家出事件 12
学校は欠席することになった。未守さんがゆずかちゃんを一緒に迎えに行こうと言ったのだ、それは助手としてついて行かなければならない。
桜さんやワタさん達には、「場所が分かったので、迎えに行きます」と連絡した。桜さんは一緒に行くと言ったけれど、それは断った。未守さんが二人で行くと言って聞かないからだ。
「すみません、未守さんと二人で行ってきます。僕も詳しい場所は聞いていないので、どうなるかわかりませんが、必ず連れて帰るので、安心してください」
「……わかりました。よろしくお願いします」
「あるー、着替えた? 早くしないと置いてくよー」
自室で桜さんと通話をしていると、リビングから未守さんの声が聞こえる。このままでは本当に置いて行かれてしまう。
「すみません、そういうことなので」
そう言って電話を切り、未守さんの指示通り動きやすい恰好に着替える。なぜ着替える必要があるのかは、わからない。どこに行くのかもわかっていないので当然である。制服では行けない場所なのだろうか?
リュックには未守さんのトレンチコートと僕のウインドブレーカーを入れる。これも未守さんの指示。天気予報によれば、今日は比較的暖かいはずなのだけれど、こんなものが必要なのだろうか。
「準備できた? しゅっぱーつ!」
未守さんはいつものシャツにホットパンツ姿。シャツの下にはちゃんとタンクトップを着ている。
そんな未守さんは、玄関を飛び出すと、スタスタと外階段を降り、門の外へ。黒バイがとめてあるガレージは完全にスルーである。服装や荷物の指示から遠出で、そして、急を要する案件ということから、てっきり黒バイの出番だと思っていたのだけれど、どうやら違うらしい。
「歩いて行くんですか?」
「ういー。とりあえず駅に行くからね」
駅ということは電車? 遠出というのは間違いなさそうだ。黒バイで行かないことを考えるとかなりの遠出。夏に珊瑚半島まで電車で三時間かけて行ったけれど、それと同じくらい遠いのだろうか。小学生のゆずかちゃんが一人でそんな遠くに行くとは考えにくい。やはり、誰かに連れ去られたということだろうか。
そんなことを考えながら歩き、僕らは東河部駅周辺に到着する。未守さんは鼻歌をずっと歌っており、会話はあまりなかった。ちなみに曲は『寄集めバンド』の『もう一度、家に帰ろう』だ。なかなかの選曲である。
「未守さん、どうしました?」
もう少しで駅舎という辺りで、急に立ち止まった未守さんに声をかける。
「バスに乗るでござる」
「バスだとしてもロータリーは駅舎の前ですからもう少し歩かないとです」
「ここだよ!」
「ここ?」
ここは一階部分がピロティになっているビルの前だ。いつも何も考えず通り過ぎているので気づかなかったけれど、このピロティ部分がどうやらバスのロータリーになっているらしい。というか、『バス乗り場』という看板が出ている。しかし、河部市内を巡回するバスなどメインの路線はだいたい駅舎の前の大きなロータリーから出ているので、利用したこともない。
すると、バスがやってきた。他の路線と同じくクリーム色の車体に赤と青のラインが入った車体、行先は小与野と書かれている。
「時間ぴったんこだねー。一時間に一回だから、これ乗らないと待ちぼうけだよ!」
そう言って、すたこらさっさーと乗り場へ向かう未守さん。
小与野郡小与野町。河部市の北隣にある町で、峠がある。夕波さんのお兄さん、優成さんがバイク事故で亡くなった所だ。どうやら、ゆずかちゃんは小与野にいるらしい。
バスに乗り込むと、未守さんは後ろの方にある二人先に座った。僕はもちろんその隣に腰かける。
「酔うといけないから外見てて」
発車の直前にそう言って、未守さんは僕の肩に頭をのせて眠り始めた。丸一日寝ていなかったので、仕方ない。睡眠は大切である。
外を見ていろと言われたけれど、僕が車に酔うことは少ない。船も大丈夫だったし、問題ないはずである。しかし、峠道を通るのであれば、かなり揺れるのかもしれない。ここは指示通り外を見ていよう。
ロータリーから出発したバスは国道を北へ進む。会瀬川沿いの道へ出ると、笠佐木橋を通り越し、皐月山へと続く道との交差点も通り過ぎる。ひたすら川沿いを北へ。左側に見える会瀬川とその向こうにある住宅街。河部市の西に広がる住宅街はかなり広い。僕の実家や、桜さんの家、有名な碌々台もここに含まれる。今見えている景色も、川の向こうに小さな山があり、その山が丸ごと住宅で覆われているようなもの。昔、写真やテレビで見たヨーロッパのどこかの街や南米のどこかの街を連想させる。
そんな家だらけの景色が終わりかける頃、赤い扇型の橋が見えてきた。この橋から先の景色は木々が生い茂っていてあまり良く見えない。会瀬川も上流に近づいてきているのか、川幅が狭くなっている。
そして、僕らが乗るバスは当たり前のように山道へと入っていく。山と山の間の谷間、そこに流れる川、それに沿って作られた曲がりくねった道、そこをバスが右に、左に、何度も大きくカーブしながら、走っていく。山道に入ってから、バスは速度を増した。景色も住宅街から一変して、緑しか見えない。
そんな景色がしばらく続いた後、少し開けた場所に出た。小さな集落だ。川を挟むように両側に棚田と、昔ながらの日本家屋が並んでいる。バスで走ってきただけなのに、タイムスリップしたかのような景色が広がっていた。そして、会瀬川を辿る旅は続く。再び山道へと入り、バスが左右に揺れ、川幅はどんどん狭くなり、再び集落が見えてきたころ、『ようこそ、小与野町へ』という看板の前を通り過ぎた。
どうやら峠は過ぎたみたいだ。先ほどの集落よりも開けた場所に広がる田畑と民家、それ以外は何もない。奥から山、家、棚田、川。それだけである。交通量の少ない道をまっすぐ走っていくと、車内に『次は小与野町役場前』というアナウンスが流れる。今までも停留所の度にアナウンスはあったけれど、降りる人も乗り込んでくる人もいなかった。というか、そもそも乗客は僕ら以外に三人だけだ。
降車ランプが初めて光った。乗客の誰かがボタンを押したらしい。すると、未守さんが起きた。
「次、降りまーす」
「了解です」
小与野町役場前にバスが停車したのは、僕らがバスに乗ってから五十分が経過した頃だった。料金は一人六百円、二人で千二百円だ。河部市内ならどこまで乗っても二百円くらいだけれど、この路線はそうはいかないらしい。スタスタと先に降りていく未守さんに続いて、まとめて二人分の料金を箱に入れ、バスから降りる。僕ら以外の乗客も全員ここで降りた。
小与野町役場は小さな建物だった。河部市の市役所とは比べ物にならないくらい小さい三階建ての建物だ。しかし、この辺りでは一番高い建物である。基本的に周りが木造の平屋なので当たり前といえば当たり前である。そして、ここが小与野町の中心地らしい。役場と中学校と郵便局、そして開いているか閉まっているかよくわからないスーパー。道の先にはコンビニの看板も見える。バスで一時間走るだけでこんな田舎に来ることができるとは思っていなかった。河部市の北隣にこんな田舎町があったとは。
寝起きの未守さんは大きく伸びをした後で、手を差し出してきた。
「ある、コートだして」
「確かに急に肌寒くなりましたね」
言いながら僕はリュックから未守さんのコートを取り出し、着せてあげる。
「ここは河部より三度か四度くらい低いからね」
「え? いつもですか?」
「いつもだよ。山の上だもん、外見てたでしょ?」
トレンチコートをはためかせ、僕の顔を覗く。
「はい、まさに峠道でした」
そう言って、僕もウインドブレーカーを羽織る。
「夏は蛍が飛ぶよー」
「会瀬川も、ここまでくると水も綺麗そうです」
「ここは小与野川だよー」
そうか。道中、川が二股になっている個所があった気がする。小与野川と、もう一つの川が合流して、会瀬川になるのか。
「あと、冬は雪が三十センチ積もったりもするー」
標高が違うと天候もかなり変わる。河部市はほとんど雪が積もらない、積もっても年に一回くらいの頻度で、うっすらとしか積もらない。そして、それは昼前に全て溶けてしまう。それなのに、バスで少し走った先では雪がそんなに積もるとは。そりゃ凍結するはずだ。夕波さんのお兄さんである優成さんは、ここの峠道が凍結していたことが原因で事故を起こしたとのことだけれど、あのカーブが連続する道が凍っていたのなら、相当危険である。
と、考えていると、未守さんはバスで走ってきた道を引き返していく。
「どこへ行くんですか?」
「登山するでござるよ」
登山。それは山を登ることである。ここでようやくどうして動きやすい恰好に着替えさせられたのかが判明した。軽やかに歩く未守さんについて行きバス道を引き返し、しばらく歩いたところで分かれ道に入る。もちろん舗装された道なのだけれど、先ほどとは違い、歩道がない。車道だけの道だ。そして、その道は森の中へと続いていて、上り坂。まさにこれから山を登るというわけだ。
登山といえば、七月の七夕祭りの際に皐月山を登ったことがあるけれど、今回はバスでかなりの山岳地帯まで来ているので、そもそものスケールが違う。これは覚悟を決めなければならない。どうしてゆずかちゃんがこんな場所にいるのかは、さっぱりわからないけれど、僕たちは彼女を迎えに行くために山を登る。