恋桜事件 17
「ぷるるるるるる」
桜さんを送り出し、リビングに戻ってくると、神森さんは相変わらずクマ山の生首状態で唇を震わせていた。嫉妬や愛の話になると神森さんは唇を震わせる。
わからないからだ。僕も神森さんも知識として理解しているだけなので、そういう話を聞いても、目の前で語られても、相手の感情に共感することはできない。だから、もやもやするのだ。そういうとき、神森さんは唇を震わせる。
「神森さん、お疲れ様でした」
そう言って、僕は彼女の頭を撫でる。
「えへへー。ほめてほめてー」
「さすがは元探偵さんです」
「それほどでもあるー。あ、みんなにはヒミツだよ」
「わかってます」
「みもたろーはーふふんふん」
首を左右に振りながら歌いだす神森さん。もやもやは晴れたようである。
「神森さん、僕があなた以外の人といちゃいちゃしていたらどう思います?」
今回は僕の勘違いと桜さんの願望から始まったけれど、結局は恋の話で嫉妬の話だった。僕にはわからない世界の物語。けれど僕らはその世界で生きている。春になると浮き足立ったり、恋をしたり、嫉妬をしたりする人たちに共感することなく、眺めることしかできない。桜さんが教えてくれたハーブティーに例えるなら、僕らはレモンをたらしても何も変わらないただの紅茶だ。葉も蕾もつかない、いつまでたっても冬のままの桜の木だ。
それなのに僕らは、『こいびと』をやっている。満開の花を咲かせている人たちのフリをしていちゃついている。だから、僕は確認しなければならない。同類で似たもの同士の神森さんがどう考えているのかを。
「ひみつのしょうじょー、ふふんふん」
「僕が他の人とお付き合いしていたらどう思います?」
「へーんしんしょうじょー……ん? それがどしたの?」
「僕にはわからないので、確認です」
「んー。みんながハッピーそれがいちばん!」
同じだった。表現は神森さんらしい可愛いものだけれど、考えていることは同じ。もし、神森さんが僕との『こいびと』関係を解消することで誰かが救われ、みんなが幸せになれるのだとしたら、神森さんは何のためらいもなく僕を切り捨てるだろう。
僕だってそうだ。もし僕と神森さんの関係を良く思わない人がいて、その人が嫉妬に狂い、誰かを傷つけるのであれば、迷わず僕は神森さんの『こいびと』をやめる。たとえ姉から頼まれた仕事であったとしても、それで多くの人が幸せになれるのならそれでいい。だって僕も神森さんも、恋や嫉妬や涙や幸せがわからないのだから。
神森さんのおでこに軽くキスをする。
「ふふ。あるじろう、だいしゅき」
「僕もですよ」
誰かのためならばすぐに解消されてしまう危うい『こいびと』関係。それでも、今はこれでいい。僕らがこうしていても誰も不幸になっていないのだから。
僕と神森さんはこれでいいのだ。
第二章、完。ヒロインその2、桜さんとの出会いのお話でした。恋と桜にまつわるから恋桜、桜が恋するから恋桜。次はゴールデンウィークのお話です。




