り立つものではないだろう。
だから、確実に知る手段として、僕はここに来たのだ。アオヰコーポの二○三号室でクマのぬいぐるみと共に眠る神森さんにばれないように、こっそりと抜け出し、学校がある坂を自転車で上り、ボロボロの旧校舎の三階の突き当りの部屋の前までやってきたのである。
目の前の引き戸をゆっくりと開ける。
そこは木造の建物の中とは思えないほど近代的な空間が広がっていた。確かに床も壁も天井も木造のそれなのだけれど、部屋の中央にある四つの机の上にはそれぞれ薄型ディスプレイのパソコンが置かれている。それだけでもちぐはぐで異質な組み合わせなのに、その奥にある窓際の一角はそれ以上に異質である。大きめのデスクの上を取り囲むように設置された八つのディスプレイ、デスクの下にはタワー型のパソコンが四台置かれている。
誰もここがゲーム部の部室だとは思わないだろう。どう考えても設備が過剰である。
そんな過剰な設備を整えた張本人は奥のディスプレイだらけの特等席ではなく、部屋の隅にある机で背中を丸めて何かを作っていた。文月高校の情報屋であり、ゲーム部の部長、ワタさんである。
ワタさんは休日でも学校に来ている。家にいるよりこの部室にいる方がいろいろと効率が良いからだと聞いていたけれど、本当にそうなのだろう。この部屋は完全にワタさんの城である。その城で彼はいつものタブレット端末でもパソコンでもなく、はんだごてを持っている。
「何してるんですか?」
「……仕事だよ。GPSの……発信機作ってる」
僕の方を見ることなく、ワタさんは作業を続けながら答える。
「情報屋じゃなかったんですか?」
「小学生の頃から……機械いじりはやってたんだ。……美少女のためなら俺は何だってするさ」
「さすがですね」
「……お前ほどじゃないさ。で、わざわざこんなところまで来て……俺に何か用か?」
「情報をください」
「……こないだネット火消しを頼まれたと思ったら……今度は情報か。いつもやってるだろ」
「今回は、学外の情報を頼みたくて」
僕がそう言うとワタさんは作業をやめ、だるそうな表情でこちらを見つめてくる。相変わらず整った顔立ちだ。
「お前、相変わらず感情はわからないんだろ?」
「はい」
「わからないくせにお前は困っている人を放っておけないんだよな」
「そんな風に思っていたんですね」
「そうじゃないのか?」
「わかりません」
ワタさんはだるそうな表情のまま笑う。
「お前、やっぱり面白いよ。……学外の情報は高いぞ?」
「かまいません」
「で、何の情報が欲しいんだ?」
「黒の探偵についてです」




