炎上事件 04
放課後 僕は桜さんと一緒に会瀬川沿いの道を歩いていた。僕は自転車通学なので、自転車を押しながら、二人で並んで歩く形だ。
僕のクラスは授業時間を割いたかいがあって今日はそれほど人出はいらないようだったので、帰らせてもらうことにした。僕には未守さんの世話がある。
桜さんのクラスも、今日は準備がないらしく、一緒に帰ることになったのだ。ちなみに、我らが探偵同好会は文化祭で何もしない。できたばかりの同好会が展示やイベントなどできるはずもなく、今年はそれぞれのクラスの出し物に集中することになっている。
「或江君のクラスも順調みたいですね」
「はい、マリーさんが全力で指揮しているので」
「水を得た魚ですね」
「まさにその通りです」
僕が同意すると、桜さんは「ふふふ」と微笑む。桜さんは出会った時から変わらない、制服に黒の中折れ帽の探偵スタイル。時折、風に揺れる長い黒髪からはほんのり甘い香りがする。被り物は校則違反だと思っていたけれど、桜さんは毎日この格好で学校に来ているので、僕が通う高校の校則はかなりゆるいのだろう。マリーさんや獅子戸君の茶髪や花桃さんの桃色スタイルが許されているのも頷ける。
「そういえば、桜さんのクラスは何をやるんですか?」
「一部の女子が浴衣を着たいって言いだして、それに男子が乗っかって、一度は耳かき専門店やマッサージ店なんて意見も出たんですが、最終的に和装喫茶、ということになりました」
「店員さんが浴衣姿の喫茶店ですか」
「あ、いえ。浴衣を着たいっていう意見から和装喫茶になっただけで、実際は自分たちで衣装を作ることになりました」
「作るんですか? 大変そうですね」
「なぜか私のクラス、被服部の子が多いんですよ。それで和装メイドにするんだって張り切っちゃって」
「それって、えんじ色の着物に白いエプロンだったりします?」
「え? どうしてわかったんですか?」
「先月、本物を見る機会がありまして」
「それって久美島の時ですか?」
「はい。あそこにいたメイドさんはみなさん和装メイドでした」
黒の探偵の助手として久美島に行ったことは、探偵同好会のメンバーは全員知っている。もちろん、事件があったこと、その事件には裏の真相があったことなどは話していない。あれは墓場まで持っていかなければならないお話だ。
「実物を見たことがあるのなら、お聞きしたいことがあるんですけど、いいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「私……似合うと思います? その、和装メイド……」
恥ずかしそうにこちらをうかがう桜さんをじっくり見る。そして、頭の中で先月見たメイドさんの恰好を思い浮かべる。……あの格好に中折れ帽は合わない。さすがに桜さんも当日は被らないだろう。そういえば一緒に行った七夕祭りでの浴衣姿は良く似合っていた。あのときは帽を被らず髪を一つに結んでいたはずだ。
「似合うと思いますよ」
「本当ですか? 良かったです」
嬉しそうに微笑む桜さん。どことなく歩く姿が弾んで見える。
「久美島といえば……花桃さん、あれから何か進展ありましたか?」
花桃さんと久美島で再会し、後に幼馴染みだと判明したことは、獅子戸くん以外の同好会メンバーに話した。直接関係ないとはいえ、同じが学校に転入してきたし、何より白の狂犬との闘いで一緒に闘った仲間なので、話してもいいだろうと判断したからだ。結局、獅子戸君もワタさんから情報を買ったみたいなので、同好会メンバーは全員知っていることになる。
花桃結花について、ワタさんに調べてもらったけれど、過去の情報は何一つわからなかった。占い師として北海道で活動し始めて以降の情報しか出てこなかった。しかし、これは花桃結花という人間についての話である。
僕の家の隣に住んでいた、あーちゃんについては、わかったことがある。ワタさんの情報によると、あーちゃん――本名、天宮雨美は、僕と一緒に河部ハーメルンに巻き込まれた後、すぐに隣街の佐備市に引っ越している。
心神喪失状態だった彼女は佐備市の病院で治療を受け回復したが、事件の三年後、両親が交通事故で死亡。あーちゃんはその後、両親を追う形で自殺した。
つまり、あーちゃんはもうこの世にいないのである。
花桃さんが僕の幼馴染みのあーちゃんである確固たる証拠はない。花桃さん自身が僕をあっくんと呼ぶことと、僕の姉がそう呼ぶのは一人しかいないと言っていたこと、その二つの事実が彼女は僕の幼馴染みのあーちゃんであると結論付けているだけだ。
普通に考えれば花桃さんは別人で、あーちゃんのふりをしているだけだと思うだろう。しかし、僕は久美島での事件の真相を知っている。死んだと見せかけて別人として生きている人を知っている。
なので、可能性がないわけではないのである。今と昔で名前が違うという時点である程度、想定してたことなので、違和感はない。どうして、そんなことになっているかはわからないのだけれど。
「ちょうど今日、別件で話す機会がありまして、ちゃんと話をするのはまた今度、ということになりました。花桃さんはやりたいことがあって、それが終わってからだと」
「なるほど」
「でも、やりたいことって何なんでしょうか? それが終わってからというのは、具体的にいつぐらいなんでしょうか? 来月とかですかね?」
「早計です」
桜さんは帽に手を当て、決めポーズをとる。
「私の推理ですけど、やりたいことというのは文化祭のことで、ちゃんと話すのは文化祭が終わってから、ということだと思います」
「どうしてそう思ったんですか?」
「女の勘です」
「それは推理じゃないです」
桜さんの推理になっていない推理は健在であった。この人はいつも全然推理をしない。本当に探偵を目指しているのか、思わず疑ってしまう。けれど、言われてみれば今僕らの高校は文化祭目前でお祭りムードが漂っている。花桃さんも積極的にクラスの準備に参加している。そう考えれば、桜さんの勘もあながち間違っていない気がしてくる。
「女の勘だと、花桃さんは或江君のことが好きな気がします」
「それは飛躍し過ぎでは?」
「だって、幼馴染みですよ? 今はともかく、子供の頃は確実に好きだったはずです」
「どうしてそこまで言いきれるんですか?」
「私が幼馴染みだったら、きっとそうだからです」
河部ハーメルンのせいで、僕は全く覚えていないけれど、僕らは『あっくん』『あーちゃん』と呼び合う仲だった。それほど仲が良かったらしい。桜さんが言う通り、もしかしたら僕は彼女の初恋の人かもしれない。そして彼女は、僕の初恋の人かもしれない。感情がわからなくなる前に友達だったのだから、ありえる話だ。
そんなことを考えたら、あの青いお茶を飲みたくなった。桜さんと初めてデートした時に飲んだお茶。青い色をした、レモン汁をたらすと桜色に変わるお茶。恋をした女の子みたいで、初恋の味というやつに似ているあのお茶を。
「桜さん」
「はい、なんですか?」
「文化祭が終わったら、また、紅茶を一緒に飲みに行きましょう」
僕がそう言うと、桜さんはまた弾むように歩きながら、「はい、行きましょう」と言った。