縦笛事件 01 四月八日 火曜日
「それで、どうなったの? たの?」
分らず屋の僕が台所で朝食を作っていると、この家の主である神森未守さんの幼い声がリビングから聞こえてきた。語尾が繰り返されているけれど、すごく気になっているとかではない。神森さんは事件の真相、事の顛末を訊くときはいつも決まってこういう訊ね方をするのだ。きっと、彼女はリビングに大量にある溢れるほどのクマのぬいぐるみに体をうずめながら話しているのだろう。なぜそう思うのかというと、ご飯を待っているときの彼女はいつだってそうだからである。
ちなみに、今日のメニューは焼き鮭と味噌汁。それと一昨日漬けておいた茄子と胡瓜の浅漬けである。
僕は味噌汁の味を確認してから、コンロの火を消す。
「結論から言うと新堂さんの奥さんが犯人でした。犯行の動機は」
「ふんふんふーんふふふーん」
神森さんの鼻歌が聞こえてくる。これは別に鼻歌で返事をしたとか、音程で会話をしているというわけではなく、ただ、歌いたくなったのだろう。
「聞いてます?」
お盆に鮭のお皿と味噌汁のお椀を置き、レンジからご飯が入った茶碗を取り出して、それもお盆に乗せる。あとは浅漬けだ。
「ふんふんふん、あ、じんぞう! こんなとこにいたー。うふふーかわええなあ」
「神森さん、聞いてます?」
「ん? 聞いてるよ! 続けて」
僕は冷蔵庫から浅漬けの入ったビンを取り出しながら話を続けることにする。
ちなみに『じんぞう』というのは臓器の腎臓のことではではなくクマのぬいぐるみの名前である。大量にあるクマの中でもその『じんぞう』とやらは二番目にお気に入りのクマで、一番は『かんぞう』という少し大きめのやつ。現在、行方不明中である。
「犯行の動機は新城さんに対する嫉妬ということだそうです」
「え? 犯人誰だったの?」
「だから、新堂さんの奥さんですよ」
「しんどう? ああ! ママチャリ盗まれた」
「それは新城さんですよ。依頼主の」
「んー。しんじょうとしんどうって似てるよねー。んー」
んーんーと唸る神森さん。考え出すと神森さんはこうしては唸る。また意味不明なことでも考えているのだろう。
そんな彼女の元へ僕は食事の乗ったお盆を持ち、十二畳ほどのリビングへと向かう。
そこにはクマのぬいぐるみの山から顔だけ出した神森さんがいた。クマの山の頂上から生首が生えている。生首が目を閉じて唸っている。西洋の香りが漂いそうな顔つきに白い肌、絹のような頬。整っているというか、美しさと可愛らしさが同居している顔だ。そんな彼女のハニーブロンドの髪は蛍光灯の光を反射してキラキラと輝いている。
うん、今日も美しい顔だ。この桜色のふっくらした唇を見れば誰だってキスくらいはしたくなるだろう。でも、僕はそんなはしたないことはしない。神森さんが考え事をしているときに手を出すとその手をがぶりと噛まれてしまうからだ。これはすでに経験済みなので目をつむっているからといって触ったりキスしたりしていいわけではないのである。クマの山をかき分けて抱き着こうなんて論外だ。
ぬいぐるみの山の正面にある小さな白いローテーブルにお盆をおいて、神森さんの可愛らしい顔が見える位置に腰を下ろす。
僕は手も出さないし、話しかけもしない。んーんーと考える神森さんをただひたすら待つだけである。神森さんのこの状態は誰の干渉も受け付けないのである。いちいち干渉していては手が何本あっても足りない。
それにしても今回は少し長い。早くしないとせっかくのお味噌汁が冷めてしまう。もう代わりに食べてしまおうか。
「しんじろう! と、しんどろん!」
意味不明なことを叫びながら神森さんは目を開ける。瞳の色は今日も透き通るように碧い色をしている。目を開けるとさらに西洋人じみている。
きっと『しんじろう』が新城さんのことで、『しんどろん』というのが新堂さんの奥さんのことだろう。そして神森さんは真顔で僕を見つめる。
「どろんってなに?」
「知りませんよ。忍者か何かなんじゃないですか?」
「ニンジャだから犯人なのかー、なるほど。りょぷかいでーす」
納得したような表情の彼女は本当にそう思っているように見える。と、いうか適当にしか話を聞いていなくて適当に返事をして適当に納得している。犯人を特定したのは、神森さん本人だというのに。
神森さんは他人から依頼や相談を受け、それを解決に導く相談屋という、探偵のような活動を行っている。けれどそれは趣味の範疇で、神森さんの元にたまに依頼が転がり込んできたり、相談者が訪ねてきたりするのだ。相談者と言ってもほとんどがご近所さんや神森さんの知り合いである。持ち込まれる相談事も些細なものばかりで、探偵には程遠い。
それに僕らが暮らすこの街は、七年前の河部ハーメルン事件以降、比較的平和だと思う。探偵がいたとしても、難事件に遭遇したり解決するなんてことは早々ないだろう。
そして僕はその神森さんの助手をやっている。いくつもの依頼を一緒にこなしてきたが、どれも特筆するような派手なものではなかった。よって、僕の普段の仕事はこうして神森さんにご飯を作って食べさせることである。助手と言うよりは、世話役だ。
「あ! 朝ごはんだ! おいしそう!」
「今、夕方六時なんですけどね」
「起きてすぐに食べるのが朝ごはんなんだよ。そんなことも知らないなんてまだまだだなあ。まあ、いいや。食べさせて、食べさせてー」
首を前後左右に揺らしながらお願いする神森さん。ぬいぐるみの山から出てきて食べるという発想はないらしい。しかし、クマたちの群れから生えたその可愛らしい生首にどうやって朝食を食べさせたものか。やっぱりこの山を崩すしかないのだろうか、でも、崩したら怒るだろうな。きっとこの状態になるまでにかなりの時間がかかっているだろう。なんて思案していると。
「あーん」
神森さんがクマの山から小さな口を開けて待っている。やわらかい唇に並びの良い白い歯、そしてその奥にある喉まで良く見える。
仕方ない。心の中でそう呟き、箸でご飯を少しはさむ。そしてこぼさないように慎重に、クマの山を登り、『こいびと』である神森さんの口にそっと差し入れた。