恋桜事件 02
始業式での教頭のハイテンションな司会進行と、校長の聞き取りづらい与太話をなんとか寝ずにやり過ごした後、僕らは教室に戻って担任教師の自己紹介や所信表明、そして委員の取り決めなどを話した。というか、ついこの間まで昼夜逆転生活を送っていた僕は始業式が終わった時点で我慢の限界が来てしまい、教室では気持ちよく寝ていた。
周囲が動き出したのに気づいて目を覚ました僕の前に、帰り支度をしたワタさんが立っていた。
「今日のまとめ、送っておいた」
「普通の高校生というのは維持するのも大変ですね」
「その発言がすでに、普通ではないけどな」
ワタさんの情報提供に感謝しつつ、ケータイに情報が送られているか確認していると、
「ねえねえ、綿抜君この後ヒマ? 今からアタシら一年間よろしく会ってことでカラオケ行くんだけど、一緒に行かない?」
朝のギャル、ワタさん曰く姓名ともに丸いというマリーさんがやってきてワタさんに声をかけていた。
そうか、そういうイベントがあるのか。非常に興味深い。もしかすればワタさんの付き添いということで僕も誘ってもらえるかもしれない。
なんて思って眺めていると、マリーさんは僕に気付き、微妙に表情を変える。というか微妙な表情をしている。どうやら僕は誘ってもらえないらしい。今朝もそうだったけれど、僕はマリーさんにあまり良く思われていないらしい。
「俺はこの後用事あるから、他をあたってくれ」
ワタさんがそう言うと、マリーさんは笑顔で「今度やるときは絶対来てよねー」と言いながら去って行った。断られたのに不快な気持ちにならない。これがイケメン補正というやつである。
「さて、嫁さがしの時間だ」
そう言ってカバンからタブレット端末を取り出し、ゲームを始めるワタさん。今日もワタさんは忙しい。美少女と戯れるという大切な用事で忙しい。新しいクラスメートとカラオケに行っている場合ではないのである。
「ワタさんも全然普通じゃないですよね」
「俺はただ、美少女を集めるのが……好きなだけだ」
「三次元には興味がないのに、どうして校内の情報を網羅しているんですか?」
「言ったろ。元々は集めるのが趣味なんだ。……それに三次元に興味がないんじゃない。二次元を愛しているだけだ」
「興味あるなら、さっきみたいな遊びの誘いを断る必要ないですよね。情報も得られそうですし」
僕がそう言うとワタさんは端末から目を離し、僕を見つめる。
「お前はわかってないな。カラオケに行く金があれば、どれだけのレアキャラがゲットできると思ってんだ。どれだけの回復アイテム買えると思ってるんだ」
キメ顔だった。残念なセリフで今日一番のキメ顔を使う残念なイケメンである。現実世界の交友関係よりも二次元への課金。さすがワタさんだ。
そして言い切ると再び端末をいじる。彼はおそらくこの教室内の誰よりもぶれないキャラの持ち主である。
「それに、情報は……校内とネットだけで十分……稼げるだけ仕入れることができる」
「か、稼いでいるんですか?」
「ああ。校内の情報なんかでも欲しい奴は……いくらでもいるからな。主に恋愛関係が多いが……。お前は友達だから無料なんだ」
ちぐはぐな人だ。現実の交友関係を犠牲にしているのにも関わらず、誰よりも現実の交友関係に詳しいなんて。しかもそれで稼いで二次元に使っている。ここまでくると最早そのやり方が正しい道の一つに思えてくる。神森さんほどではないけれど。どうやら僕のまわりにはこういうちぐはぐな人が集まる傾向にあるようだ。そういう僕だって程々にちぐはぐなのだけれど。
ちぐはぐな人といえばそうだ。今朝、桜の木の下で見た女の子も制服に中折れ帽という、ちぐはぐな格好だった。僕はあんな女子生徒がこの学校にいるなんて知らなかったけれど、制服は文月高校の物だったし、ネクタイの色も僕らと同じ色だったので同学年ということになる。生徒事情に弱い僕が知らないのは当然のことなのかもしれないけれど、ワタさんなら何か知っているかもしれない。二次元のゲームのために校内の情報を網羅しているワタさんなら。
「ワタさん、黒い中折れ帽を被った黒髪の女子って知ってますか?」
「中折れ帽?」
「はい。被り物は校則違反ですよね」
「……それはあれだ。黒の探偵」
「た、探偵ですか?」
「……ああ。ありとあらゆる謎を解明し、ありとあらゆる事件を解決し、百発百中の名推理でこの地域一帯に名を轟かせた……というか本当に見たのか?」
「はい。今朝、桜の木の下で――」
「おーい、綿抜! 女子の誘い断ったなら男子会に来いよ」
声がした方を見ると何人かの男子たちが教室の後ろの方で集まっている。そのうちの一人がワタさんに声をかけたらしい。というか『一年間よろしく会』というのは女子だけの集まりだったらしい。クラスメートなのだから女子も男子も一緒にカラオケに行けばいいのに。
「忙しいんだ。また今度にしてくれ」
ワタさんがそう言うと男子たちは「また誘うからなー」とか「頼んだ情報よろしくな」とか言いながら教室から出て行ってしまった。
「そろそろイベントの時間だ。部室に寄ってから帰る……じゃあな」
そそくさと教室を出ていくワタさん。
部室というのはゲーム部の部室のことである。幽霊部員が多く、にもかかわらず設備が充実しているとかで、ワタさんにとっては、堂々とゲームしながら情報収集ができる最高の環境らしい。ちなみにワタさんは一年のときから部長である。なんでも毎日顔を出す人間がワタさんしかいないからだそうだ。
結局、桜の下にいた黒髪の女の子、黒の探偵の話をあまり訊くことが出来なかった。それほど気にしていたというわけでもないので、今度機会があったら訊くことにしよう。
教室を見渡すと、ほとんどの生徒が帰宅や部活、遊びに行ったらしく、残っているのは僕だけになっていた。
この後の僕の予定は神森さん家に行って世話をするくらいだし、神森さんはきっとまだ寝ているだろうから急ぐ必要はない。
ポケットからケータイを取り出し、ワタさんが昨日送ってくれたメッセージに添付してある『春休みのまとめ』を開く。一ページ目は春休み中に起きた文月高校関連の出来事と噂。ある程度詳しく書かれているのだけれど、適当にしか目を通さないことを知っているワタさんは、わかりやすく目次と概要を付けてくれている。
【出来事一】他校の不良集団と男子生徒が喧嘩。停学処分になる。
【出来事二】男子バスケットボール部、春休み強化特訓の後、県大会で準優勝。
【出来事三】吹奏楽部、全国高校生吹奏楽コンクール出場決定。
【噂一】日本史教諭が男子生徒とホテルに入るところを女子生徒が目撃。
【噂二】新三年生の女子生徒が後輩に彼氏を寝取られたと友人に相談。
【噂三】本年度より風紀委員会が名称を変更し、不純異性交遊取り締まり強化か?
これらの項目を選択すれば詳しい内容が表示されるのだけれど、目次だけにざっと目を通した僕は、どうでもいい情報だと思った。けれど、この情報が、普通に平和に暮らす僕にはとても重要なのである。どうでもよくても、詳しくなくても、軽く知っているのと、全く知らないのでは大違いなのだから。