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家出事件 02

 未守さんが中学卒業まで暮らした施設、あおい園は河部市の南方、佐備市との境目にある、小さな施設だ。主に身寄りのない子供たちがここで一緒に暮らしている。外から見た感じは敷地内に二階建ての建物と小さな運動場があり、保育園や幼稚園のような雰囲気の所だった。ここには現在、幼稚園に通うくらいから高校生までの子供たちが二十名ほど、一緒に生活しているらしい。


 僕は今、園長先生である葵ヒサさんの部屋にいる。窓から運動場が見える場所に位置するこの部屋はコンクリートでできた建物の外観に反して和室だった。ここで葵先生は生活しているらしい。


 その部屋の隅に置いてある仏壇に向かって、僕は手を合わせている。


 作間さくま咲子さきここと、あおい園のさっちゃん。七年前に河部ハーメルンという事件に巻き込まれ、死んでしまった彼女。正確に言うならば僕が殺してしまった女の子だ。そんな彼女に対して、手を合わせた。これが、僕と未守さんがあおい園に来た理由の一つである。


 仏壇にはいくつかの写真が飾ってある。この施設にいたことのある人で、亡くなった人たちの写真だ。その真ん中にさっちゃんの写真があった。クマのぬいぐるみを抱えて微笑むショートヘアの女の子。確か、一緒に監禁されていた時、お気に入りのぬいぐるみが家にあって、そのぬいぐるみに早く会いたいと言っていた。それがこの写真に写っているクマなのだろう。


 ちなみに、未守さんはここにはいない。未守さんは外の運動場で子供たちと遊んでいる。さっきから楽しそうな声がここまで聞こえてきている。なので、この部屋にいるのは葵先生と僕だけだ。


「助手さん、お茶を入れたから、こっちで話しましょう」


 振り返ると、葵先生がちゃぶ台にお茶が入った湯呑を置いてくれたところだった。葵先生はそのまま僕の向かい側に腰を下ろす。


 未守さんの情報によると葵先生は六十代前半。未守さんがあおい園に来た時からずっと園長先生で、みんなのお母さんらしい。白髪混じりのショートカットに穏やかな表情、お母さんというよりは、おばあちゃんな気もするけれど。


「わざわざ、ありがとうね。咲子ちゃんも喜んでいると思うわ」


「そうだといいんですけど」


「ケーキも、ありがとうね。子供たちはみんな好きだからきっと喜ぶわ。助手さんは咲子ちゃんのお友達だったの?」


「いえ、僕は河部ハーメルンでさっちゃんと一緒に監禁されていました。さっちゃんとはそこで仲良くなったんです」


「あら……そう。あなたも被害者だったのね」


「事件の後遺症で記憶をなくしていたので、さっちゃんのことも忘れていたんですが、この前記憶が戻って、さっちゃんのことも思い出したんです。それで来させてもらいました。彼女には監禁中、たくさんお世話になったので。それと、葵先生に婚約のご報告を」


「婚約? 未守ちゃんと? あら、それはおめでたいわね」


「ありがとうございます。何の因果か、あの事件の被害者と解決した人間が、今は一緒に生活しています」


「それは運命って言うのよ。でもちょっと待って、あなた助手をしているって言っていたけど、まだお若いよね? うちの上の子たちと変わらないくらいに見えるのだけれど」


「はい、高校生です。未守さんとは同じ部屋に住んでいて、助手はバイトって感じです。卒業したら籍を入れることになっています」


「それはまた、未守ちゃんも思い切ったわね」


「きっと僕が高校生でなければすぐに結婚していたと思います。未守さんはいつも大胆ですから」


「確かに。あの子は昔から思い切りのいい子だったわ。……でも、あの未守ちゃんが婚約ねえ。長生きはするものね」


 そう言ってお茶をすする葵先生。湯呑をちゃぶ台に戻すと、窓の外を見てまた口を開く。


「未守ちゃんがここに来たのはね、あの子が七歳の時よ。とても晴れた夏の日だった。町の職員さんに連れられて、あの子はここにやってきた。長い黒髪と黒い瞳が印象的だった。うちは毎年花壇に向日葵を植えているのだけれど、それをじっと見つめていたの。無表情でね。私はそんなあの子に言ったの。『綺麗でしょ』って。そしたらあの子はこう言ったの。『こんな風になりたい』って。それが未守ちゃんと初めて交わした言葉だった。そして私はこう言ったのよ、『それなら笑ってなくちゃね』って。……ふふ、まるで昨日の事のように思えるわ」


 以前、ワタさんに黒の探偵について調べてもらったことがある。その情報をまとめた文章は、未守さんがあおい園にやってきた、七歳の頃から始まっていた。それ以前は不明である。どうして施設にやってきたかまではわからない。僕は未守さんが施設の出身だと知ってすぐに天涯孤独という言葉が頭に浮かんだが、両親の死だけでなく、虐待などの事情で施設に入る子も少なくない。もしかすると、未守さんのご両親も案外健在なのかもしれない。ただ、未守さんが『いない』と言っている以上、いないのだろう。それに未守さんは孤独などではない。ここにいる葵先生や職員の皆さん、そして一緒に暮らした子供たち、今も施設にいる子供たち、それらが彼女の家族である。


「それから、あの子はよく笑うようになったわ。心から笑っているようではなかったけれど。作り笑いっていうのかしら。それでもここでは笑う子は少ないから、向日葵みたいだった。でも、大変だったのよ。あの子は昔から空気が読めない子でね。周りの事なんてお構いなしだし、それでいてやることは大胆で、ほんと、苦労させられたわ。だから、他の子とちょっと違うのは最初からそうだったし、おかしなことを言うのも日常茶飯事だった」


 そこまで言い終わると葵先生は僕をじっと見つめる。


「でも、おかしなことを言うようになったのよ」


「それはここに来た頃からだったんですよね?」


「ええ、そうなのだけれど、ここへ来て三年くらい経った頃だったかしら。それまではただのおかしなことを言っていただけだったのが、おかしなことでも本当のことを言うようになった。教えてもいないことや、見ていないことをなんでも言い当ててしまうようになったの」


「なんでもわかってしまう力、ってやつですね」


「私も初めは信じてなかったのよ。言い方というか、表現が曖昧だったりするし。でも、新しい子がここに来た時にね、『君のとこはお母さんがおこぷんだったんだね、さっちゃんと同じだ』って言ったのよ。その子は母親から虐待を受けていた子で、咲子ちゃんも、母親の虐待が原因でここに来たんだけれど、そんなこと未守ちゃんが知るはずないのよ。そんなことが頻繁にあってね、それはすぐに噂になった。学校でも友達がなくした物の場所を言い当てて犯人と間違われたりしていたみたい。うちの子たちはただでさえ、同級生やその親御さんに注目されがちでしょ、それが噂に拍車をかけて、変な尾ひれはひれまでついちゃって、未守ちゃんだけじゃなく、他の子にまで影響が出てしまった。だから私はあの子に、わかってもそれは口に出さない様に、言わないように、そんな力を使わないように言ったのよ」


「それは仕方ないですね。じゃあ、あの事件までは未守さんは力を使ってなかったんですね」


「ええ。でも、未守ちゃんが来て六年、あの子が中学生になった頃、あの事件が起きた。咲子ちゃんは遠足に行っていたのだけれど、初めはね、家出かなにかだと思ったのよ、うちではよくあることなの。元の家に帰りたい子や、嫌なことがあった子が家出することはね。それに咲子ちゃんは遠足が終わったらお父さんと暮らすことになっていた。だから、家出だと思ったのよ。でも、いくら探しても咲子ちゃんは見つからなくて、警察の方に言われたの、他の子供たちもいなくなっているから、おそらくそれに巻き込まれたのだろうって。それから一か月、警察の人も、私達も必死になって探した。未守ちゃんは、ずっと遠足から咲子ちゃんが帰ってくるのを待っていたみたいだった。そして、三偶寺さんがうちにやってきた」


 三偶寺さんぐうじ参次郎さんじろう。河部署の刑事で、未守さんの力に探偵としての活用法を見出し、独り立ちできるまで支えた人だ。葵先生が未守さんの育ての母だとしたら、彼は育ての父と言えるだろう。三偶寺さんは二年ほど前に定年退職し、その後の消息は不明。三偶寺さんに代わり、未守さんの担当になったのがあの、クマ刑事だ。


「三偶寺さんは未守ちゃんの噂をどこからか聞いてきたみたいでね。未守ちゃんの力なら事件を解決できるかもしれない、一度会わせてほしいって。まさかあの子の力で咲子ちゃんたちを探すなんて考えてもみなかったし、もしそれができるのなら、一刻も早くそうしてほしいと思ったわ。それで、その時にテストをしたの。テストといっても大掛かりなかくれんぼみたいな感じかしら。事前に三偶寺さんの部下を遠くに行かせ、未守ちゃんにその部下の顔写真を見せて居場所を当てさせる、ってやつね。それが二日続いて、三日目、三偶寺さんはついに咲子ちゃんの写真を未守ちゃんに見せた」


「そして、事件は一瞬で解決したわけですね」


「ええ、あなたも含め、たくさんの子供の命があの子によって救われた。ただ、もう少し早ければ亡くなった子たちも生きたまま助けられたかもしれない。未守ちゃんならすぐに見つけることができるってことを、私がもっと早くに気付いていれば……」


 白の狂犬、瓜丘さんも言っていた。もう少し早く未守さんが動いていれば、さっちゃんは助かっていた、と。そして、瓜丘さんは感情がわからないゆえに、自らさっちゃんを探さなかった未守さんを恨んだ。というか、感情がわからない状態そのものを恨んだ。結果、未守さんに感情を芽生えさせようと必死になった。けれど――


「葵先生のせいではありませんよ」


 さっちゃんが死んだのは、葵先生でもなければ、未守さんのせいでもない。さっちゃんを殺したのは僕だ。あのとき、僕が自ら死んでいれば、さっちゃんは僕の代わりに助かっただろう。


「……そうね、ありがとう」


「さっちゃんは、いつも笑顔でみんなを励ましていました。あの倉庫で、誰よりも優しい女の子でした」


「……そう。咲子ちゃんはここでもいつも笑顔だったのよ。自分だってつらいのに、一人で泣いてる子を慰めてあげたり、家に帰りたがってる子の話を聞いてあげたり。あるとき訊いたのよ、『どうしてそんなに笑うの?』って。そしたら、あの子はこう言ったのよ、『未守ちゃんの真似だよ』って。それが咲子ちゃんっていう子なの。未守ちゃんからもらったクマのぬいぐるみをすごく大切にしていたし、未守ちゃんのことがすごく好きだったのね。未守ちゃんが大好きで、みんなのことも大好きで……。監禁されてても、咲子ちゃんは咲子ちゃんだったのね」


「さっちゃんのおかげで今、僕は生きています」


「そう言ってくれると、あの子もきっと喜ぶわ」


「さっちゃんは未守さんだけでなく、瓜丘さんとも仲が良かったんですよね?」


「ええ、人懐っこい子でね、年下の子にとっては良いお姉さん、年上の子にとっては良い妹って感じだったわ。だから、事件が起きたときはみんな悲しんだし、来夢ちゃんは特に悔しがっていたわ。その後、来夢ちゃんは未守ちゃんに対して当たりが強くなってしまってね。三偶寺さんのおかげで未守ちゃんが探偵になったのを機に、ここを出てあんなことに……」


 あんなこと、というのは裏社会に身を置き、数々の犯罪に手を染め、未守さんをしつこく狙っていたことだろう。


 葵先生はちゃぶ台の前から体を横にずらし、僕に頭を下げた。


「七月の件は聞いています。ご迷惑をおかけしました」


「いえ、葵先生が謝ることではないですよ」


「来夢ちゃんも、うちの子ですから」


「大変な思いはしましたけど、おかげで未守さんと婚約することができましたし、瓜丘さんも今頃、罪を償っていますから」


 僕がそう言うと葵先生は頭を上げ、口元に手を当てる。


「ふふ、アパートを買い取ってもらって以来、連絡一つよこさないと思ったら、突然あなたを連れて婚約ですもんね。ほんと、未守ちゃんらしい」


「ほんと、向日葵みたいな人です」


 再び、頭を下げる葵先生。


「あの子をよろしくお願いします」

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