家出事件 05 九月二十八日 日曜日
「だから、犯人だよ!」
「冤罪かもしれないって言ってるじゃないですか!」
「間違いないもん! だから捕まったんだよ!」
「それを調べ直してほしいんです!」
アオヰコーポ二〇三号室のリビング、いや、黒の探偵事務所では朝から口論が繰り広げられていた。今日は数日前に電話をくれた依頼人がやってくることになっていたので、昨日は未守さんに早めに寝てもらい、僕は朝から駅に依頼人の塩尻さんを迎えに行った。そして、無事に事務所にお連れしたのが十数分前。さっそく依頼内容を口にした彼は、なぜかいきなり未守さんに拒否され、口論になった、というわけである。
塩尻要さん。三十五歳の男性で、ここから電車で三十分ほど行ったところにある根崎という繁華街に住んでいる。お勤め先もその辺り。清潔感のあるサラリーマンといった感じの雰囲気の人で、今日も休日にもかかわらずスーツ姿。初対面の女子大生といきなり口論するタイプには見えないのだけれど、実際今、僕の目の前で口論をしている。というか、これは明らかに未守さんが原因だ。
塩尻さんの依頼はこうだ。
二十二年前の四月二十日、佐備市で殺人事件があった。殺されたのは小さな町工場の社長。後頭部を殴られ、即死だった。指紋などの証拠はなく、怨恨の線から容疑者として浮かび上がったのが、取引先の営業担当の男、塩尻浩二、当時三十二歳。塩尻さんのお父さんだ。浩二さんは無罪を主張。犯行時刻にアリバイがあったというのだ。浩二さんの話によると、犯行時刻の一時間前から約二時間、根崎で家出してきた女の子と共に食事をしていたそうだ。根崎は佐備市からでも電車で三十分はかかるので、それが本当なら犯行は不可能。しかし、その家出少女の本名も住所も連絡先もわからず、二人を見たという人もおらず、アリバイとして成立しなかった。浩二さんは裁判の結果、懲役刑になり、獄中で病死したそううだ。
息子の要さんは父の言葉を信じ、ずっとその家出少女を探しているのだとか。数々の興信所や探偵事務所に依頼するも、断られたり、見つからなかったり、成果はまだ何も出ていない。そこで、何でもわかってしまう黒の探偵に白羽の矢が立った。しかし、
「ワシは知ってるもん!」
「だから何をですか」
「お父さんが殺したんだよ」
「それを調べ直して欲しいんです。女の子が見つかったら冤罪を証明できる!」
二人の会話は平行線。これでは依頼が成立しない。
「未守さん、その家出少女が今どこにいるかわかりますか?」
「教えない」
「え?」
「教えても同じだよ。はい、帰ってー」
こうして、二十二年前の家出少女を探すサラリーマン、塩尻要さんは黒の探偵に依頼できないまま、肩を落として帰っていった。わざわざ来てもらったのに申し訳ない。他の探偵事務所を探すと言っていたので、彼はこれからも家出少女を探すのだろう。
「すみません、依頼内容を電話である程度聞いて、未守さんに確認を取ってから来てもらうべきでした」
塩尻さんを玄関で見送った後、僕は未守さんにも謝った。
「ういー。別にいいでござるよー」
未守さんはクマ達と転がりながら、気だるげにそう言ってくれた。朝から言い合いになったので疲れたのだろう。
「あ、オレンジおかわり」
「持ってきますね」
未守さんのグラスを持って台所へ向かう。
二十二年前の殺人事件、その容疑者、成立しなかったアリバイ、鍵を握る家出少女。未守さんは冤罪ではないと言い切った。間違いない、と。ならばそうなのだろう。塩尻さんのお父さんは本当に人を殺したのだ。家出少女については謎が残るものの、事件が覆ることはない。お父さんを信じる塩尻さんには申し訳ないが、いくら少女を探しても無駄ということだ。