恋桜事件 11
桜の花を落とす夕立は次第に強くなり、僕らは一時的に笠佐木橋の下に避難することにした。橋の下は外よりも薄暗く、少し肌寒い。僕は自転車を適当な場所に停め、桜さんと一緒に川べりのコンクリートの上に座っている。桜さんは暴漢に襲われた不安が残っているのか、寒いからなのか、僕の横にぴったりと寄り添うように座っている。彼女の濡れた服と僕の濡れた服が触れ合い、彼女の体温が余計に冷たく感じる。
雨が川に落ちる音が反響している。
そんな中、桜さんはじっと、流れる川を見つめている。
桜さんはここに避難してからずっと黙ったままである。雨はすぐに止むだろうけれど、さすがにこのまま無言というのはなんだか気まずい。暴漢の件や大切な人の話以外で、何か話題を考えなければ。そうだ、こういうときこそワタさんがくれた情報である。学校での何気ない会話についていけない僕のために無料でくれた、春休みの出来事のまとめである。必死に内容を思い出し、会話を取り繕う。
「うちの吹奏楽部、全国コンクールに出場するみたいですね」
「……そうですか」
川を見つめたまま、そっけなく返す桜さん。
「バスケ部は?」
「はい?」
「バスケットボール部はどうなりましたか?」
「確か……準優勝? したみたいですよ」
「よかったです。練習の成果がちゃんと実ったんですね」
桜さんは僕が伝えた結果に安心したのか、穏やかな表情で目を閉じている。
バスケットボール部に知り合いでもいるらしい。僕にはそんなスポーツマンな知り合いはいないので、バスケットボール部の情報よりも吹奏楽部の情報の方が話がはずむかと思ったのだけれど、違ったようだ。
「私の名前を褒めてくれた人がいたって言ったじゃないですか」
唐突に先程の大切な人の話を始める桜さん。
「すごく大切な人なんです。絶対に手放したくない、誰にも渡したくない、それくらい大切な人です。或江君には、そういう人いますか?」
僕は答えなかった。それはもちろん、わからないからである。恐怖も涙も安心も、そして大切な人とやらも、僕にはわからない。普通なら家族や友人などがそうなのだろうけれど、分らず屋の僕にはそれがわからない。だから、そんな質問には答えられない。
などと考えていると、桜さんはクスクスと笑いだす。
「或江君は面白いです」
「どうしてそう思うんですか?」
「何も訊かないから」
何も、というのはおかしい。だって僕は桜さんに訊いた。『黒の探偵』の話や推理の話、それにネックレスの件について、僕は普通に桜さんに質問している。
「どうして襲われたのかとか……どうして昨日、泣いていたかとか」
「すみません」
「なぜ謝るんです?」
「分らず屋ですから」
僕は上手くやれているはずだ。
僕は姉からいろいろなことを教わった。一般的な知識や、格闘術、それに感情があるように見せる方法。それらを上手く使いこなし、普通の高校生と相談屋の助手をやっている。今の僕しか知らない人には、普通の人間に見えているはずである。今更、誰かに言う必要もない。
首を傾げている桜さんに僕は「いえ、何でもないです」と言って誤魔化した。
雨が川に落ちる音だけが響く。
しばらくして、彼女は急に立ち上がった。
「明日、『遠いところに行っちゃった人』の所へ行こうと思います」




