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村からほんの少し離れた所で、俺は襲われていた。
体毛は闇のように黒く、紅の瞳は地獄の業火のようで。
その強靭な四肢は容易く人を人を殺せるだろう。
そして、目を見張るのは軽く3メートルを超えそうな体長と二つの犬の頭。
その風貌は、地球のギリシア神話に出てくる地獄の番犬ケルベロスの弟オルトロスのようであった。
奇しくも、この世界でも、オルトロスと名付けられ、ランクはA。
出会ったが最後、逃げようとしても、その強靭な四肢からは逃げられず、立ち向かおうとしても、生半可な剣では薄皮一枚足りとも傷つけられず、そして、鋼をも裂く爪が、牙が、身を切り裂くだろう。例えAランクでも、俺の実力では、逃げることすら出来ない相手だ。
「ガウッ!ガッフ!」
「ちょ……!?」
「ガゥ!ガフ!」
「や……!」
「「ガゥ!!」」
「ちょ、ちょっとやめっ!!
く、くすっくすぐったい!!ストップ!止まっ!って、そこ腹!腹舐めないでぇ!!
うぷっ!顔!顔はやめっ!!」
俺を思う存分舐めてくるなんて思えるか?
俺は思えない。
「す、ステイ!ステイぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
心の底から止めてくれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!
「「ガゥ!」」
分かった!とでも言うようにペロペロの嵐をやめてお座りをしてくれた。
と、止まった……
ってか、ステイで止まってくれるんだね……
「「ハッハッハッハッ」」
そんな物欲しそうな目で見ないでくれ。
大きな尻尾をブンブンと振り回さないでくれ。
「オルトロス……なんだよなぁ……?」
「「がぅ!」」
はいっ!って元気いいなぁ――――ってぇえぇ!?
「今しゃべった!?」
「「がぅ?」」
何を言ってるの?って、しゃべった訳じゃないよな?
ちゃんとがうがう言ってるし、でも何を言ってるのかみたいなのが分かる気がする。
いや、気が触れたとかじゃなくて感覚的に、何かそんな感じのこと言ってるなあってのが分かる。
なにこれ……
当然、フォーハンドエイプではそんなこと感じなかった。
あいつらはキィキィ鳴いてただけだった。
でも、目の前のオルトロスは言ってることが何となく理解できる。
まるで、心が通じあってるかのように。
ああ、テイムのスキルか。
そういえば、俺はテイムのスキルを持ってたんだ。
フェルテルの記憶にはテイマーってのは二種類いた。
調教による力で屈伏させ使役するテイマーと心を通いあわせることで仲間になるテイマー。
後者の数は限りなく少なく、希少だ。
フェルテルも前者は何度か見たことがあったが、後者は1度だけしか見たことがなく、話を聞いた記憶によると、ある日突然目の前に現れて擦り寄ってきて、言いたいことが分かると言っていた。
つまり、こう言うことか。
いや、いきなり避けられないような速さで飛びかかってきて押し倒された時は、死を覚悟しましたよ。
走馬灯まで見たから。
でも、いきなりペロペロと舐められてかなり吃驚したというか、俺の死の覚悟はなんだったんだろうなあって。
まぁ、生きてるのは嬉しいし、もしテイムしてるのなら心強い味方だからいいんだけどね……
「えっと……」
マジでどないしましょ……
「よろしく?」
とりあえず、と言った感じで黒い毛を撫でる。
「「ガウッ!」」
よろしくっと嬉しそうに泣く2体(?)。
なんかすっごい可愛い。
物凄くデカイけど。
「とりあえず、着いてきてくれ」
「「ガゥ!」」
尻尾をフリフリ、というよりはブンブンとしながら立ち上がり俺の後に着いてくる。
明日の朝二人が起きたら怖がるよなぁ……
どうしよ。
って考えても仕方がないか。
なるようにしかならないのだから。
オルトロスを連れて焚き火跡まで辿り着いた。
食事(泣)からかなり時間がたってるため焚き火は消えていたが、その近くに向かい合うように座らせる。
「えっと……自己紹介から始めようか。
俺の名前はムツキ」
意志疎通ができるから自己紹介からで間違いはない…………と思いたい。
巨大な、ある意味で2頭の犬、オルトロスに自己紹介してる姿はかなり滑稽だろうけどさ。
「「ガウ!!」」
嬉しそうに俺の名前を呼ぶ2頭。
そんな2頭が可愛くて、つい撫でようとするが、オルトロスが大きいため手がとどかず(断じて手が短いわけではない)伸ばした手を戻そうとしたら、俺が撫でやすいように頭を下げてくれたので両手を使って両方の頭を同時に撫でる。
なんか気を使わせてしまったらしい。
その頭の良さに苦笑する。
「そ。よろしくな」
「「クゥゥゥン」」
気持ち良さそうに、目を細める2頭。
んー、野生だったからか、モフモフ具合があまりよくない。
だけど、かなり上質なモフになると確信できる毛質なため、念入りに洗って念入りにブラッシングすれば立派なモフモフになってくれるだろう。
俺はモフモフした動物が好きだ。
心から愛してる。
家でも動物を飼いたかったけど、母さんが大の動物嫌い。
当然飼えるはずもなく、年老いたらモフモフの動物に囲まれて余暇を過ごそうと思っていたくらいだ。
まぁ、ご近所迷惑になりそうだけど。
だから、オルトロスの毛並みをよくすることは町について最もやりたいことにランクインだ。
次点で美味い飯を食べること。
まぁ、町にオルトロスが入れるかというと、ちょっと目をそらすしかない。
Aランクの魔物であるし、フェルテルの時代には地獄の狩人という異名まであったらしいし。
恐れられること間違いなしだ。
まあ、行き当たりばったりになるけど仕方がない。
もし駄目だったら、その時に考えよう。
最悪、オルトロスか二人のどちらかを切り捨てることになるだろう。
二人を切り捨てるなら、たぶんいるだろう町の守備隊、いなければ孤児院。
それもなければ、教会に預ければ大丈夫だろう。
教会は後々二人が辛い目にあうだろうから最終手段だ。
そして、俺はフォーハンドエイプの死体を売り払って、その金を二人に渡して、オルトロスが入れる町を探しに行こう。
オルトロスを切り捨てるなら、ちょっと離れた人目のつかないところで暮らさせてたまに会いにいくということになる。
二人は基本的に俺と宿屋に泊まり、俺は二人の生活費を稼ぐために魔物を狩りにいく。
ということになるだろう。
まぁ、もし二人とオルトロスが了承したら、という前提条件がつくけれど。
その為にもまずは会話をしないと。
まだ今日会ったばかりでお互いのことを何も知らないから。
「そういえば……名前。
名前教えてくれないか?」
自分の名前は教えておいてオルトロスの名前を訊いてないのを思い出したので訊く。
名前は大切だからな。
知らないとずっとオルトロスか二人称で呼ばないといけなくなる。
それで仲良くなれるかはちょっと疑問だし。
「「ガゥ!」」
ない!って、おいおい。
そんなに元気よく言われるとこっちがちょっと困りますぜ。
「名前つけていい?」
「「ガウッ!」」
お願い!か。
そういえば、オルトロスって頭が二つあるけれど、人格も別々なのだろうか?
頭が二つということは、脳も二つということ、つまりは考えれることは二つになるのではないだろうか。
そうなると、その1つのことにたいして考えることも二つになるのでは?
例えば、リンゴが目の前にあった時に真っ先に思ったことが片方の頭は『赤い』で、もう片方の頭は『おいしそう』だったとしたら、それは二つの人格があると言えるのではないか?
だって別のことを考えるなら、それは個性ということになる。
個性がないのなら、頭が2つあっても1つのことしか考えられないだろうし。
個性というのはその人それぞれの考え方、性格だ。
性格が別々であるなら、いくら半身といっても、1つに纏められて名前をつけられるのはいい気がしないだろう。
となると、名前が2つ必要ということになる。
でも、体は1つしかない。
2つ人格があるなら不便ではないか?
右の頭が右に行きたくて、左の頭が左に行きたい時はどうするのだろうか?
譲歩し合うのか?
それは面倒というか、邪魔になるというか。
そんなのでAランクの魔物になれるのか?
Aランクということは食物連鎖で上位に位置するということ。
つまりは生物的に力や知恵が優れている種といっても過言ではないだろう。
実際にオルトロスは脅威的な素早さや凶悪な牙や爪もさることながら、知恵もかなり高い。
そんな種が人格が2つあるから混乱するなどという欠点があるとは思えない。
となると、やっぱり人格は1つしかないのだろうか?
訊いてみようか。
でも、どうやって訊く?
2頭は別々の思考を持っているのか?って訊くか?
伝わらない可能性大だな。
それでも一応訊いてみるか。
「名前は2頭別々の名前をつけた方がいいのか?
それとも1つの名前でいいのか?」
「「ガゥ?」」
どういうこと?ってそれはそうだよな。
普通にいきなり訊かれても困るわ。
さて、どうしようか……
あっ、閃いた。
「2頭は仲がいいか?」
これならもし2頭が別々の人格があるなら、肯定しかないだろう。
否定するなら、今ここに2頭はいない。
不仲な相手と同じ体を使って生き残れるほどこの世界は甘くないだろうから。
そして、もし1つの人格しかないのなら、また『どういうこと?』と訊かれるはずだ。
だって、『あなたの右手と左手は仲がいいか?』って訊いてるのと同じことだから。
「「ガゥ!」」
うん!だってさ。
人格が2つある可能性が大になった。
それじゃあ、名前も2つ必要だな。
「ガウ!ガフッ!」
昨日獲物を仕留めたのは左の頭の一撃らしい。
右の頭が自慢してきた。
「ガフガウッ!」
それに右の頭は頭がいいようだ。
獲物を追い込むのが上手らしい。
「「クゥゥゥン」」
互いが恥ずかしそうに互いの頭に頭を擦り付ける。
こりゃあ、仲がいいわ。
「ははは、性別は?」
ちょっと苦笑しつつ、性別を訊く。
名前つけるのに性別はとても大切なことだと思う。
男なのに女の名前だったらグレるだろうし。
ムツキ、というのも女の名前として考えれるため、グレーゾーンだけど、俺としてはかなり気に入ってる。
自分の産まれた月が分かりやすいし、慎みがあって親しみやすい月のような人になって欲しいなんて意味が込められているからだ。
「「ガウッ!」」
雌!か。
なら、どうしようか。
名前はその人を表す象徴みたいなもの。
だから、ちゃんと考えないとなあ。
コリコリとオルトロスの首を掻きながら考え込む。
チラッと見てみると2頭も気持ちよさげに目を細めてリラックスしていた。
ここがええんか?ええんか?んん?
っとふざけてないで考えないと。
オルトロスという種は陽か陰かで言えば、陰だよな。
地獄の狩人って呼ばれてたくらいだし。
でも、2頭は明るい性格してるよなぁ。
じゃれあってくる子犬みたいに。
だから、陰というよりも陽。
明るい言葉を入れたいな。
それに、漢字変換できる名前にしたい。
俺と同じにしたいっていうちょっとした独占欲で。
できれば"月"の文字も入れたいけど2頭の性格的に合いそうにないし……
やっぱり明るい字
――朝。
ふっと、思い浮かんだ文字。
昼のように明るい性格と夜のように黒い体躯。
両方を持ち合わせてるけど明るい文字。
なら、朝日(あさか/あさひ)だ。
気に入った。
「決まったよ」
「「クゥゥン?」」
甘い(?)声をあげつつ、細めていた目で俺を見つめる2頭。
俺は、行動派な方らしい左の頭――アサヒを抱きしめる。
できれば、2頭一緒にが、よかったけど、生憎俺の体格はそこまでよろしくない。
だから、片方ずつだ。
「君の名前は今日からアサヒだ」
「ガゥ?ガウッ!」
アサヒ?と一度訊かれたので頷くとアサヒ!と復唱してくれた。
それが可愛くて思わず、撫でたかったがもう1頭伝えなければいけない名があるから我慢する。
アサヒを放して、右の頭――アサカを抱きしめる。
「君は今日からアサカだ」
「ガウ……ガゥゥッ!!」
噛み締めるようにアサカ、と繰り返し、嬉しいっ!!と言ってくれた。
俺も嬉しい。
ペロッペロッとアサヒとアサカ、朝日コンビが舐めてくるが、最初の時のような荒々しさはなく、優しく舐めてきた。
「くすぐったいって」
この世界での初めての仲間、友達ができたことに自然と笑みが溢れた。