恋桜事件 13
誰も生徒がいない、閉店間際のがらんとした食堂。普段は多くの生徒で混雑している大きなテーブル席の端っこで、僕はケータイを操作する。
始業式の日、ワタさんが送ってくれた春休みのまとめのデータを開く。
【出来事一】他校の不良集団と男子生徒が喧嘩。停学処分になる。
【出来事二】男子バスケットボール部、春休み強化特訓の後、県大会で準優勝。
【出来事三】吹奏楽部、全国高校生吹奏楽コンクール出場決定。
【噂一】日本史教諭が男子生徒とホテルに入るところを女子生徒が目撃。
【噂二】新三年生の女子生徒が後輩に彼氏を寝取られたと友人に相談。
【噂三】本年度より風紀委員会が名称を変更し、不純異性交遊取り締まり強化か?
僕は、『【噂二】新三年生の女子生徒が後輩に彼氏を寝取られたと友人に相談』という項目を選択し、内容を表示させる。
『三年生の女子生徒、柏木恵が交際している同学年の男子生徒、園田拓也を後輩の並木桜に寝取られたと友人に相談していた。という噂が複数の女子生徒の中で広まっている。園田拓也は男子バスケットボール部のエースで女子からの人気も高く、広まった内容からも並木桜への反感が強くうかがえる。報復と称しての嫌がらせ等がインターネット上でも確認できるため、女子生徒と接触する際にはこの話題に触れないよう、くれぐれも注意すること』
なんと、桜さんは探偵どころか事件の渦中の人物だったらしい。
他の生徒間の恋愛事情など自分には関係ないと思っていたので、データをもらったときはくだらないなんて思ってしまったけれど、だからしっかりと目を通していなかったのだけれど、こんなことになるならしっかりと目を通していくべきだった。
しかし、『先輩の彼氏を寝取った』という字面を何度読み返してもしっくりこない。書かれている意味は理解できるし、さっきの教室の状況もこの文章で説明がつくのだけれど、やはりしっくりこない。あの黒髪の、中折れ帽の、紅茶好きで、お洒落な探偵さんが、いや探偵ではないのだった。けれどやはりあの昨日デートした桜さんと、この寝取ったという事実が、僕の中でかみ合わない。
「用って何?」
顔を上げると目の前の席にマリーさんが座っていた。
やはり僕の思惑通り食堂にやって来てくれた。理由は簡単である。マリーさんはいつもワタさんに遊びの誘いを断られており、なんとしてでもワタさんと仲良くなりたい。そして僕はそんなワタさんの数少ない友人である。普段マリーさんと関わりが全くない僕がいきなりマリーさんを呼び出すということは、必然的に彼女の中でワタさん絡みの何かで呼び出されたと思うはずだ。少しでも可能性があるのなら彼女はやってくる。僕はそう考えた。
「柏木先輩が寝取られたっていう噂は本当のことですか?」
「そうだと思うけど、何? そんなことでアタシを呼んだわけ?」
「いえ、先ほど教室で起きていたことについて教えてもらいたいと思いまして」
「アンタには関係ないでしょ」
マリーさんはそう言って視線を逸らし、指で茶色い毛先をくるくると触る。
「マリーさんって僕のこと嫌ってます?」
「嫌ってはないけどさー、アンタ、いつも綿抜君といるでしょ」
「友達ですから」
「綿抜君さー、いつもアタシの誘いを断るじゃん」
「はあ」
「アンタと遊ぶのが忙しいからって。だから嫌ってはないけど、プチキレって感じ?」
「はい? それは違いますよ」
そんな理由で断っていたのか……。ワタさんは僕とではなく二次元の女の子と遊ぶので忙しいのだ。さすがにギャルにその理由が通じないと思ったのだろう。友達だというのをいいことに良いように利用されていた僕であった。それにプチキレって何なのだろう。ギャルの間で流行っているのだろうか。どういう意味なのだろう。
「じゃあ、今度僕から誘ってみましょうか?」
「えっ、いいの!?」
毛先から手を離し、驚いた表情でテーブルに手をついて、僕に顔を近づけてくる。
「は、はい。その代り教えてもらえませんか?」
「じゃあさ、明日とかどう?」
「明日ですか?」
マリーさんは元の位置に戻り両手を腰に当てる。ギャルというかなんとも古風な仕草だ。けれど顔が純和風なだけに妙に似合っている。
「アンタが知りたがっていることを教えてあげるから、明日、綿抜君を連れてきてよ。一年間よろしく会、他の男共と一緒にもう一回やることになったから」
「わかりました。連れて行きましょう」
ワタさんが応じるかはわからないけれど、仕方ない。情報を得るのには対価が必要なのは当たり前だ。友達だからタダにしてくれるのはワタさんだけだ。そもそも僕とマリーさんは友達ではない。けれど、これからは友達になる可能性は否定できない。
ということで友達になるかもしれないギャルのマリーさんと取引が成立した僕は、ワタさんがくれた『春休みのまとめ』の【噂二】の項目を読んでもらうことにした。
「ここに書いてある通りだと思う。変な書き込みとかネットで見たことあるし、アタシにも変なメールもきてたよ。チェーンメールっていうかメルマガ? みたいな感じでよく噂が回ってくるんだよね」
「教室はどうでしたか?」
「二人で睨みあって、何回か言いあって、それで柏木先輩が出て行った」
「もう一人は?」
「柏木先輩を追いかけて行った。それでみんな解散って感じ」
「その二人は何て言っていたんですか?」
「返してとか、知らないとか……でも、変だったんだよねー。なんか逆だった」
「逆? 何がですか?」
「普通なら『返して』は柏木先輩の台詞で『知らない』は並木って子の台詞じゃん? でも柏木先輩が『知らない』って言ってて、並木って子が『返して』って叫んでたんだよね」
そう言うとマリーさんはまた毛先を指で遊ばせる。
「アタシも詳しいことは知らないし、わからないけどさー。そこに書いてある通り、並木って子が柏木先輩のカレシを盗ったんじゃない?」
「そうですか」
とにかく、これで説明がつく。探偵と勘違いからはじまったけれど、その勘違いを利用して彼女はネックレス探しの依頼を受けたと言っていたけれど、依頼主は桜さん自身だったのだ。
だから初めて会ったあの日、桜さんは泣いていた。大切なネックレスを失くしてしまったから。二つ合わせると星形になるペアネックレス、桜さんはゴールドの方を探していた。
ペアの片割れを持っているのは、昨日言っていた大切な人なのだろう。
桜さんの名前を褒めてくれた大切な人、誰にも渡したくないほどに大切な人、それはここに書かれているバスケ部の園田先輩のことだったのだろう。だから、バスケ部が準優勝したと聞いて、桜さんは安心していた。
そして、誰にも渡したくないから、並木桜は柏木先輩から園田先輩を寝取った。
桜さんが学校を休んでいたのも、暴漢に襲われたのも、ここに書かれている通り、柏木先輩が友人に相談したことによる噂や、ネット掲示板へ心無い書き込みが原因なのだろう。
では先ほどの教室での出来事は何だったのだろうか。
昨日、桜さんは神森さんのヒントである『遠くへ行っちゃった人』のところへ行くと言っていた。それが柏木先輩のことならば、教室で桜さんが柏木先輩に『返して』と言っていたのは頷ける。
けれど、『遠くへ行っちゃった人』というのは本当に柏木先輩のことなのだろうか? 彼氏を寝取られ、さっき教室で桜さんと睨みあっていたポニーテールの先輩はどこか遠くへ行っていたのだろうか? 桜さんはどうして柏木先輩がネックレスを持っていると思ったのだろうか? ……わからない。
けれど、ワタさんの情報、そしてマリーさんの協力により、ある程度状況を理解することができた。
「マリーさん、ありがとうございます」
「まあ、そのうち解決するでしょ。アタシがここに来るときに柏木先輩のカレシさんとすれ違ったし」
マリーさんは立ち上がり、短いスカートをパンパンと手で払う。
「じゃあねー。あ、明日十一時に駅前集合! 遅刻はナシだからね」
元気よくウインクをして、マリーさんは去って行った。
再び食堂に一人で取り残された僕は、目を閉じ、神森さんの顔を思い描く。
『ふわふらの子のこと、ちゃんと見ててあげてね。大切なのは物じゃなくて人だからね』
神森さんはそう言っていた。神森さんの頼みなら、僕はちゃんとやり遂げなければならない。僕は、ふらふわな桜さんの面倒を見なくてはならない。ちゃんと最後まで。




