爆弾事件 19 四月八日 月曜日
ワタさんと初めて会った日、それは文月高校の入学式の日だった。
当時、普通を自称していた僕は、普通の男子中学生から普通の男子高校生になったということに、喜びを感じることもなく、これから始まる高校生活に期待もしていなかった。というか何も感じていなかった。なので、初めて入る教室に待ち構えるクラスメート達にも何も興味がなかった。それなりに友人ができればそれでいい。それが普通なのだろうから、そうあるべきだ。そんな感じに考えていたと思う。でもそれは必須ではない。世の中には友達のいない普通の高校生もいるだろう。でも、出会いがあるなら拒むことはない。きっと、友達がいた方がより普通に見えるだろう。そして、その出会いは教室に入った瞬間、起きてしまった。
「そこ、僕の席なんですけど」
思わず言葉が先に出てしまった。それもそのはず、出席番号順で割り当てられた僕の座席(僕の出席番号は一番だ)に知らない人が座っていたのだ。その知らない人はいわゆるイケメンと呼ばれるような綺麗な顔立ちをしており、後ろの席の女子たちが若干ざわついている。そしてそれに一切反応することなく、その渦中の人物である知らない人は、タブレット端末でゲームらしきものをプレイしている。もはや、ここが自分の席だと言わんばかりのくつろぎようだ。これは思わず声が出てしまうのも仕方がない。だってそこは僕の席なのだから。
「悪い、扉から一番近かったから借りてた」
「そうだったんですね。勘違いとかでないのならいいですよ」
僕がそう言い切る前に、イケメンさんは立ち上がり、後ろに歩いて行った。彼の出席番号が何番なのかはわからないけれど、女子にもてはやされているところを見る限り、クラスの中心的な人物になるに違いない。ということは、今後、僕が関わることも少ないだろう。普通の高校生はクラスの中心にはいないはずだ。そんなことを考えながら僕は席に座り、その後しばらくしてから担任教師が教室に入ってきた。そして僕らは体育館へ行き、入学式に出席した。高校の入学式は中学のそれとたいして変わらず、いろんな大人たちのお祝いの言葉を聞き流しているうちに終わってしまった。
体育館からの帰り道、校庭に人だかりができていた。何事かと思い近づいていくと、先生らしき大人が、「教室に戻りなさい」と手を振って人だかりを解消しようと必死になっていた。なぜ人だかりができているかはわからない。ただ、集まってきた生徒たちはこぞって上を見上げているようだ。
見上げると、校舎の屋上に一人の女子生徒が立っていた。それも、フェンスのこちら側、つまりフェンスの外側、幅の狭い校舎のへりの部分に立っている。
飛び降りようとしているのだ。
「折坂……」
隣で声が聞こえ、目をやると、今朝、僕の席に座っていたイケメンさんが上を見上げている。
「どうしたんですか?」
「知り合いだ」
「行きましょう」
僕は彼の手を取り、校舎に向かって走り出す。校舎の中に入る頃には手を引かなくても自分で走り出してくれたので、屋上までの階段で、飛び降りようとしている女子生徒とどういう知り合いかを訊ねたら、中学時代の部活の先輩だと教えてくれた。
屋上にたどり着いた僕らは女子生徒の近くへ。しかし、イケメンさんは無言のまま、女子生徒の背中を見つめているだけで、話しかけようとしない。
風で女子生徒の茶色い髪が揺れ、首筋が見えかくれしてする。
「で、あの人の名前は何ですか?」
「折坂理衣だ」
イケメンさんの声に女子生徒こと、折坂理衣先輩は反応し、こちらに振り返る。
「ワタさん、来たんだね」
「……」
「止めないで」
「いじめが原因か?」
「そうだよ、だから何? ワタさんも私を止めるの?」
「止めないよ」
「なら、どうして来たの?」
「こいつが行こうって言ったからだ」
「友達?」
「いや、違う」
「私達は友達?」
「いや、違う」
「だよね、ワタさんはいつもそうだった」
折坂先輩はイケメンさんを見つめる。
「ああ、だから俺に止める権利はない。中学の時、俺が暇つぶしに入った部活にたまたま折坂理衣という上級生がいて、たまたま一緒にいる時間が多かっただけだ。俺とお前はそれだけの関係だった。部活の先輩と後輩という関係でもなかった。だから俺は敬語を使わなかったし、お前も変なあだ名で俺を呼んでいた。俺は友達を作らない主義だったから、友達でもなかった」
「懐かしいね」
そう言って折坂先輩は空を見上げる。
「お前が卒業してしばらく後、高校でいじめられていることを知った。だが、俺には関係ないことだと思った。この高校を受験したのもたまたまだ。たまたまお前がいて、たまたま、いじめを理由にここから飛び降りようとしているだけだ」
そこで言葉を切り、イケメンさんは折坂先輩の目を見て、はっきりとした口調で「俺には関係ない」と言った。
「ワタさんのこと、好きだったのにな」
「知らなかった」
「だよね、私も忘れてた」
折坂先輩はそう言ってから、体を後ろに倒す。
「さよなら」
そう言い切るか言い切らないかのタイミングで、彼女は僕らの視界から消えた。つまり、下に落ちた。
おそらく、彼女は今、先生たちが用意したマットの上に着地しているだろう。そう、イケメンさんは、先生たちがマットを準備する時間を稼いでいたのだ。僕らが校舎へ走っていく途中で体育館から大きなマットを運ぶ先生たちとすれ違ってたので、僕もイケメンさんも、マットのことを知っていた。
こうして、入学初日のちょっとした事件は無事に幕を閉じた。
「お前はなんで行こうって言いだしたんだ?」
「止めるべきだと判断しました。ただ、どうしてそうするべきなのかはわかりません」
「わからない?」
「はい、僕には何もわかりません」
「おもしろいな」
「おもしろくはないですよ」
「友達になろう」
「はい? 友達を作らない主義なんじゃないんですか?」
「それは中学までの話だ。今日からは違う。お前と友達になりたいんだ」
「良いですけど、僕には普通の友達付き合いがどんなものなのかもわからないので、うまくやれるとは思いませんよ」
僕の言葉に、イケメンさんは「それはもっとおもしろくなりそうだ」と言って、手を差し出してきた。
「俺は綿抜草馬だ」
その名前なら、出席番号は最後、割り当てられた席も扉から一番遠い場所だ。だから、後ろまで行くのが面倒で僕の席に座っていたのか。そういえば、折坂先輩も『ワタさん』と呼んでいたっけ。そんなことを想いながら、僕は差し出された手を握る。
「僕は或江米太といいます。これからよろしくお願いします、ワタさん」
「ああ、よろしく」
これが、僕とワタさんの出会いの物語だ。僕らは初めて会ったその日に友達になった。
折坂先輩はその後、転校してしまったので、どうなったかは知らなかった。ワタさんもその関連の話はしないのでその後、友達になれたかはわからない。まさか、このワタさんとの出会いから一年半後、ショッピングモールのトイレで襲われた彼女と対面するとは思っていなかった。しかも、爆弾を仕掛けた犯人の仲間だったとは。
そんな思い出が僕の頭を駆け巡った。ワタさんが友達をやめると電話してきたその一瞬で僕は出会いを思い返したのだ。