縦笛事件 13 四月八日 火曜日
姉が神森さんを僕に託し、オランダへ行ったのが昨年の夏休み。それから季節は廻り年が明け、いくつかの依頼を相談屋である神森さんと、その『こいびと』である僕とで解決する日々が続き、気が付けば春休みになっていた。
人間は慣れる生き物だというけれど、本当にその通りだと思う。なぜなら僕は神森さんの『こいびと』もとい世話役をしている現状にこの八カ月ですっかり慣れていまっていた。
そして春休み最終日である今日、僕はいつものように神森さんに事件の顛末を報告しに来ていた。
事件といっても些細な盗難事件。ご近所さんの自転車が盗まれた事件である。ご飯を作りながらある程度報告し、神森さんに朝ごはんという名の夕食を食べさせ、いつものように『こいびと』との時間を過ごしている。食後のまったりタイムというやつだ。
床に正座する僕の太ももに神森さんの頭が乗っかっている。
ちなみに今日の神森さんの格好は僕らが出会った夏休みと同じ、白のワイシャツにデニムのホットパンツというなんともいやらしい恰好である。相変わらず色気は皆無である。胸もない。
「ねえねえ、なんでしんどろんは自転車なんかぬすんだんだろ」
「嫉妬ですよ」
「しっとかー。じぇらしーだねー」
「そうです。そのじぇらしー故にしんどろんは、しんじろうの自転車を盗んだというわけです。女の人のじぇらしーほど怖いものはないということですね」
「ワシにはわからんちー。ぷるるるるるる」
ぷるるる。と唇を震わせる神森さん。決して声に出してぷるるるる言っているわけではない。神森さんはこういう嫉妬だとか愛だとかそういった話題になるとこうして唇を震わせる。
僕も神森さんもわからない。頭ではわかっていても嫉妬という感情を経験したことがない。こういうときはなんだか心がもやもやするのである。初めて僕と神森さんが出会った夏の日、悲しむお婆さんとゆずかちゃんの気持ちがわからなかったときと同じだ。
こういうときはいちゃいちゃするのに限る。あの日僕が神森さんを抱きしめ返した様に。
「よしよし」
神森さんの頭を撫でる。
「うへへへ。 きもちい」
神森さんの蜂蜜色の髪はさらさらで、触っているこちらも気持ちが良い。
「あるじろ、だいすき」
「僕も大好きですよ」
傍から見れば、愛を確認し合う『こいびと』同士。だけど、二人ともその本当の意味をわかってはいない。僕は分らず屋で、僕と神森さんは似たもの同士。頭で理解していても、本当の意味ではわかっていない。
姉がいなくなって何か月も経つけれど、『こいびと』同士になってから何か月もたったけれど、未だに僕らはわかっていない。恋がどういう感情なのか。
「あるあるじろーとみもたろー」
急に歌いだす神森さん。いつも通り唐突である。
神森さんの適当な歌を聴いていると、僕のケータイがポケットの中で震えた。
メッセージの差出人は綿抜草馬。タイトルは『元気か?』
本文には『明日からの新学期に向けて、読んでおくように』とだけ書かれており、『春休みのまとめ』というタイトルのテキストデータが添付されている。
ふむ、春休み最終日ということは明日から学校ということだ。つまり、毎日せっせと学校に通い、帰りに神森さん家に寄るという日常が帰ってくるわけである。神森さんの昼夜逆転生活を一緒に楽しむのも今日が最後であった。明日はちゃんと起きることができるであろうか。なんとも不安だ。新学期早々遅刻というのは普通の高校生である僕にはあってはならないこと、死活問題である。
「ふたりはーふんふんふんー」
「神森さん。僕は明日から学校なので、今日はこの辺で帰りますね」
「ふふふーん……ん? りょぷかいでーす。ねえ、あるじろ」
「何ですか?」
「だいしゅき」
「僕も、大好きですよ」
僕と神森さんは『こいびと』同士で似たもの同士。
今日も僕らは、恋も愛も感情も、わからない。
第一章、完。ある君とみもちゃんの出会いのお話、回想メインの回でした。次から事件に巻き込まれていくことになります。