恋桜事件 06
神森さんの朝ごはんとも昼ご飯ともいえないパスタを茹でながら廊下の奥から聞こえてくるシャワーの音やバシャバシャというお湯の音に耳を傾ける。
今頃、神森さんはお風呂で唸っているのだろう。
パスタが茹で上がり、オリーブオイルを絡め、皿に移す。そしてあらかじめ作っておいたアラビアータソースをかける。
「うわきだ!」
ちょうどご飯が出来上がったタイミングで神森さんが現れた。
言うまでもなくバスタオルを巻いた、お風呂上りスタイルである。体はそれなりに拭いてあるみたいだけれど、金色の髪からは水がポタポタと落ちている。
「あれ……ちがう? うきわ?」
「うきわですか? それなら去年の冬のセールで買ったやつが……」
言いながら僕はリビングに向かい、床に転がっているドライヤーとTシャツを拾い上げる。神森さんがお風呂でどんな答えを導いたかはまだわからないけれど、そんなことより今は髪を乾かすのが最善である。話をしているせいで湯冷めさせてはいけない。
「ちがうよ! うわきしてた!」
「神森さんがですか?」
ちょこちょこと僕の後ろをついて回る神森さんにTシャツを渡し、バスタオルを受け取る。そして、適当にクマのぬいぐるみをどけて、座るスペースを確保して座る。
「あ、髪かわかさなきゃ」
「こっちに来てください」
「うへへー」
渡したTシャツ(焼肉定食と書かれている)を着た神森さんが僕の膝の上にちょこんと座る。ちなみに神森さんは僕と同じくらいの身長があるので、ちょこちょことかちょこんという表現は間違っているかもしれない。けれど見た目にそぐわない可愛さを持つ神森さんにはぴったりの表現だと思う。
神森さんの濡れて金色に輝く髪をタオルで挟んでしっかりと水分を取っていく。
「あれだよ、ふわふらしている子。その子のパンツ見たでしょ」
ふわふらしている子? 一体誰のことだろうか。というか浮気? 分らず屋の僕が浮気なんてするはずがない。……パンツ?
「桜さんは白でしたね」
「うん。かわええパンツいいなー。ワシも欲しいー」
神森さんが桜さんを『ふわふら』と表現したのはきっと、桜の花が舞うところを連想したからなのだろう。
タオルである程度水分を取り終えたので、ドライヤーのコードをコンセントに差し込む。
「あるあるじろーは、パパパ、パンツとうーわきー」
「パンツを見たくらいでは浮気にはなりませんよ! それにあれは事故です。不本意なのです。見たのではなく、見てしまった、の間違いです」
「なるほど。りょぷかいでーす」
話が一段落したので僕はドライヤーのスイッチをオンにして、神森さんの髪を乾かしていく。すると神森さんは「ああああああ」と叫び出す。これは彼女の髪に神経が通っていて、熱を感じて叫んでいるわけではない。扇風機に「ああああああ」と声をかけると宇宙人の様に聞こえる遊びをドライヤーでもできると思い込んでいるからである。と見せかけて、単に気持ちいいだけだろう。他人に髪を乾かされるのは気持ちいいものなので、叫びたい気持ちもわからなくはない。けれど、うるさい。
一通り乾かし終わると神森さんはクマ山の方へごろごろと転がっていく。
「それで、ネックレスどこにあるかわかりましたか?」
「ぼくは、みも。みも、みも、みもー」
クマのぬいぐるみを抱きかかえ、幸せそうに歌う神森さん。
お風呂上りでポカポカしているのだろう。
「神森さん」
「わあ、ワシの髪いい匂いするー。しゃんぷー」
「神森さん。ネックレスは――」
「ん? 遠いところに行っちゃった人が持ってるよ」
「ありがとうございます」
「いやん、てれるー」
転がりながら全くの無表情で照れる神森さんの傍までいき、彼女の頭を撫でる。
「よしよし」
「うへへー」
引き受けた案件については訊き終わったので、僕は神森さんに朝から訊いてみたいと思っていたことを質問することにする。
「神森さんは春になるとどんなことを考えますか?」
「んー。すきだよー、ふわふわの子もすきー。あ、おなかすいた!」
今日はパスタにしたけれども、春が好きなら今度は何か春らしいメニューにしてみよう。なんて思いながら台所に置いてあるアラビアータを取りに行く。
桜さんには後で『遠いところに行っちゃった人が持っている』との旨をメールしておけば僕と神森さんのお手伝いは完了する。
パスタを乗せたお盆を持ってリビングに戻ると、神森さんは仁王立ちで、透き通るような碧い瞳で、僕を見つめていた。
「ねえねえ」
「なんですか?」
「ふわふらの子のこと、ちゃんと見ててあげてね。大切なのは物じゃなくて人だからね」
普段の意味不明な言動ではなく、適当に受け答えする彼女でもなく、どこか真剣なトーンで話す神森さん。こういう場合は大抵大切なことを言っているはずなので、僕は反射的に「わかりました」と了承した。
けれど、いったい何のことを言われているか理解はできなかった。




