家出事件 15
「というわけで、私は真実を知って家出してきた柚香ちゃんを、自分の目的のために家に連れ帰った、というのが真相です」
使用人の尾林さんが運転する車で河部市に戻っている最中、希さんは助手席で前を見たまま発言した。
感動の再会の直後、希さんに急かされ、僕らは七人乗りのミニバンの後部座席に乗せられたのである。希さん曰く、「用が済んだのなら急いで家に帰りましょう。親御さんもさぞかし心配しているでしょうし」とのことだった。ゆずかちゃんを連れ去って今まで軟禁していた張本人の台詞とは思えない。けれど、希さんはサインをしてもらうという目的のために動いていただけだ。それに、ゆずかちゃんは自ら家出してきているので、まさに利害が一致したというわけだ。
「さて、親御さんや警察の方々にはどう説明しましょうか? 私のシナリオでは、家出した柚香ちゃんを学校帰りの私が保護、柚香ちゃんが自分のことを何も話さないので家に連れ帰り、泊めてあげていた。警察にも行きたくないと言われたので行かなかった。そこに姉さんと或江さんが迎えに来て、無事に帰ってきた、という感じなんですけれど」
「それじゃあ希さんがただの良い人になりませんか?」
「私は良い人ですよ?」
「僕にはそうは思えませんけど」
「困ったなあ、義理の兄になる人にまるで信用されていないとは。あれですか? お義兄ちゃんと呼んでほしいとかですか?」
「ふざけないでください」
「ふざけてませんよ、お義兄ちゃん」
「ふざけてます。それに僕らはまだ結婚していないので、気が早いです」
「それもそうですね。しかし、どうですか? 義理の妹が三人もできることになったお気持ちは?」
「わかりません」
「でしたね。あなたは分からず屋だった」
「本当に僕のことまで詳しく知っているんですね」
「ええ、近いうちに義理の兄になる人ですから」
「それで、今回の件をどう説明するかですが……」
と、僕が話していると、ゆずかちゃんが僕の腕を掴んだので、僕は彼女を見る。すると、ゆずかちゃんは頷いてから口を開く。
「それでいい。私が家出して、希お姉ちゃんが助けてくれたってことでいいよ」
「柚香ちゃん、別にこの人の味方になる必要は――」
「希お姉ちゃんはすごく優しかったし、尾林さんの料理も美味しかったから」
「それはそれは。ありがとうございます」
というわけで、僕らは無事に並木家の前に到着したのだった。所要時間は四十分ほど。バスと徒歩でかかった時間と比べると、そんなに時間はかからなかった。
並木家ではゆずかちゃんのご両親が外で待っていてくれた。どうやら希さんか尾林さんのどちらかが連絡しておいてくれたみたいだ。希さんがいきさつ(先ほど打ち合わせしたやつ)を説明している間、僕はゆずかちゃんを抱きしめるお母さんを眺めていた。この人が未守さんの産みの親だったとは。
ちなみに、未守さんは車の中で尾林さんと一緒に待っている。なので、家の前で説明したのは希さんと僕の二人だ。ゆずかちゃんはひたすらご両親に謝り、ご両親は僕らに何度も感謝の言葉を述べた。
こうして、ゆずかちゃんの二泊三日の家出旅行は幕を閉じた。
ゆずかちゃんを親御さんのもとに返した後、尾林さんは僕らをアオヰコーポの近くまで送り届けてくれた。僕に続いて未守さんも車から降りると、希さんも助手席から外へ出た。
「希さん、ひとついいですか?」
「何でしょう?」
「今回の件、ちょうど家出したゆずかちゃんを連れ去るなんて、あまりにもタイミングが良すぎませんか?」
「私は、父が死んで以降、姉さんとの接触を何度も試みましたが、それはもう何度も拒まれてしまい、どうすればいいか思案していました。そんなとき、とある人が私の家にやってきました。その人は姉さんと或江さんについて、そして、並木家のこと、そこの次女が近々真実を知って家出することなど、本当にいろいろなことを私に教えてくれました。もちろん、お金は取られましたが」
「じゃあ、今回の件はその情報に基づき、希さんが実行したというわけですね」
「そういうことになります」
「その人の名前は?」
「お教えできません。ただ、その情報に未来のことまで含まれていた、と言えば推察することもできるんじゃないでしょうか?」
「……」
未来のこと。ゆずかちゃんが真実を知り、お母さんと喧嘩して家出をするタイミング、そんなものがわかる人間を僕は一人しか知らない。しかし、なぜあの人がそんなことをする必要があるのだろうか? ……わからない。
と、考えていると、希さんは未守さんに向き直り、声をかける。
「お母さんに、会わなくてよかったんですか?」
「戸籍上は他人だよ」
「それを言うなら、戸籍上は姉妹の私と、仲良くしてくださいよ」
「いいよ。よろしくね、のぞみん!」
「案外あっさりですね」
希さんは安心したように息を吐く。
「てっきり嫌われてるとばかり思ってましたよ。私も神森家の人間なので」
「そんなことないでござる」
「今回の私のやり方で嫌いになったりとかは?」
「ないでござる」
「よかったです。では、次に会うのは結婚式ですかね? 私だけでいいので、ちゃんと呼んでくださいよ? あ、それまでに暇な時があれば、お茶に呼んでくれてもいいですよ?」
「りょぷかいでーす」
「それじゃあ、また会いましょう、姉さんとお義兄さん」
そう言ってにやりと微笑んだ希さんは、尾林さんが運転するミニバンで小与野へと帰っていった。
無事に任務を終えた僕らは、手を繋いでアオヰコーポへと続く路地を歩く。
「未守さん、これからどうするんですか?」
「ん? どうもしないよ?」
「でも、ゆずかちゃんや桜さんは真実を知った上で関わっていくことになりますし、お母さんの件も」
「変わらないでござる。ゆずりんとは今まで通り仲良くするし、ふわふらちゃんも、ワシは前から好き。お母さんはきっとワシのことはもうなんとも思ってないよ」
「そんなものなんですかね」
「ういー。ワシに親はいない。でも妹は三人!」
「意味不明な状況ですね」
と、未守さんと話していると、ポケットの中のケータイが震えた。表示を見ると、朝見刑事だった。
「お手柄じゃねえか、この野郎!」
割れんばかりの大声が耳元から響く。というか、音割れしている。
「今回も未守さんのほうが早かったですね」
「見つかればそれでオッケーなんだよ。ただの家出だったみたいだしな。まあ、とにかく、みも語で言えば『やったっぴー』だ。お疲れさん、みも太郎にもよろしく言っといてくれ」
「わかりました」
僕がそう言うと、朝見刑事はすぐに通話を切ってしまった。なんとも騒がしい人(主に声のボリューム)である。
と、すぐにまたケータイが震え始める。今度はワタさんだ、
「もしもし」
「お疲れさん」
「ワタさんも、いろいろとありがとうございました。今回の件は桜さんからお金取るんですか?」
「いや、無事に見つかったのならそれでいい。役に立てたかどうか微妙だしな」
ワタさんが話す声の奥でマリーさんが「そうゆーこと!」と言っているのが聞こえる。きっとマリーさんがワタさんとそういう風に話をつけたのだろう。
「それにしても、情報が早いですね」
「並木に親から連絡があったんだ」
「そういうことですか。桜さんはまだ学校ですか?」
「飛んで帰ったよ」
「そうですか。ということは今頃、感動の再会ですね」
「だろうな」
「では、僕にできることであれば、お二人にお礼するんで、考えておいてください」
「了解した」
ワタさん達との通話を終え、僕らは再びアオヰコーポに向かって歩き出す。しばらく歩くと、コーポの門の前に人影が見えた。
文月高校の制服に黒の中折れ棒、そこから伸びる黒い髪。桜さんだ。
「或江君、黒の探偵さん、今回はありがとうございました」
そう言って帽子を取り、頭を下げる桜さん。そしてゆっくり顔を上げる。
「お二人をお待ちしてました」
「桜さん、どうしてここに?」
「母から連絡をもらい、柚香を或江君たちが連れて帰ってきてくれたことを聞きました。結局、あの子の家出だったわけですが、原因はやはり母との喧嘩というわけですよね? けれど、喧嘩の内容を聞いても母は教えてくれませんでした。柚香に訊いてもいいのですが、仲直りをした以上、口裏を合わせるかもしれません」
「……」
「早く柚香に会いたい気持ちもありますが、戻ってきたのなら安心です。それで、柚香は何を知ってしまったんですか? 或江君なら答えてくれますよね?」
真っ直ぐ僕を見つめる桜さん。僕は桜さんを見つめ返したまま、未守さんに声をかける。
「未守さん、いいんですか?」
「ワシは構わないでござる」
「わかりました、未守さんは先に帰っててください。桜さんには僕から話します」
「ういー。では、よろしくりーむぱん」
未守さんは門の中に入り、スタスタとアオヰコーポの階段を上っていく。
「桜さん、場所を変えましょう」
そう言った僕に対し、桜さんはコクリと頷いた。