恋桜事件 07 四月十日 木曜日
『放課後、校門前にて待つ』
こんなメッセージが僕の元に届いたのは今朝の事である。まるで果たし状の様な、このメッセージの差出人は並木桜。タイトルも前後の文章も何もなく、本文に『放課後、校門前にて待つ』とだけ書いてあった。まさに果たし状である。
僕は黒の探偵に決闘でも申し込まれたのだろうか。
僕はメッセージを送っただけである。昨日、桜さんが探しているというネックレスがある場所を、神森さんに訊いてメッセージを送っただけである。送信した後、返信が来なかったので、この果たし状がその返信ということになるのだけれど……。神森さんのヒントがあまり良くなかったのだろうか。それで決闘を申し込まれてしまったのだろうか。意味不明である。意味不明ではあるけれど、呼び出された以上は出向かなくてはならない。
ということで僕は今、駐輪場から自転車を押しながら校門へと向かっている。ちなみに来週までは午前中授業なので、放課後と言っても今は昼過ぎだ。お昼ご飯の時間である。
ホームルーム終了後から時間が経っているため、校門に向かう生徒はまばらである。というのも僕は、今日もマリーさんの誘いを断りながら端末をいじっていたワタさんとそれなりに会話にならない会話を交わした後、ワタさんがくれた『今日の校内ニュース』に目を通してから出てきたからである。
これは桜さんを待たせてしまっているということになるかもしれない。放課後というアバウトな時間指定だったので、遅刻ということにはならないのだろうけれど、女の子を待たせるのは良くない。なるべく早足で校門前に向かう。
桜さんは校舎から隠れるように立っていた。
昨日とは違い、彼女は制服姿ではない。明らかに校則違反の薄いピンク色のストライプのブラウスに黒のベスト、黒のホットパンツに黒のニーソックス。といった、いかにも探偵らしい私服姿である。持ち物もどこにでもあるような学生カバンなどではなく、可愛らしいデザインのポーチを肩に掛けている。そして黒くて長い髪の上には昨日と同じ黒の中折れ帽。なぜ私服なのかは知らないけれど、制服よりは中折れ帽が似合っている。まさに黒の探偵といった黒づくめである。
「遅いです」
「すみません。時間指定がアバウトだったので、つい」
「そうですか。急に呼び出しちゃってごめんなさい」
「いえ。呼び出しは構わないですが、どうして私服なんですか?」
「学校、休んでるんです」
桜さんは少し俯く。
病気でもないのに学校を休むことは後ろめたい。といった感じである。ならば休まなければいい。なんて無意味なことを僕は言うつもりはない。休む理由があるから休んでいる。それが病気以外の理由だから後ろめたいのである。その理由というのは訊かなくてもわかる。桜さんは探偵である。しかも、それなりに名の通った黒の探偵なのだ。依頼や事件によって学校を休まなければならないことは日常茶飯事なのだろう。
「それで、今日はどういった呼び出しですか? 決闘ですか?」
「決闘?」
僕の言葉に首を傾げて、しばらく静止する桜さん。
いちいち動作が可愛らしい人だ。昨日みたいなちぐはぐな格好ではなく、探偵っぽさと可愛らしさが同居する服装のおかげで、より可愛らしく見える。
なんて考えていると、彼女は何かに気付いたようで、ブンブンと両手を振る。
「ちちちち、違います! メールはどう打ったら良いかわからなくて、その、あんな感じになってしまっただけで、決闘とかではない、です」
早口にそう言う桜さんは頬が少し赤い。きっと恥ずかしいのだろう。
「そうですか。昨日のメッセージは届きました?」
「はい、それはもちろん。それで今日は」
やはり、昨日引き受けた探し物の件だった。もっと言うならば神森さんの言葉についてである。……何か不都合でもあったのだろうか。
「で、デートです」
「はい?」
「昨日のお礼です。男の人にとって、その……お、女の子とデートできるというのはどんな報酬よりも嬉しいこと、なんですよね?」
何が何だかさっぱりわからない。『なんですよね?』なんて言われても、僕には普通の男子高校生が女の子とデートするのが嬉しいことであることしか知らない。そのことがどんな報酬や対価よりも価値があって嬉しい事だなんて話は聞いたことがない。何にせよ、呼び出された理由は決闘でも、神森さんが出した答えに関するものでもなかったようである。
「では、喜んでお礼されましょう」
お礼がデートというのは良くわからない。けれど、報酬や対価を桜さんまかせにしていたのは事実なので、僕はお礼を受け取ることにした。本来、お礼されるべきは神森さんなのだけれど。
「よかったです」
そう言って僕の自転車の荷台に乗る桜さん。
いや、どうしてデートをするに僕の自転車の荷台に乗る必要があるのだろう。自転車の二人乗りは違反である。そんなことくらい僕でも知っている。しかし彼女は自分が悪いことをしているなんて自覚がないように「では行きましょう」なんて言って僕の肩に手を乗せる。僕は仕方なく自転車にまたがり、僕は桜さんを後ろに乗せたまま走り出した。
僕が住む閑静な住宅街や神森さんのアパートがある西側とは違い、文月高校がある東側には高校や大学などがあり、良くも悪くも学生の街、といった印象がある。静かな西、賑やかな東。といった感じだろうか。
デートプランを考えてきたという桜さんの指示で、昔からある入り組んだ街並み、ひしめき合う建物の間を通り、僕らは東河部駅までやってきた。
東河部駅周辺は古くからあるカサエ町商店街を中心に商業施設が多くあり、近場で遊ぶには便利である。ただし、閑静な住宅街が広がる西側に比べると、治安はあまり良くない。
市が運営している駅前の駐輪場に自転車を停めた僕は桜さんに声をかける。
「どこへ行くんですか?」
「紅茶の専門店です。お気に入りのお店を紹介します」
紅茶、そういえば桜さんは昨日もファミレスでアイスティーを飲んでいた。探偵=コーヒーみたいな勝手な印象があった僕には新鮮である。紅茶好きな探偵さん。それはそれでお洒落だ。まるで何かのミステリー小説に出てきそうな趣である。
そんなお洒落な桜さんに連れられて駅前の古めかしくも賑やかな商店街を抜け、多くのテナントビルが立ち並ぶ一角にやってきた。
「あそこです」
そう言って桜さんが指をさした場所は三階建ての小さなビル。白い外観は雨などの跡で少し汚れている。一階部分が店舗のようであった。しかし、シャッターが下りていた。
紅茶店はなかった。
「ありませんね、紅茶のお店」
「事件です!」
お気に入りのお店が閉まっていることに落ち込んで俯いていると思ったら、目をキラキラさせている桜さん。
探偵さんは何でも事件にしたがるらしい。目の間で起きること全てが事件で、謎に包まれていて、真相が隠れている。そう考えるのが探偵の性というやつなのだろうか。
「単に閉店しただけなのでは?」
「早計です」
僕の言葉を否定する桜さんは黒い中折れ帽に手を当てる。
「閉店なんておかしいです」
探偵としてのキメポーズなのだろう。確かに格好いいけれど。
「私が飲みたいのはここのブレンドなんです。他の店のなんて嫌です!」
そう続いた桜さんの台詞は格好いいというよりは、物分かりの悪い、我儘な幼い女の子のようで可愛らしいものだった。
僕は紅茶店があったという場所のシャッターを見つめる。そこには貼り紙が貼ってあった。どうやら次にできるのはアロマのお店らしい。地下にはイベントスペースが併設されるとも書いてある。アロマのイベントか。とてもお洒落で上品な奥様方が集まりそうである。紅茶の専門店よりも集客が良いかもしれない。
ということで改装や定休日の可能性はゼロなのである。
「桜さん、諦めてお昼ご飯でも――」
言いながら横にいる桜さんを見ると、彼女はそこにいない。
「すみません。ここにあった紅茶店はどこへ移転したのでしょうか?」
声がして振り返ると、桜さんは道行くおばさんに話しかけている。
閉店の可能性なんて有り得ない。必ず移転先がある。と言わんばかりの訊き方である。
もしかしたら、何かの推理に基づいて、移転だと気付いたのかもしれない。
「ああ、それなら」
優しそうな顔立ちのおばさんはすんなりと駅前の方を指さしていた。
どうやら桜さんの推理は正しかったらしい。




