家出事件 13
坂道だった。僕が想定していた、森の中をひたすら進んでいくという感じの登山ではなかった。確かに森の中を通ったり、大きく左右にカーブした道もあったけれど、それよりも、斜面に広がる棚田や、木造平屋の民家の前を通ることが多かった。それらの道はどれもかなりの急斜面で、ひたすら上り坂だった。そんな道を歩くこと四十分。僕らはようやく目的地に到着した。
目的地は民家だった。民家や棚田がある集落の中ではおそらく一番高い場所にあるそのお屋敷は、他の民家と同じく木造平屋なのだろうけれど、門構えや敷地の広さから、この辺りで一番大きなお屋敷だと思われる。そのお屋敷の門へと続く階段の前で、未守さんは立ち止まった。
ちなみに、ここは山の頂上ではない。上へ行く道は森の中へとまだ続いている。それでも、振り返るとこの周辺の山々とその下に広がる集落が見え、ここがかなりの高さだということがわかる。
未守さんは何の迷いもなく、屋敷の門へと続く階段を軽やかに上がる。僕もそれに続き、未守さんの隣に並ぶ。すると、表札が見えた。
「神森? 親戚か何かなんですか?」
「んー、昔住んでた」
「え? それって実家ってことですか? 未守さんは小与野の出身だったんですか?」
「こよのに施設はないからねー。ここから一番近い施設があおい園なんだよ!」
「いや、そういうことじゃなくて――」
僕の言葉を遮って、未守さんはインターホンを押す。すると男性の声が聞こえ、未守さんは「未守です」とだけ言った。しばらくして、門が開いた。電子的なシステムというわけではなく、中から中年の男性が門を開けてくれた。門を開けた男性は、少し汚れた作業服姿で、未守さんの顔を見ると、「未守お嬢様、お帰りなさいませ」とお辞儀をし、僕には「使用人の尾林です」と名乗ってくれた。
尾林さんの案内で敷地内に足を踏み入れた僕たちは庭園を抜けて、屋敷の中へと入った。
玄関は土間になっており、それなりの広さがあった。尾林さんは「ここでお待ちください」と言って奥へ消えていった。
尾林さんと入れ替わるようにして、僕たちの前に現れたのは女子中学生だった。
ベリーショートの黒髪に透き通った白い肌。男子だと言われれば、そう見えてしまうくらいに凛々しい顔立ちをしている。ただ、その恰好が、彼女が女性であることを主張している。セーラー服。襟だけが白い、紺色のセーラー服。皐月山学園中等部の制服。そう、ワタさん達が見つけてきた監視カメラの画像に、ゆずかちゃんと一緒に写っていた人物だ。
「初めまして、神森希と言います」
少し膨らんでいる胸元に手を当て、女の子にしては少し低めの声で、希さんは自己紹介をしてくれた。
それに対し、未守さんは大きく息を吸う。
「ゆずりんを返して!」
「ちょっと待ってくださいよ、自己紹介を最後までさせてください。私達、初対面ですよね?」
「そんなことはどうでもいい」
「どうでもよくはないでしょ」
「どうでもいい!」
「まあ、私はあなた達のことを良く知っているので構いませんけど」
知っている? 初対面なのに? それに『あなた達』と言った。ということは未守さんだけでなく、僕のことも知っているということになる。未守さんは黒の探偵なので、知られていてもおかしくない。というか同じ神森姓なのだから、血縁者なのは間違いないので、知っているのはおかしくない。この場合、初対面というのが引っかかるけれども。
僕のことまで知られているのは気になるが、自己紹介をしなくていいのなら、それでいい。僕は感情的になる未守さんに代わって、冷静に訊ねる。
「ゆずかちゃんは本当にここにいるんですか?」
「はい、います。私が連れてきました」
「どうしてこんなことを?」
「こうでもしないとこの人は来ないと思ったんで」
そう言って、希さんは僕から未守さんへと視線を移す。
「知ってるんでしょ? 先月、父が死にました。私たちの父さんです」
「ワシに親はいないよ」
「そうは言ってもさ、戸籍上は血の繋がった親子で、私達は戸籍上、血の繋がった姉妹なんだから」
姉妹? 目の前にいる希さんと、未守さんが? 顔は全く似ていないし、初対面のこの二人が姉妹? しかも『戸籍上』と言った。
僕は未守さんに訊ねる。
「どういうことですか?」
「助手さん、いや恋人? 婚約者と言った方がいいのかな? まあとにかく、或江さんに何も説明してないんですね」
未守さんは黙ったままだ。
「なら私から説明しましょう」
そう言って希さんは床に座った。僕らは土間に立ったままだ。説明してくれるのはありがたいのだけれど、僕らをどこかの部屋に案内するのが先のような気もする。
「今から二十年前、私達の父、神森森羅は困っていました。結婚し、神森家の当主になったものの、何年も子宝に恵まれなかったからです。不妊治療を受けていたそうですが、それでも跡取りが生まれなかった。そんな夏のある日、家の前に赤ん坊が置き去りにされていました。母子手帳と手紙が添えてあったそうです。手紙には、『私には育てることができないので、代わりにこの子育ててください』と書かれていました。それを読んだ父と母は大変喜びました。父はすぐにその赤ん坊を引き取り、財力を使って出生届に必要なものを偽造し、自分たちの子供として役所に提出した」
そこで一旦話を区切り、希さんはまた口を開く。
「その赤ん坊が、神森未守、姉さんです。なので、戸籍上は神森家の長女ですが、神森家と実際の血縁関係は一切ありません。縁もゆかりもない捨て子です」
捨て子。それが未守さんが『親はいない』と言い張る理由だった。いくら書類上は神森家の長女でも、両親や妹がいても、未守さんにはそれは関係ない、ということだったのだ。
「晴れて跡取りを得ることができた父は、アメリカにある研究機関に姉さんを預けました。その頃、父はその研究機関に個人的に出資をしていました。この国には『財団』と呼ばれる組織があり、その組織の理想を実現するために研究を行っていたのが、そのアメリカの研究機関です。そこで六年間、姉さんは育てられました。所謂、人間の潜在能力を引き出す類の研究です。父は跡取りに特殊な力を与えたかったのでしょう。しかし、姉さんは何の力を得ることもなく、帰国しました。なぜだと思いますか?」
そう言って希さんは僕に手を差し出す。答えろ、ということなのだろうけど、僕には答えがわからない。すると、希さんはすぐに手を引っ込め、そのまま自分の胸に当てる。
「私が産まれたからです」
そういうことか。本当の子供ができた、それが答えだ。自分の子供が生まれてしまえば、いくら戸籍上は長女でも、お金をかけて研究機関に預ける必要がない、ということだ。
「帰国した姉さんを、父は痛めつけました。虐待です。詳しく言うと、敷地内にある蔵に監禁し、ろくに食事も与えず、夜な夜な暴力をふるったそうです。多額の資金をつぎ込んだにも関わらず、何の成果もなく、本当の跡取りである私も生まれ、姉さんは用済みになったわけですから。父の仕打ちは理不尽だと思います。しかし、私にはどうすることもできませんでした。その頃、私は赤ん坊でしたから。そして、私が一歳になる頃、酷い虐待を受けていた姉さんは役場の職員に保護されました。そして、あおい園へ引き取られたわけです」
あおい園に引き取られる前の未守さんの人生。ワタさんに調べてもらっても出てこなかった情報。未守さんの『親はいない』という言葉の意味が良く分かった。
「それから先は説明するまでもないでしょう。姉さんは黒の探偵として能力を発揮し、私は研究機関に預けられることなく、ここで大事に育てられ、今は皐月山学園の生徒です。なぜ私が研究機関に預けられることがなかったのか、理由は二つあります。一つ目は姉さんの失敗から父は特殊な能力を跡取りに与えることを諦めたから。二つ目は研究機関そのものが解体されたから。姉さんは黒の探偵として能力を使うようになりましたが、父は姉さんを神森の家に戻そうとは考えなかった。力よりも血縁の方が大事だと考えたからです。父さんは私にこう言いました『あいつは元々捨て子だったのだから、もう関係ない』と。姉さんも、あおい園を出て独り立ちしたからといって神森家と交流を持とうとはしませんでした。なので、私達に面識はありませんでした。正真正銘、今日が初対面です。しかし、戸籍上は紛れもなく姉妹というわけです」
「あなたと未守さんが姉妹だということはわかりました。でも、どうして柚香ちゃんを連れ去ったんですか?」
「連れ去ったというのは、事実と少し違いますが、今は良いでしょう。先ほども言いましたが、私達の父で神森家の当主、森羅が先月亡くなりました。当主は私になりましたが、当然、姉さんにも遺産相続の権利があるわけです。しかし、姉さんはもう神森家の人間ではない。なので、一筆書いていただこうと思いまして。相続権を破棄する、と。姉さんもそれでいいですよね?」
「ワシに親はいない」
「はい、それでいいです。ではこちらの紙にサインを」
希さんは制服のポケットから紙切れとペンを取り出し、玄関に並べる。未守さんは勢いよくそれらに飛びつき、サインをする。
「どうしてゆずかちゃんである必要があたったんですか? サインをさせる方法は他にも考えられると思いますけど」
「柚香ちゃんをここに連れてきた理由はもう一つあります」
未守さんがサインした紙を確認しながら、希さんはにやり、と微笑む。
「同じ姉を持つ者同士、仲良くしようと思ってね」