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月の名前

作者: くまくるの

 今日は最悪な一日だったと思う。

 だって、朝起きたら、目覚まし時計は止まってるし、急いで着替えたから靴下が色違いだったし、走って学校へ向かったら近所の犬には吠えられるし、得意だったドッチボールでは浩太こうたの投げるボールが予測不可能な追い風に乗って僕の顔を直撃した。

 クスクスと笑い声が聞こえて見上げたら、教室の窓から愛ちゃんの笑い顔が見えた。

「クソッ……」

 いつもなら浩太如きの球は取れるんだ。楽々とアウトにだって出来る。

 それなのに、今日は凄い風が吹いてボールが曲がったんだ。

 しかも顔面セーフなんて格好悪い所を愛ちゃんに笑われて、僕の恋心は少しズタズタに引き裂かれた。

「あ~あ。本当についてないや。何だろう? 仏滅?」

 よく分からないけど、お母さんが「仏滅だからダメよ!」って言ってた言葉を思いだす。確か日にちだった筈だ。今日はダメな日って印。でも、何がダメだったんだっけ?


 そんな事を考えながら歩いたせいで、頭上に居る鳥が今まさに爆弾を降り注ごうとしているのに気づくのが遅れた僕だった――――






「ただいま~」

 と声をかけるけどお母さんの「お帰り~」の言葉が聞こえない。

 でも、リビングから笑い声がするから家に居る筈だ。

「お母さん、あのさぁ……」

 鳩のフンが頭に……と続けたかったけど、僕の目はある一点で釘付けになった。

「お帰りなさい、広夢ひろむ君。大きくなったわね。何年生になったの?」

 物凄く綺麗な女の人が、僕に親しげに話しかけてきた。


 この人は一体誰だ?


「あら? 広夢ったら見とれちゃって。イトコの奈々絵ちゃんよ。覚えてない?」

「イトコ? 奈々絵?」

 そういえばそんな事を聞いた事がある。

 僕には凄く年が離れたイトコがいるって。

 でも、会った事はない筈だ。

 だって、こんなにも綺麗な人なら一回会ったら忘れない。

「おかしいわね~。三歳の時にあったじゃない? 奈々絵ちゃんが大学に入学する時にねぇ」

 最後の「ねぇ」は奈々絵姉ちゃんのに向けられた言葉だったけど「そんなガキの時の事なんて覚えてないよ」と僕は反論した。

「な~にがガキよ。今でも十分ガキでしょうが?」

「違うよ! もう五年生だよ!」

「あらそう。五年生の大人の男は、頭に鳥のフンを乗せて帰ってくるのですか?」

 そうお母さんに言われて、我に返った。

 即座にリビングを逃げ出す僕の背中に「奈々絵ちゃん、しばらくここに泊まるからねえ!」とお母さんの叫び声が聞こえた。


 ああ、綺麗な女性の前で何たる不祥事。

 やっぱり今日はついてない。




    ☆☆☆




 僕の家に奈々絵お姉さんが来て一週間が経った。

 僕は、学校があったり塾があったりで、ご飯の時ぐらいしか顔を合わせないけど、奈々絵お姉さんの元気がないって事だけは分かった。

 食事を食べなかったり、客間でボーッとしていたりしている。

 初日は笑ってくれたけど、その日以来、笑い顔も見ていない。

「ねえ、お母さん」

 僕は不思議に思って、お母さんに何度も聞こうとしたけど、唯黙って首を振られるばかりだ。


 大人はいつも隠し事をする。

 子供には隠し事をするなって言うくせに。

 本当に大人ってズルイや。





 そんなこんなの週末。

 僕は明日の休みに備えて鋭気を養おうと、ベッドに寝転がって浩太から借りた漫画を読んでいた。

 小学生だって疲れるんだ。


 トントンと小さく部屋の扉をノックする音が聞こえて、僕は漫画から顔を上げた。

 自慢じゃないが、我が家族にノックするなんて繊細な神経を持っている人間は居ない。

「はい」

「広夢君、ちょっといい?」

 だから奈々絵お姉さんが遠慮がちに僕の部屋へ入って来ても、驚かなかった。

 唯、不思議だった。


「ねえ、散歩に行かない?」



    ☆☆☆




 僕と奈々絵お姉さんは、夜の海岸をゆっくりと歩く。

 ザブ~ンザ~ンと聞こえる波の音は、ここで育った僕には子守唄みたいなものだ。

「秋の夜の海って真っ暗なんだね」

 隣から声が聞こえて「そうだね、ここは特に田舎だしね」と僕は少し大人みたいに答えた。

 都会を知らないけど、テレビに映るアレが都会なら、ここは間違いなく立派な田舎の漁村だから。

「真っ暗で、静か。何も聞こえないし、何も見えない……」

 フラフラと海の方へ向かうお姉さんの腕を取った。

「危ないよ。奈々絵お姉さん」

 何だかそのまま海の中へザブザブと入ってしまいそうで怖かった。

「大丈夫よ。少しだけ月に近づきたかったの……」

 そう言いながら奈々絵お姉さんが指差した先に、大きな大きな月が浮かんでた。




 僕と奈々絵お姉さんは、浜辺に腰をかけて、真ん丸い月を眺める。

 月ってこんなにも大きかったかなぁと不思議に思ってると「今日は十五夜だから」とお姉さんが言った。

「十五夜?」

「ほら、お月見するとか言うでしょ? あの十五夜」

「ああ、花より団子ってヤツ!」

「それは、少し違うかなぁ……」

 そう言って少しだけクスッと奈々絵お姉さんが笑った。

 僕は何だか嬉しくなって「月には兎が住んでるんだよ!」と豆知識を披露した。

「…………月の兎かぁ」

「あれ? 知らないの?」

「ううん、知ってるんだけどね。広夢君は、どうして月に兎が住んでるか知ってる?」

「え? 知らない」

 そういえば、どうして兎なんだろう? 教科書には『月の模様が兎に似てる』って書いてあるだけで、それ以上の事は知らなかった。

 奈々絵お姉さんは、静かな静かな声で、物語を話し始めた。




   ☆☆☆



 昔、昔。森の中の動物達が仲良く暮らしていました。ある日、狐と猿と兎がいつものように森で遊んでいると、みすぼらしい姿をしたおじいさんが倒れていました。

「これは大変だ! お腹がすいて倒れているに違いない」と狐は川へ行き魚を獲っておじいさんに与えました。猿は木登りが得意だったので、木の実を沢山とりました。しかし、兎は水に入る事も、木に登ることも出来ません。そんな自分の非力さを知った兎は、狐と猿に焚き木をしてもらいました。

「どうするのかな?」と狐と猿が思っていると「私は非力でおじいさんに何もごちそうできません。だから、私の肉を食べて下さい」と火の中へ飛び込みました。

 火に飛び込んだ兎を見て、おじいさんは正体を明かしました。おじいさんは実は神様だったのです。

 兎のその身を投げ出してまで人を助けようとした気持ちに感動した神様は、兎を月に住ませる事にしました。だから、長い年月が経った今でも、月に兎を見る事が出来るのです。




 話終えたお姉さんは「ふぅ」と小さくため息をついた。

「ねえ、広夢君、この話どう思う?」

「どうって……ヘンだと思うよ」

「何故? 全ての人に出来る事じゃないから、神様は感動したんでしょ?」

「それはそうなんだけど。でも、なんか嫌だ」

 特に理由はないけど、僕はそう思った。


 兎は立派なのかも知れない。

 自分を犠牲にして人を助けるなんて誰にでも出来ない。

 でも、嫌だったんだ。


「嫌かぁ。私も嫌だなぁ」

 奈々絵お姉さんは、話し出した時の様に静かに言った。僕はてっきり「広夢君も大人になったら、立派な人に……」的、大人発言をされると思ったから、びっくりした。

「自分を犠牲にだって。そんなの、その人はいいけど、後に残された人はどうすればいい? 誰を責めて誰を慰めればいい?」

 奈々絵お姉さんの言葉は、何だか月の兎の話じゃない気がした。

 それでも僕は黙って、お姉さんの話の続きを待ったけど、それっきりお姉さんは何も話してくれなかったので、僕も黙って、月を眺めた。



――――海の上に浮かぶ満月は、大きくて丸くて泣きたいぐらいに綺麗で。



 ひっくひっくと隣でお姉さんが泣き出したけど、それでも僕は黙っていた。


――――美しすぎる月は、悲しみを湛えているみたいだ。泣いて世界を照らしてる。


「まさや……」

 お姉さんが小さな声で、誰かの名前を呟いた。

 それでも、僕は黙っていた。


――――月の兎さん。お姉さんを悲しませないで下さい。


 僕は心の中でお祈りをした。



 その後、しばらくお姉さんは静かに静かに泣いて、スクッと立ち上がった。

「帰ろうか?」の言葉に僕は頷く。



「海の上に浮かぶ満月って、泣きたくなるほど綺麗だよね。それなら兎も嬉しいのかな?」とお姉さんが少し明るく言ったので、僕は「そうだね。綺麗な方がいいよね」と答えた。

「兎は喜んでるのかな? 勝手な事しないでよね? とか思ってないのかな?」

「分からないけど、喜んでるんじゃないかな? だってずっとずっと毎日毎日、餅をついてるんでしょ? 餅つきって楽しそうだし、お祝い事の時にするんでしょう? それなら毎日がお祝い事なんじゃないの?」

「楽しそう……。毎日がお祝いかぁ。そっか。うん、それならいいや。広夢君、今日は本当にありがとう」

 そう言って微笑んだお姉さんは、今まで見た顔の中で一番綺麗に見えた。





  ☆☆☆



「お世話になりました」

 そう言って二週間ほどでお姉さんは都会へ帰って行った。


 来た時と違って、少し足取りが軽くなったように見えるのは、あのお月見をしたからだろうか?

 悲しくて泣きたいぐらい美しい月を――――


 そうならいいな、と僕は思った。




 お姉さんを見送って、電車に乗ったのを見届けたお母さんは「ふぅ」と深いため息をついた。

 僕はびっくりした。

 だって、お姉さんがいる時は、いつもいつも笑ってたし、楽しそうだったのに、今は凄く疲れたって顔を隠そうともしていない。


「広夢もごめんね、しんどかったでしょう?」と久々にお母さんが僕に気を回した。


 そうだった。

 お姉さんがいた時は、お母さん、ずっとずっと笑いながらも、お姉さんの動きを監視していた。

 だから、結構僕はほったらかしで。


「別にしんどくなかったよ」

「そう……」

 少しホッとしている今なら聞き出せるかも知れないと思って、僕はおもいきってお母さんに尋ねた。

「奈々絵お姉さんは、どうしてうちに来たの?」

 普通なら仕事をしていたりする時期な筈だ。

 だって、お姉さんは結婚もしてないし、学生って年でもないし。

「お姉さんは、ちょっとだけ疲れちゃったから、うちに息抜きに来たのよ」

「なんで? なんで?」

「子供はまだ知らなくてもいいの」


 ほったらかしにしてる時には「もう五年生でしょ?」って言ったくせに、次にはもう子供扱いで。

 大人って本当に自分勝手だなあ。





 その日の夜に、奈々絵お姉さんのお母さん、つまりはお母さんのお姉さんから電話があった。

 携帯でコソコソと話すお母さんに気づかれない様に聞き耳を立てる。


「自殺」

「結婚式」

「まだ若い」

「不運」


 会話の断片しか聞き取れない。

 そんな僕の様子に気づいたお姉ちゃんが、手招きして僕を呼んだ。


「気になって仕方ないみたいだから教えてあげるよ」そう鼻を膨らませながら言う実の姉は、どうやら自分が喋りたくて仕方がないみたい。

 僕は素直に頷いた。

 ここで喧嘩でもしたら、お姉ちゃんは絶対にイジワルで教えてくれないのを、十年兄弟をやってて知ってるからだ。


「あのね……」

 そう言って、何だかテレビの話でもするみたいに気軽に話だしたお姉ちゃんは、何故か少し嬉しそうに見えた。




   ☆☆☆



「はぁ……」

 僕はベッドに寝転びながら、お姉ちゃんの話を思い出していた。




「奈々絵さんはね、フィアンセがいたの。フィアンセ。その人との結婚が決まってね、式の日にちまで決まって、さあ幸せの準備をするぞ~って張り切ってた時にね、フィアンセさんが車に跳ねられたんだって。それも道路に飛び出した子供を庇って、自分が車にぶつかったらしいよ。それで死んじゃったの。可哀想でしょ~奈々絵さん」


 どうしてお姉ちゃんは、少し楽しそうに話すのか? 

 多分、ドラマみたいな話で、実際にドラマの話をしている気分と大差ない筈だ。


 僕は少しだけ違った。


 そうして、あの月の兎の話を思い出した。




『自分を犠牲に』

『兎は喜んでるのかな?』

 そう言ったお姉さんは、きっと「まさや」さんの事を思い出したに違いない。



 もっともっと、優しくて気のきいた事を言えば良かった。

 でも、子供の僕に何が出来る?


 何も出来やしないさ、と少しだけふてくされる。

 仕方が無い。仕方が無いんだ。

 だって、僕はまだ五年生なんだもの……。




  ☆☆☆



「広夢~! 奈々絵ちゃんから荷物が届いてるわよ~」

 お母さんに言われて、部屋からでると、小さなダンボールが届いていた。

 ゴソゴソと開けると、中には沢山の月の本が入っていて、その下に兎の縫いぐるみと、ピンクの封筒に入った手紙があった。


 何だか手紙は誰にも見られちゃいけない気がして、僕はこっそりと手紙だけ部屋へ持って上がった。

 急いで中身を取り出す。




『広夢君へ。

 あの日はありがとう。兎の話は面白かったですか? 実は私も知らなかったのですが、月には兎以外にも沢山の人や動物が住んでいるのです。国や地域によって、月の名前は変わるみたいです。同封した月の本は小学生でも読めそうな少し簡単な月への招待状です。私の大好きな人が好きだった本もあります。もしよかったら読んであげて下さい。

 追伸 あの日の月は綺麗だったね。まるで夢の世界みたいでした。奈々絵より』



 僕はゆっくりと手紙を封筒に直して、下へ本を取りに行った。



 あの満月の日。

 僕は月が泣いているみたいだ、と思ったけど、お姉さんは夢のようだと思ってた。


 同じ場所、同じ時に、同じ月を眺めていて、それなのに違った感想を持つ。

 それなら、別の国や、別の場所、別の人は、月に違う感想を持ってて当たり前だと思う。



 僕は、月への招待状をパラリと紐解く。



 そこには、色々な月の名前が載っていた――――








  


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