炎上事件 07 九月十日 水曜日
『今日の放課後、一緒に悩んでください』
そんなメッセージが僕のケータイに届いたのは昼休みだった。いつものように食堂でワタさんとマリーさんと三人でご飯を食べていた僕は、手短に『了解です』とだけ返した。そして放課後、メッセージの送り主は教室まで僕を迎えに来てくれた。
「先輩! 悩みましょう!」
教室の前方のドアで叫ぶ獅子戸君。僕は足早に彼のもとへ。
「獅子戸君、元気がいいのは良いことですけど、君に残念なお知らせがあります」
「なんですか?」
「すっかり忘れていたんだけれど、僕は放課後、クラスの出し物の準備をすることになっていたんだ。だから、君と一緒に悩めない。心苦しいけど仕方ないことなんだ」
「ああ、それならマリーちゃんに許可もらってますよ。今日は休んでいいって」
「え?」
「たまにはそのバカと遊んでやって。ウチのクラス結構余裕あるからねー」
背後でマリーさんの声がする。なんてことだ。準備を理由にうやむやにしようと思っていたのに。そんなことを言われたら僕は獅子戸君と一緒に悩む以外選択肢がないじゃないか。
「先輩、行きましょう!」
獅子戸君はそう言って歩き出す。
「どこへ行くんですか?」
「部室です。あそこなら悩めます!」
悩むと言っておきながら、かなり元気そうな獅子戸君の後に続き、探偵同好会の部室を目指して歩く。
「獅子戸君、クラスの方は大丈夫なんですか?」
「ボクは急遽ステージの方に出ることになったんで、ちょい役に変えてもらったんですよ」
獅子戸君たち一年生の出し物は体育館で劇と決まっている。きっと獅子戸君のことだから初めは主役級の役だったのだろう。
「獅子戸君のクラスは何をするんですか? 何の劇でどんな役だったんですか?」
「演目は桃太郎で、役はサルです」
「それで何に変えてもらったんですか?」
「イヌです」
「え? ちょい役でもないじゃないですか。変えてもらう意味あったんですか?」
「違うんですよ、ボクのクラスには天才脚本家がいるんです。その子が今回書いたのは二人の桃太郎の話なんですよ」
「二人ですか?」
「そう、二人なんです。一人は日本の桃太郎で、もう一人はアメリカの桃太郎なんです。ボクは最初、日本のサルだったんで結構出番があったんですけど、アメリカのイヌに変えてもらったんで出番は一瞬です。どうしてだと思います?」
「アメリカの桃太郎はイヌを仲間にしないとか?」
「さすが先輩! そうなんです、アメリカの桃太郎はコンドルとガンマンとバッファローを仲間にするんですよ」
動物に混じってさらっと人間がいる気がするけれど、そこはオリジナリティ溢れる脚本だからこそ、なのだろう。きっと動物かどうかでなく、アメリカっぽいかどうかが大事なのだ。
「じゃあアメリカのイヌはどうなるんですか?」
「ゴミを漁るだけです」
「それは一瞬ですね」
「でしょ」
「それで、どうして獅子戸君はステージに出ることになったんですか?」
「それはボクがただの高校生じゃないからです」
「そうですか。さすがですね」
なんだか面倒な感じがしたので、深くは訊かないことにした。僕は自分が普通の高校生であることを自負しているけれど、普通の高校生であり続けるために一生懸命だけれど、獅子戸君は逆らしい。
そんな感じで話していると、僕らは北校舎の奥にある部室棟の三階の一番突き当りの部屋、探偵同好会の部室にたどり着く。
中に入ると、ゲーム部の時から何も変わっていない奥の特等席でワタさんがカタカタとパソコンを操作している。それ以外は始業式の後で僕らが探偵同好会仕様に模様替えしたので少し変わっている。ゲームの機械類は一切なくなり、机とパソコンも二セットだけである。そして部屋の手前に来客用として机一つと向かい合う椅子が二脚。僕と獅子戸君はそこに向かい合って座る。
すると、僕らの気配に気づいたワタさんが手を止め、気だるげにこちらを見つめてくる。
「……何をしに来た?」
「獅子戸君と一緒に悩みに来ました」
「です!」
元気がいい獅子戸君。けれど、僕の言葉に乗っかっているだけなので、楽をしているとも言える。先輩を使って楽をする後輩、それが獅子戸君である。
「……暇なんだな」
「こう見えて暇ではありません」
「です!」
答える僕らを見て、ワタさんはため息をつき、パソコンに向き直る。
「最後の授業あたりから姿を見ないと思ったら、ここにいたんですね」
「……俺は、久々の一人を……楽しんでいるんだ。……マリーは、文化祭で……手一杯だからな」
「じゃあ、なるべく静かにしていますね」
「です!」
まるで獅子戸君は『です』しか言わない人形みたいだ。壊れたロボットかもしれない。そんな獅子戸君は僕の目の前で顎に手を当て、目を閉じ、考え事を始める。僕は彼と一緒に悩むためにここに来たので同じポーズをする。
僕らはしばらくそのまま黙っていた。部室にはカタカタという音だけが響く。
「……で、獅子戸君、僕は何を悩めばいいんですか?」
「ボクはボクで、とあることについて悩んでいるんで、先輩は先輩で何か悩むことを見つけて悩んでください」
え? 一緒に悩むって、そういうことだったの? 僕はてっきり獅子戸君が悩んでいる案件を聞き、それについて一緒に悩むものだと思っていた。どうやら、僕は僕で悩まないといけないらしい。ということで僕は連続放火事件について考えることにした。
毎週水曜日と日曜日に放たれる火、点在する現場、焼け焦げた跡、一件目では死傷者が出ているけれど、二件目以降はすぐに消されている、この前の日曜日で六件目、今まで水曜日と日曜日に犯行があったので、次に放火があるとすれば、今日の夜。そして、犯人は『家に帰れなくなった人』 なぜ放火なのか、なぜ水曜日と日曜日なのか、犯人は誰なのか。……わからない。
僕は昨日撮影した現場の写真を見ようと思い、ケータイを取り出す。すると、マリーさんからメッセージが届いていた。
『AMOへ。どうせ部室にいるんでしょ? いるなら、ダーリンに後で教室に顔出すよう言っといてー』
AMO? なんだろう。三文字なのでイニシャルはではない。でもこれは明らかに僕に充てて書かれた文章だ。
「ワタさん、マリーさんが教室に顔を出すように言ってますよ」
「……わかった」
「あの、最初に『AMOへ』って書いてあるんですけど、何ですか?」
僕の問いに、ワタさんは手を止め、こちらを向いて口を開く。
「或江マジ女たらし、でAMOだな。頭文字だ、マリーはなぜか最近お前のことをそう呼んでいる」
AMOで或江マジ女たらし。そういえば、マリーさんとワタさん、そして桜さんに、花桃さんの件を伝えた際、マリーさんはやたらと僕のことを天然女たらしだと言っていた。なぜそんな風に言われなければならないのか、僕はよくわからないのだけれど、マリーさんの中ではすっかり定着しているらしい。
「頭文字ですか……。あ」
「どうかしたのか」
頭文字。そうか、そういう考え方もできる。立て続けに放火があるのは何かのメッセージを伝えるためなのかもしれない。
僕は机の中からメモ用紙とボールペンを取り出し、放火があった現場の地名を一件目から順番にローマ字で書いていく。
大木、間口丘、榎本、本場町、湖崎、碌々台。
OMEMKR。
ローマ字読みでは言葉にならない。英単語という可能性もなし。
並び替えか、と思った時、僕の目はその並んだ地名から一つの文章を見つける。
そして、それに続く文字はたった一つ。その文字から始まる地名もこの河部市には一つしかない。そして、今日は水曜日。つまり、次の犯行は今夜だ。
「今日はもう帰ります」
僕が立ち上がり、部室から出ようとすると、獅子戸君も立ち上がる。
「送りますよ。先輩、荷物教室でしょ?」
「ありがとうございます」
部室を出て、足早に教室へ戻る。獅子戸君は少し小走になりながら、僕についてきている。
「先輩は悩み事、解決したみたいですね」
「おかげさまで。獅子戸君は何か答えが見つかりましたか?」
「やっぱり攻めるしかないと思うんですよ。せっかくチャンスがボクにもやってきたんで、ここは一気にいこうかと」
「そうですか、あまり無茶はしないでくださいね」
「任せてください!」
二年三組の教室に着くと、ちょうど前のドアからギターを背負った夕波さんが出てきた。
「あ、獅子戸」
「夕波先輩、どーもです」
「明日、昨日と同じ場所だから」
「わかりましたです! 今から自主練ですか?」
獅子戸君の言葉に頷く夕波さん。
「後で行っていいですか?」
獅子戸君の言葉に「どっちでも」と返して夕波さんはどこかへ行ってしまった。
会話の内容から考えると、どうやら獅子戸君は夕波さんと親しい間柄になったらしい。数日前にわざとらしい花桃さんのおかげで初めて接点を持ったばかりとは思えない。そう言う僕もまだ獅子戸君と知り合って数週間なので、きっと獅子戸君は人と仲良くなるのが得意なのだろう。
「じゃあ、獅子戸君、僕は帰ります」
「お疲れ様です。また一緒に悩んでくださいね」