炎上事件 13 九月十三日 土曜日
そして、僕が通う高校、文月高校の文化祭、文月祭が始まった。九月なのに文月祭というのは違和感があるけれど、高校の名前なので仕方がない。
一日目の今日は一般非公開で、文月高校の生徒のみが楽しむ日だ。明日の一般公開の前の予行練習みたいなものと捉える生徒もいれば、明日楽しめない分、今日を楽しもうと考える生徒もいるだろう。僕は午後に桜さんと一緒にまわる約束をしているので後者の部類に入るのかもしれない。
クラスの店番は一人二時間、僕は朝の九時から十一時の担当で、今日も明日も同じ時間にしてもらった。理由は簡単である、クラスの当番を忘れるなんてことがあってはいけないからだ。もちろん、一人で店番をするわけではない。教室は五人態勢で縁日のスタッフをやる。マリーさんは実行委員なので他の仕事もあるはずなのだけれど、ほとんど店にいるつもりらしく、正確には六人態勢だ。あと、宣伝で校内を歩き回る係が三人、これは一時間制で、僕は両日ともその役は断った。
午前中、二年三組のミニ縁日はがらんとしていた。それもそのはず、今日は生徒しかいない、そもそも全体的にお客さんが少ない。それと、朝一番で縁日に来ようと考える人間は少なく、僕が店番をしている間、客足はまばらであった。
当番を終え、自由時間を得た僕は少し校内を見て回ることにした。桜さんとの約束は午後一時、それまであと二時間あるし、お昼ご飯をどこかで調達しなければならないからだ。ちなみに、僕の恰好は店番をしていた時と同じく、制服のズボンに制服のシャツ、その上に衣装係オリジナルの桃色の法被というお祭り仕様である。背中には『二年三組 縁日やってます』と書かれている。完全に衣装係、花桃さんの趣味丸出しのカラーリングだ。本当は着替えたかったのだけれど、マリーさんに校内を歩くならそのままでいろ、と言われたのでそのままである。宣伝効果を狙っての事だろう。
そんなマリーさんは制服のスカートに文化祭実行委員の赤Tシャツ、その上に法被を着ていた。実行委員が着るTシャツというのは、赤に白字で文月際のロゴが描かれたもので、実行委員は全員、これを着ている。
外の模擬店が連なる一角を目指しながら張り紙だらけの廊下を歩いていると、いろいろなTシャツやポロシャツ姿の生徒、普通に制服姿の生徒、それに混じって実行委員の赤Tシャツ姿の人もいる。すると、赤Tシャツの生徒に声をかけられた。
「先輩! 頑張ってやがりますか?」
「獅子戸君、敬語の使い方がおかしいです」
「そんなことより、クラスの方は良いんですか?」
「もう今日の当番は終わりましたよ。というか獅子戸君、実行委員だったんですか?」
「先輩、よく見てください」
獅子戸君のTシャツをよく見ると、赤は赤でも、胸元にプリントされているのは文月祭のロゴマークではなかった。白字で『USA』とプリントされている。
「アメリカ……」
「そう、これがアメリカのイヌの衣装です」
「適当すぎませんか?」
「本番はイヌの耳をつけるんで大丈夫です」
「何が大丈夫かはわかりませんが、どうして今その恰好をしているんですか? 獅子戸君のクラスの劇は午後からですよね?」
「宣伝のためらしいです」
「それじゃ何の宣伝かわからないですよ。宣伝とはこういうのを言うんです」
そう言って僕は獅子戸君に背中を向けて、法被の後ろに書かれた文字を見せる。
「さすがマリーちゃんのクラスですね、本気じゃないですか」
「本気です」
「じゃあ、ボクも後で縁日しに行きますよ。明日はステージに出るから、今日行っておかないと、マリーちゃんに怒られる気がするんで」
「そうですか。劇とステージ、頑張ってくださいね」
「先輩は両方見てくれますよね?」
「気が向いたら行きますよ」
「わかりましたです! じゃあボクは行くところがあるんで」
そう言って獅子戸君はどこかへ行ってしまった。
獅子戸君と別れ、廊下を進み、下駄箱の辺りまで来たところで僕は再び呼び止められた。
「よう、クレープ買わないか?」
僕の目の前に現れたのは長身で短髪、爽やかな顔つきをした男子生徒。黒のポロシャツを着ていて、首から段ボールで作った箱を下げており、その箱にはクレープらしきものがいくつか入っている。出張販売、売り子というやつだ。僕はこの人を知っている。話したのはもう何カ月も前の四月のことだ。
「園田先輩、お久しぶりです」
園田拓哉。バスケットボール部に所属する先輩だ。僕が彼とかかわったのは四月、桜さんの事件の時である。園田先輩は桜さんのかつての親友、柏木先輩の恋人だった人だ。
「久しぶり。あのときは世話になったな。ってことでひとつどう?」
「これからお昼なので、さすがにクレープというわけにはいきません。また午後に買いに行きますよ。バスケットボール部はクレープを出しているんですね」
「あ、違うよ、これはクラスの店で、バスケ部は毎年オムそば。俺は三年だから、夏に引退したよ」
「もう秋ですもんね」
「ああ、引退試合は勝てたから良かったよ」
「ところで、その後、柏木先輩とはどうなったんですか?」
「友達に戻ったよ。で、それからしばらくして、俺はもう一度やり直そうって言ったんだ。けど、相当責任を感じてるみたいで、断られた。俺のことはまだ好きらしいんだけど」
「園田先輩がやり直す気があって、柏木先輩もその気があるようなら、もう一度押してみては?」
「それがな、そういうわけにもいかないんだよ」
「責任を感じすぎて学校に来ていないとかですか?」
「いや、学校には来てるよ。今日もクレープ焼いてる。そうじゃなくて、あいつの家、大きかっただろ?」
「はい、碌々台でしたもんね」
「つまり、お嬢様なんだ。家のしきたりで卒業したらお見合いすることになってるらしくて」
「可能性がないわけじゃないですよ」
「そんな簡単に言うなよ」
僕は知っている。貧しい家に生まれたのに、努力して名家の小鳥遊家の婿にふさわしい人間になった今日介さんを。使用人という立場ながら、愛を貫き、駆け落ちした小山田さんを、知っている。久美島で知った。だから、園田先輩も可能性がないわけじゃない。
「柏木先輩の家にふさわしい人間になるか、駆け落ちすればいいんですよ」
僕がそう言うと、園田先輩は「ははは」と笑った。
「その前に、本人をなんとかしなきゃな。学校には来てるけど、俺のことも桜のことも避けてるんだ」
「やっぱり桜さんと柏木先輩はもう友達じゃないんですね」
「桜はもう許してるし、本当は二人ともまた仲良くしたいんだと思うんだけどな。きっかけがないみたいだ」
「それなら、僕が協力しますよ」
その後、園田先輩と軽く打ち合わせをした僕は、一人で模擬店のテントが並ぶ一角へ行き、バスケ部のオムそばを食べた。