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フンボルトペンギンは空を飛ぶ夢を見るか(読切)

作者: 武倉悠樹

 小生はフンボルトペンギンである。

 偉大かつ著名な先達に倣えば名前はまだない、となるのだが、残念ながら名前はある。

 名をピー太と言う。

 小生が記憶している限り、小生は未だかつてピーと鳴いた事などなかった筈なのだが、小生の名付け親は何をもってして、私をピー太と命名したのだろうか。

 あえて、鳴き声を冠するならば、ギュゥヴェー太とでも成ろうかと思うのだが。

 さて、小生はフンボルトペンギンである。これは既に述べたか。

 小生は、とある公園に飼われている二十四羽のフンボルトペンギンの中の一羽である。

 なぜ、自己紹介なぞしているのと言えば、見ず知らずのご老人に柵越しに話しかけられたからだ。

「お前さんは、ペンペンかい? ウェンディかい? ギン子かい?」

 山高帽を冠し、枯れ木のようにゴツゴツとした手にステッキを携えたその老人は、柵の前に立つ看板と私を交互に見ながら、おそらく看板に書いてあるのだろう二十四羽の名前を読み上げていく。

 明らかに他のペンギンでなく小生に話しかけている為、無視するのも心苦しく、心の中で返答を試みていると言うわけだ。

 人語を解する小生ではあるが、人語を話すことは出来ないので、「いやいや翁、小生の名前はピー太と言うのである」と正すことが出来ないのがもどかしい。

 せめて、正しい名前が翁の口から出ようものなら、頷くなりなんなり反応を示すことも出来るのだが、この翁、先程から読み上げるのは何故か雌の名前ばかりだ。

「おや?」

 翁は、そう漏らすと、交互にさまよわせていた視線を看板に留めた。しばし、看板を見つめたのち、小生をしげしげと見つめる。

 小生の側からは見えないのだが、どうやらあの看板の紹介は写真がついているのではあるまいか。

 であれば、小生がピー太であると言う事に気付かれるであろう。

「なるほど、お前は美鳥だね」

 いや、だからそれは雌であるよ、翁。

「ギュゥヴェーッ!」

 文句の一つも言いたくなったので、小生は声を上げた。しかし、悲しいかな、響くのはギュゥヴェーだ。

 しかも、小生の不服申し立てを、この翁はあろうことか肯定ととったらしく、うんうん、と勝手に得心を得ている様子だ。

 うんうんではない。ピーと鳴いたことはなくとも、小生はピー太なのである。

 そんなこちらの心中など、当然ではあるのだが露知らぬ様子で、翁は振り返り、小生に背を向けると、ペンギンから見ても頼りなさげな足取りで歩いてゆく。小生には番も居ないので雛を持ったことはないのだが、群れで見かけたことはある。まるでその時に見た雛鳥の様な歩みだ。

 生き物は老いると赤子のごとくなっていくのかもしれない。

 その丸まった背を見て、小生は、なんとなく、小生の名前を間違えたことを許そうと思った。

 小生が、失礼ながら、勝手に背中から哀愁を感じ取って感傷に浸っていた翁は、てっきり帰るのかと思いきや、柵から5メートルほどの所にあるベンチまでたどり着くと、こちらを向き直り、ゆったりとした動作でそのベンチに腰を下ろした。

 ステッキに両の手をかぶせるように乗せる。そうすると、翁の曲がった背中に乗った頭がちょうど、手の高さのところにやってくる。

 そうして、翁は自らの顎をステッキの上の両の手に乗せ、ひとごこちを付いたようだった。

 まるであらかじめその形に設えたかのように、その姿は堂に入ったものだ。

「今日は天気が良いねぇ、美鳥」

 小生は美鳥ではないのだが、と言うか雌ですらないのだが、まぁ、その点はもう問うまい。

 翁の言葉に空を見上げてみると確かに太陽が煌き、その恵みを遮る雲の姿は無い。ここ数日続いた雨のせいだろうか、空気も心なしか綺麗に感じられた。

「あぁ、でも、あまりお天道様が出ているのはお前には都合が悪いんだろうねぇ。すまない、すまない」

 翁はそう呟きながら、律儀にも、両の手から顎を下ろすと、山高帽を取ってまで頭を下げた。

 小生は居心地の悪さを禁じ得ない。

 ペンギンは寒い所に住むもの。暑さに弱い。

 これは万人が抱く考えらしく、これまでも数多多くの人にご心配をお掛けしてきた。

 朝にイワシを食べ過ぎた所為で昼下がりまで岩影で寝そべっていたことがあったのだが、と言うか、まぁ、お恥ずかしながら週に一、二回、小生はそんな体たらくなのであるが、ともかく、そんな時は決まって暑さでグッタリしていると取られてしまう。

 幼い子供達などは特にそうで、心根の優しい子などは、その様子を係員に伝えようとしてくれたりもする。

 そんな時小生は、あぁ、違います、食べ過ぎです。どうかお気になさらず、と言うのだが、決まって「ギュゥヴェーッ!」となってしまって、これが巧く伝わらないのだ。

 歯がゆい。

 いや、小生、歯は無いのだけれども。

 とかく一事が万事そんな感じで、小生も、小生の仲間たちも、特に寒いところでなければ生きていられないと言う事もなく、むしろあまり寒いのは得意でなかったりするのですぞ、翁。

 当然、小生の心の声など知る由もない翁は、頭を上げると、ともすれば垂れ下がった眉毛に隠れてしまいそうなつぶらな眼を、更に細めてこちらに向けている。

 なんとなしに、目をそらしてしまう。

 小生、別にこれくらいの気温でもなんでもないし、むしろちょうどいいくらいで、暑ければ、それはそれで、岩陰に入るとか、プールに入るとかありますので。

「お前は暑かろうと、寒かろうと、この囲いの中にずっと居なければならないのだろうねぇ。それに比べれば、こうして家を出て、公園をふらふらと気晴らし出来る私はよっぽど恵まれている」

 小生は、翁を向き直る。その視線はすでに小生を捉えてはおらず、小生と空との間位をぼんやりと眺めていた。

 翁は小生を見る事無く、まるで独り言のように続けた。

「例え、居場所が無くても、作ることができる自由を持っているのだね、私は」

 どうかされたのか、翁。

「キュゥウェ?」

「おや、まるで返事をしてくれているみたいじゃないか、美鳥」

 返事をしておりますよ、翁。

「ギュゥヴェーッ!」

 翁は視線を小生に戻してはくれたものの、決して小生の言葉は翁には届かない。

「はっはっは、たくましい声だ。お前さんは強いのだね。お前さんみたいに強い者が、その羽で空を飛ぶことが出来たのなら、その柵を軽々と越え、自由に羽ばたいていくのだろう」

 小生が空を飛ぶ?

 そんな事は考えたことがなかった。小生、雛であった頃の記憶はうつろなのだが、気づけば、この公園で暮らしていた。

 なぜかはわからぬが群れの中で小生だけが人の言葉を解し、さりとて、人の言葉話すこと能わず、仲間のペンギンたちとはペンギン語で語らい、時に人の言葉に耳を傾け、イワシを食べてのんびり生きてきたのである。たまにアジもあれば、サギもある。

 むろん、空を飛んだことはない。

 柵の外に出たいと思ったこともない。

 なぜ、翁は小生が空を飛びたいと思っていると思ったのだろうか。

 ペンギンである小生は人語こそ解せるものの、ペンギンであるゆえに人の考えが分からない。空も飛べない。

 もしかして、小生は空を飛びたいのだろうか。

 わからなさに小生の気持ちは落ち着かなくなる。

 これをなんと形容するのか。拙い小生の思考ではそれを捉えることは出来ないが、群れで元気が無かったペンギンが、ある日から姿を見せなくなった時に同じ気持ちになったことがあったのを思い出した。

「いや、私は勝手に飛べないと思っているだけなのかもしれないな」

 なにもかも良くは分からないが、だがしかし、翁は笑っていた。

 ともすれば、泣いてるかのようにも見える、くしゃくしゃの笑顔。

 小生は人と同じように笑うことは出来ないのであるので、変わりに鳴いた。

「ギュゥヴェーッ!」

 小生のひと鳴きを翁はどう捉えたのだろうか。その後翁は言葉を発すること無く、笑顔を湛え、しかして、その場を後にした。

 帰り際に見た翁の背中は、哀愁を匂わせた先ほどとは異なり、心なしか晴れ晴れとしている様に見えたのは、人の機微のわからぬ小生の至らなさが見た幻だろうか。

 小生はフンボルトペンギンである。名をピー太と言う。

ディック的なものはありません。すいません。


なんとなく、出来上がった形を見てみて、連載も出来る読みきりみたいな形だなぁと思ったり。

もしかしたら、連載というか、特にストーリーは無いしどこで終わってもいい、みたいな形のシリーズ的なものにするかもしれません。

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