勇者召喚
勇者様は天使様のように優しく、高潔で、そして勇敢で、見返りなど求めません。ええ、たぶんね。
「またハズレか。なかなか魔王の元に行けないね」
「魔王とて勇者の力を知っている。何か対策したのかもしれん」
岸田弘志は、エイダス王国の第三王女リリローメアによって、世界の壁を越えて呼び出された。王国と人類を救う勇者として。
弘志は驚き戸惑い、勇者の座を固辞しようとした。何といっても、長年運動一つしていなかったのだ。魔王と戦うどころか、ただ剣を振るうのも難しいだろう。
そう考えていたが、彼は己の肉体が、まるで彼に似つかわしくない変貌を遂げていることに気付いた。弛んでいた腹は引き締まり、腕も細身ながら筋肉質だ。まるで別人の――そう、まさしく勇者の――肉体だった。弘志は勇者を引きうけることにした。
剣を振るう訓練は厳しかったが、新しい肉体は頑丈で、俊敏に動き、彼の求めに力強く応えた。弘志は肉体のもたらす万能感に満たされた。これならハーレムだって夢じゃない。
勇者の能力についても説明を受けた。
現在、魔物の軍勢は国境を越えてエイダス王国をはじめとした人間の領土へと押し寄せている。対する人間の諸王国同盟軍は、要所で防衛することで何とか魔王軍の侵攻を遅らせているらしい。
勇者の能力は二つ。一つは精霊の導きといい、異空間の道を通り、魔王軍を飛び越えて魔王の元に辿り着く為のもの。もう一つは、魔王を封印する力だ。
人間の軍勢が魔王軍を食い止めている間に、魔王を討取る作戦だ。魔王が死ねば、どういう訳か魔王軍は力と統率を失うのだという。
そして、最後にそれを聞いて、弘志は愕然とした。
「どうも精霊の導きが惑わされているようだ。でも、遠くに魔王の存在を感じるから、いつか必ず到達できる」
弘志はそう嘯いた。続けて、今日は一旦帰還して休もう、と仲間を促した。
嘘をついた。本当は魔王に辿り着く正しい道を知っている。だが――。
最後に聞いたこと、それは、魔王を倒せば勇者は役目を終えて元の世界に帰る、という話だった。それは、嫌だ。
勇者になってひと月。未だに魔王を倒す決心はつかない。
仲間の僧侶と恋仲になった。魔王を倒せば別れることになるが、それは覚悟の上、貴方のことは生涯忘れません、と彼女は言った。
魔王を倒して、褒美も貰わずに帰れというのか。滞在した村の娘や、領主が差し出した娘を、僧侶に隠れて何人か抱いた。これを諦めろと言うのか。
噂で、王国の要塞の一つが陥落して、防衛線が後退したと聞いた。人類に残された時間は、決して長くない。だが――。
言葉の壁すら越える、それが勇者召喚。