爆弾事件 04 十月二十二日 水曜日
「手をあげろ!」
学校から帰ってきた僕が二〇三号室のリビングに入ると、いきなり銃口を突きつけられた。黒いリボルバー式の銃を構えているのは、僕の愛する未守さんではない。黒スーツに身を包み、サングラスを装着した、ゆずかちゃんである。どうして僕は帰って来て早々、銃口を突きつけられなければならないのかさっぱりわからない。それも仲のいい小学生に、しかも、その小学生は友人の妹であり、愛する恋人の妹でもある小学生だ。
今はおかしな格好をしているけれど、ゆずかちゃんはいつも小学生の女の子らしい恰好をしていて、たぶんお洒落にもそれなりに興味がある、普通の小学生のはずである。ちょっと失礼なところもあるけれど、おかしな格好で僕にいきなり銃を向けるような子ではない。どういうことだろう?
そんないくつかの疑問が頭の中に浮かぶ中、僕はある事件を思い出した。七月の七夕事件である。感情がわからない未守さんと、感情を芽生えさせようとした瓜丘さんとの対決。その中で僕は二度、銃を突きつけられている。一度目は瓜丘さんに。これは未守さんの蹴りで阻止された。二度目は瓜丘さんの部下、ベニさんに。これはいきなりの不意打ちで、僕は胸を撃たれて倒れた。その後、傷は治ったものの、ショックで記憶を一時的になくしたりもした。その銃が再び僕の目の前に突き出されている。しかも、ゆずかちゃんの手によって。
僕は本物を見ているし、知っている。ゆずかちゃんが手にしているものが、おもちゃやパーティーグッズではないことはすぐに分かった。明らかに本物の質感で、本物の重厚感がある。
これはおとなしく、ゆずかちゃんに従ったほうがいいだろう。そう思い、僕はゆっくりと両手をあげる。
「動くなと言っただろ!」
言っていない。ゆずかちゃんは「手をあげろ」と言ったはずだ。だから、僕は手をあげた。なのに、動いたという理由でゆずかちゃんを怒らせてしまった。ゆずかちゃんはきっと「動くな」と言ったつもりだったのだろう。銃の扱いよりも、銃で相手を脅すときの台詞を勉強した方が良さそうである。と、そんな悠長なことを考えている間もあまりないまま、理不尽な理由で僕は撃たれることになってしまった。
ゆずかちゃんが引き金に添えた人差し指に力を入れる。
いくら胸を撃たれたことがあるとはいえ、僕はとっさに目を瞑る。
ぴゅー。
銃声ではなく、どこか間の抜けた可愛らしい音が銃から発せられた。
僕の顔面に水がかかる。
「わーい、どっきり大成功!」
ゆずかちゃんは両手をあげ、小躍りする。
銃は本物ではなく、水鉄砲だったらしい。なにが本物の重厚感だ。思いっきりおもちゃじゃないか。
「……ゆずかちゃん、その恰好は何?」
「マフィアのコスプレ!」
「マフィア? どうしてコスプレ?」
「ハロウィンだから」
「ハロウィンなら、魔女とか他のそれっぽいもののほうがいいんじゃないかな?」
「弟くん、わかってないね」
「ん?」
「それじゃ、クラスが魔女だらけになっちゃうでしょ」
「クラス? 学校でハロウィンパーティーをするの?」
「うん、場所は学校じゃないけどね。今度の日曜日、ショッピングモールでイベントがあるの。それにクラスで参加するんだー。だから、他の子と被らないようにしたんだよ」
「そういうことだったんだね、じゃあ、その衣装と銃はゆずかちゃんが用意したの?」
「そんなわけないじゃん」
そう言ってマフィア小学生は、床に寝転がっている未守さんを見る。未守さんの今日の恰好は「姉妹」と書かれたTシャツ一枚。相変わらず下には何も穿いていないし、大胆にめくれあがっていて、いろんなところが隠せていない。そんな未守さんは上機嫌に歌を歌っている。
「いもーといっぱーい、ふふふふーん」
「未守さんが衣装とモデルガンを用意したんですか?」
「いもーとおっぱーい、ふふふふーん」
「未守さん」
「そだよ。ゆずりんがハロウィンするっていうから、お姉ちゃん頑張りました!」
「本当はよろいの騎士が良かったんだけど、みも姉に相談したら、よろいだとみも姉が作る時間が足りないってなって、それで、マフィアになったんだよね」
「そうでござる! ゆずりんでも重くない素材で銃の質感を出すのにけっこう時間かかったー」
「そこはおもちゃっぽくても良かったんじゃ……」
「弟くんはほんとわかってないね、やるならカンペキじゃなきゃいけないんだよ? ね、みも姉」
「おうよ!」
「まあ、イベントに間に合いそうなら良かったですけど」
僕がそう言うと、未守さんは起き上がり、マフィアに声をかける。
「ゆずりん、あるの呼び方変えないの?」
「弟くんの呼び方? あ、そっか」
ゆずかちゃんは僕のことを『弟くん』と呼ぶ。それは僕がゆずかちゃんの弟だからではない。僕の姉、麦子を『王子様』と慕う彼女が、王子様の弟、という意味で名付けたものだ。変える必要はない気もするのだけれど、ゆずかちゃんはこの前の一件から、未守さんのことを『みも姉』と呼ぶようになった。それは血の繋がった姉だと判明したからで、僕とは関係のないところの話のようだけれど、僕は未守さんと婚約している。ということは、僕はゆずかちゃんにとって――
「お兄ちゃん」
ゆずかちゃんは少し照れながら、そう言った。こうして、知り合って一年と三カ月、なかなか呼んでもらえなかった呼び方を、ようやくしてもらえることになった。
「ありがとう、ゆずかちゃん」
僕が真っ直ぐ見つめると、ゆずかちゃんは視線を逸らす。
「そ、そんなことより、ふわりちゃんのライブ楽しみだね!」
「あ、そうか。日曜日にショッピングモールでイベントってことは、ふわりさんのリリースイベントと同じだね」
「そうなの! ハロウィンパーティーは午前中に西広場で、ふわりちゃんのライブは東広場で午後からなんだよ。なんか、私たち小学生はCD買ってなくても見れるんだって!」
「さすがワシのおきなともだち」
「それを言うなら幼馴染みです」
翁友達って、友達がおじいさんになってしまっている。子供の頃から仲が良いのかもしれないけれど、アイドルに対しておじいさんなんて、失礼である。
「ふわりちゃんって顔がすごく小さいらしいんだよね、楽しみー」
そう言って、ゆずかちゃんは微笑んだ。ゆずかちゃんのような小学生にとって、アイドルは憧れの存在なのだろう。恰好はマフィアだけど。